波乱の幕開け 討論会
驚いたことに、討論会までの日にちは三日しかなかった。原因は深雪の後任がなかなか決まらなかったせいだ。何度かクラス会を開いたが女子の争いが繰り広げられただけだったらしい。
ついに先生が介入し愛里が指名されて現在に至る。
私たちは早々にアンケートをし、それをまとめ、会場の準備をした。早川君と篠部君は顔を出さず、クラスの数人が手伝いに来てくれた。感謝感謝。
「よしっ、後は明日討論するのみ!」
椅子が並べられた体育館を見回して、菅さんが満足気に言った。
そして翌日、波乱の討論会が行われたのだった……。
討論会は五、六時間目に体育館にて行われた。予鈴がなると人が集まり始めた。
私たちは舞台の上、生徒とは向かい合う形になる。わいわいがやがや、まさしくそういう状態だった。みんなこれから何が始まるのかわかってるのかと訊きたくなる。
私はそれを眺めながらため息をついた。
そもそも討論会というのは生徒の自主性を強くするために考えられたらしい。
でも、なんかちがうんだよね。なんというか、夜中にやってる討論会のような熱気がないんだよね~。
紙に書かれた字はどうでもよさそうに横たわっている。
私は事前に配っておいたアンケートの結果に目を通しながらそう思った。
内容が内容なのは認めるけど、一応自殺者を出した学年だしもっと意識が高いと期待していた自分がいた。
みんな、私のことなんか忘れたのかな……。
私は隣に座っている早川君を盗み見た。いつもの無表情でどことなしに体育間全体を眺めていた。
早川君も討論会に興味ないんだろうなぁ。題だけだして後は放置だもんね。
私はなげやりなため息を一緒に紙束を机に置いた。頬杖をついて体育館を見渡した。
誰も同じ学年に死にたいと思って苦しんだ人がいるなんて考えたことなかったんだろうな。
だれも、気付いてくれなかったんだもん……。
やさぐれてきた私の視界に何か黄色い物が入った。気になって見てみるとそれは早川君の机に置かれた封筒だった。
早川君のかな、薄い封筒……紙でも入ってるんだろうか。
「なんだ?」
じっと封筒を見ていた私に気付いたのか早川君がそう訊いた。
「その封筒何かなって」
ごまかす必要もなかったので素直に質問した。
「お前には関係ないだろ」
即座に早川君はそう言い返してきた。
はい、そういうと思った。半分なげやりになっていた私はハハッと乾いた笑みを浮かべた。
「そうだね」
自分でもいやになるくらい皮肉めいた声がでた。
嫌な女だなぁ。そう思っても投げやりな気持ちは収まらない。
その時本鈴が鳴った。なんかチャイムさえなげやりに聞こえた。
「ではこれから討論会を始めます」
菅さんの一言で話し声がおさまり始めた。
「今回の題は現代社会の生と死。自殺は罪かどうかです。まず事前に集計したアンケートの結果を読み上げます。その後、意見がある人は前のマイクまで出てきてください。では秋宮さんどうぞ」
私は、深く深呼吸してゆっくり目を開けた。
「アンケートの結果を報告します。まず、自殺についての意見を読んでいきます」
一呼吸置いて紙に目を落とした。
“自殺はいけないことだと思います。自殺者は命の大切さを知らないんだと思います”
“なんで死なないといけないのか自分にはわからない。もっと頑張ればよかったのに、残された側の気持ちも考えて欲しい”
“自殺反対”
ゆっくり読み上げていく。なるべく感情を出さないように。静かに、静かに。それでも声が震えてくるのがわかった。
“自殺を許すような社会だから自殺者が減らない”
“自殺をさせる人がいるからいけない”
“自殺者は自分のことを可哀想に思ってる勝手な人だと思う”
“自殺は、昔からあることだしそんなに騒ぐことでもないと思う。学生の自殺はただその人が弱かっただけなんじゃないか”
“やるならご勝手に、ただしどっか人目につかない所でひっそりと死んで欲しい”
「……以上が多かった意見です。これについて意見がある人は挙手をお願いします」
私はそこまで言い切るとほっと息をついた。 心を落ち着けないと泣いてしまいそう……。
体育館は少しざわついているが誰も挙手する人はいなかった。みんな似たような意見なのだろう。
「ないようなので次、篠部君お願いします」
「学生の自殺理由の大半はいじめが原因とされています。これについての意見を読み上げます」
“被害者が死ぬしかなかったことが可哀想”
