はじまりの記憶
「いいかげんに、してよ……。なんで、いつも私を、いじめるの?」
とぎれとぎれの言葉。私を支えているのは千春との約束。
私は、昔の自分を思い出して、懸命に声を振り絞った。
愛沢さんの目が驚きで開かれる。回りの女の子たちは、口応えをしだしたと騒ぎだした。
愛沢さんの手が震えている。たぶん、怒っているのだろう。その手が飛んでくるのも、時間の問題のはずだった。
「いいわ、そんなに知りたいなら教えてあげる。今日、四時に駅前の公園に来て。もちろん一人でね」
拳のかわりに飛んできたのは、誘いだった。
女の子たちは、とうとうやるのね、と意気込んでいる。
私は終わった、と思った。
愛沢さんを怒らせてしまった。行けばひどいことをされる。だけど、行かないともっとひどくなる。
本当に理由を教えてくれるんだろうか。
私……どうすればいい? 千春……。
愛沢さんはそう言うと、さっさと自分の席に戻っていった。
私はその後、ずっと気分が悪かった。恐怖が体を蝕んでいた。
やっぱり逆らわなければよかった。今さら何も変わらないのに……。
家に帰っても、決心はなかなかつかなかった。時間は迫る。足は動かない。
“約束よ”
玄関で立ちすくんでいると、千春の声がした。生きてと願った友達。ずっと、心配してくれていた友達。
約束、したじゃない。負けないって。
私は制服のまま、家を飛び出した。
約束の場所は、家から数十分も歩けば着く。
まだ、間に合う。
私は横断歩道で立ち止まった。丁度半分を歩いたぐらいだ。腕時計を見て時刻を確認する。
大丈夫。間に合う。
そして顔を上げた時、私に向かってくる車が見えた。信号で止まる素振りも見せず、ただこちらに猛然と向かってくる。
危ない、そう思った。
生きなくちゃ、とも思った。
だけど、意に反して足は動かない。頭だけが先走る。
死なないと、約束したのに! 動いて! 私の体!
私の体は動いた。高く、高く。空に届きそうなくらい高く。
見えたのは、青い空だった。おかしなくらい綺麗な空。雲が流れ、澄みわたっている。
世界は、回っている……。
なんだか悲しくて、寂しくて、愛沢さんとの約束が守れなくて、申し訳なかった。
そして私は、意識を手放した。
私は、こうして死んだんだ。
繋がった記憶。折り重なるみんなの思い。
この記憶を無くさなかったら、無色のままだった。私は単調な色しか、つけることができなかった。でも、みんなを知った。色を知った。
お別れを、しないといけない。
この世界に、みんなに……。
私はベッドから起き上がった。今日は学校がある。愛里はまだ寝ていた。
今日で終わるから、もうちょっと待ってね。
私は愛里を撫でて、身支度をする。念入りに櫛で髪をとく。
そして朝ご飯を食べて、いつもより早めに家を出た。
向かったのは私のお墓。朝霧がうっすらとかかっている墓地は、少し不気味だった。
私はその前で静かに手を合わせる。
おばあちゃん。私、全部わかったよ。
私ね、みんなが大好きだった。私は弱くて、間違いもたくさんしたけど、そんな自分が、一番好き……。
私は鞄から手紙を三通取り出して墓石の上に置いた。家族に宛てた手紙だ。
一生分のありがとうを込めた手紙。
これを読んで、少しでも明日を楽しみにできればと思う。私は、笑ってる家族が好きなんだ。
つまらないギャグで笑いの中心だったお兄ちゃん。
仕事ばっかりだったけど、運動会で一緒に走ってくれたお父さん。
いつもおいしいご飯を作ってくれたお母さん。
みんな、みんな大好き。
私は眼を開けて、すっと息を吸った。
「行ってきます」
私はにっこり笑って学校へと歩きだした。
いってらっしゃい、と言ってくれているのを感じながら……。