“いじめが理由で死ぬなんでばかげている”
“こういうのがあんまり社会に出てこないことに問題があると思う”
私は淡々と読み上げていく篠部君を見ながらやる時はやるんだ、と勝手な感想を浮かべた。
いじめ。みんなが気付かないふりをしたいじめ。自分たちも加害者になってることにも気付かないで、知らないふりをした……。
“いじめられた側が自殺するなんで加害者に対するあてつけみたいでいや”
“そんなに思いつめる前にイヤだとはっきり言えばよかったのに。周りに助けを求める前に死ぬのはせっかちだ”
言えたら、いやって言えたら……誰も死のうなんて思わないよ。
“いじめなんて通過儀礼みたいなもんだし、受ける側もなんか問題あったんじゃないか”
“いじめは許せない。そのせいで死んでしまう人がいるってことはとても悲しい。私の周りでいじめがあったら私は止めたい”
嘘、気付かないふりをするくせに。
「以上です。何か意見ある人は挙手を……どうぞ、前へ」
手を挙げたのは私の知らない人だった。
「自殺はいじめだけが原因じゃないのにどうしてこの問いなんですか?」
「一番私たちに近い問題だと思ったからです。受験ノイローゼなんていわれてもピンとこないでしょ?」
「わかりました。それと、先ほどの意見にいじめで死ぬなんて馬鹿げているとあったけど、生きるも死ぬの個人の意思だし、部外者がどうこう言えるもんじゃないと思います。以上です」
突き放した言い方をする人だと思った。この人も、加害者だ。味方にはなってくれない。
「ありがとうございました。席に戻ってください……どうぞ、前に座ってる方、前へ」
「私は、いじめとかよくわからないけど、死ぬほどつらいものなら、なくさないといけないと思います。いじめられている人は勇気を出して友達に話してみるのがいいと思います」
勇気……言うのは簡単なんだけどな。
私はふっと笑った。知らない、みんなは何も知らない。
手を挙げた人は二三人いたけど皆大体似たような事を言った。時間は刻々と過ぎ、とうとう最後の議題になった。
「では最後に早川君どうぞ」
「最後は、自殺は罪かどうか……」
“自殺は罪じゃない、自殺した人は被害者だと思う”
“自殺は人殺しなんだから罪だと思う”
“罪は加害者と止められなかった人たちにあると思う”
“罪だとおもうけど、加害者や周りの人に罰を与えてたらきりがないと思う。それに自殺するかどうか
は本人が決めたんだから本人に責任があると思う”
早川君の意見じゃない。わかっていてもつらい。早川君の声が、頭の中で響く。そしてそれは嫌な記憶を引っ張ってきた。
『神崎さん、今日は泣かないの~?』
周りからけらけらと笑い声が上がる。
『もしかして聞こえてないとか? あははっそれってサイコー! 何言ってもわからないんだよね~』
私はなるべく体を小さくする。必死に違うことを考える。聞いちゃいけない、何も聞こえない。そう自分に言い聞かせる。
『ねぇ、役立たずでいつも暗い深雪にいい名前を考えたんだ』
ハスキーな声は愛沢さんだ。冷たい目で私を見下ろしてる。
『え~何々?』
周りの女子が盛り上げる。
『死神、どう? ぴったりでしょ』
『きゃー、どうしよう。命取られちゃう! みんな、神崎さんに近寄っちゃだめよ! 彼女死神なの!』
女子の一人がそう叫ぶとクラス全体に伝わったも同然だ。私はじっと机の木目を見ている。
いつになったら終わるんだろう。
どれだけ我慢すればいいんだろう。
答えのわからない問いが頭の中をくるくる回る。
どうすれば終わるのかな。早く、早く楽になりたい……。
私の記憶はそこで途切れた。
胸の辺りがきりきりと痛む。
どうして今頃出て来るの? もう、忘れたいのに、無かったことに……。
「以上」
どうやら早川君が言い終えたらしい。
だめだな、早川君の横顔がにじんできた。
私は必死に深呼吸をした。大丈夫。大丈夫。
「どうぞ前へ」
「自殺は罪です。さっきの意見にもあったけど残された人のことも考えて欲しい。命を捨てたことの罪じゃなくて、周りの人を裏切った罪があると思います」
「じゃぁ周りから期待も何もされてない人間なら死んでもいいんだな」
どこからか野次が飛んだ。
「そういうつもりじゃないけど」
「やっぱりさぁ、自殺を失くすには互いに理解しあわないといけないよ」
「自殺者がおかしいんだ」
体育館のあちらこちらから声が飛んだ。
「ちょっとみなさん、マイクの存在が……」
菅さんが静かにさせようとするが皆の声で消されてしまった。
違う。おかしいのはみんなだ。誰も……。
悲しいのか、悔しいのか、わからない感情がこみ上げてきた。もう我慢できない。
「いいかげんにして!」
私はマイクを持って立ち上がった。全員の顔が私に向いていて、やけに体育館が静かだなとどこか冷静に思う自分がいた。
「何もわかってないくせに知った風なことを言わないでよ。みんなは自殺した人の気持ちを全然考えてない! 自殺が罪かどうか? そんなこと関係ないの」
「秋宮さん……?」
菅さんが私の名前を呼んだ気がした。けど私は秋宮じゃない。神崎だ。
「ずっと苦しんで、考えて、最後の答えがそれなのに、それすら否定するの? みんなは何もわかってない。わかろうともしない。みんな気付かないふりして、それがどれだけあの子を、私を苦しめたか……。自殺なんてすぐにできるわけじゃない。何回も迷って、止めて……。自殺者にとって自殺は生きるか死ぬかじゃない。苦しみ続けるか、全てが終わるかどっちかなのよ!」
私はそうまくし立てた。ずっと言えなかった言葉があふれだした。
「そんなのただの被害妄想だ! 自殺して、現実から逃げただけじゃないか!」
どこからかそういう言葉が投げられた。私は声がした方を向いた。
「逃げちゃだめなの? 追い詰められて、追い詰められて……生きる意味も失くして、みんな敵。それでも頑張ったのに……最後に逃げただけで悪く言われる。彼女は自殺して安心したよ」
私の脳裏にあの日のことが思い出された。あの時は解放されることへの喜びを感じた。それは確かだ。
「もう苦しまなくてすむって、笑って彼女は死んだ。もう苦しまなくてすむ……よかったって。彼女はそう言った。それでも、自殺は罪なの? 彼女たちの最後の希望まで奪うの?」
「全部勝手にやったことじゃない! 誰にも言わずに苦しまれても困るし。いやなら言えばよかったのよ」
この声は知ってる。たぶん同じクラス、私をいじめた人たちの一人。
「いやって言えたらだれも自殺なんてしない! だれも助けてくれない。友達だと思ってた人も、先生も誰も助けてくれない。彼女の絶望がわかる? それでも彼女は頑張った……」
私は頑張ったのに……。
私は言いためていたことを言ったおかげでだいぶ落ち着いてきた。そしてそのぶん悲しみがあふれてきた。
こんなに訴えても、きっと彼女たちには届かない。誰も……。
「秋宮、お前の言いたいことはよくわかった。もう十分だ……座れ」
早川君が私の腕を掴んで引っ張った。早川君の声はいつもの何倍も優しく聞こえた。
私は静かに椅子に座った。だいぶ冷静さが戻ってくるととんでもないことをしたなと後悔に襲われた。
私ったら何やってるのよ! どうしよ~正体とかばれたりしないよね。
そうよ、だってこれは彼女のことであって……うん。深雪、私の言葉を言ってやったよ!
でも……あぁ、目立ってしまったよ。明日からどうやって生きていこう。私どうしたらぁ?
「秋宮、落ち着け」
「……落ち着いてる」
小声で話しかけてきた早川君は呆れ顔で私を見ていた。
何? なんでそんな顔してんの?
「その顔のどこが落ち着いてるだ。さっきから表情ころころ変えやがって気味悪い」
まさか、さっきの自問自答は全て顔にでていたの?
「ほ、ほっといてよ」
「では、これで討論会を終わります」
菅さんが終了の宣言をした。
えっ? 終わったの? あれ?
皆ぞろぞろと退場していく、私はそれを見ながら首を傾げていた。
もうちょっと時間があったと思うんだけどな。
「なぁ……言っとくけどお前最後の二十分間ずっと百面相してたんだぞ」
見るに見かねてか早川君がそっとそう告げてくれた。
「うそ」
どうりで記憶がないわけだ。
「そうよ。飛んでくる質問全部無視しちゃって」
気付けば菅さんが私の後ろに立っていた。菅さんも呆れ顔だ。
「爆弾を投げるだけ投げて後は放心状態、いい加減にしてほしかったですね」
篠部君は階段を降りているところだ。
わざわざ嫌味を言わなくてもいいじゃない!
「ま、でも愛里ちゃんのおかげで充実した討論会になったことだし。いいんじゃない?」
そう? いいのかな? いいよね!
「ほら、そこ、早く教室に帰りな」
担任が私たちを手招きした。私たちは片付けもあるんだった。後片付けって準備よりも大変なんだよね……。
私はこの時、この討論会が全ての引き金になるなんて、思ってもいなかった。