最後のカケラ
翌日は雨だった。
どんよりと重い雲から、雫がしとしと降っている。
窓の外を眺めて私はため息をつく。
何もこんな日に降らなくてもいいのに……。
傘さして行かないとね。
私はお気に入りの服に着替えて、公園へと向かった。
待ち合わせは家から数十分歩いた所にある公園だった。けっこう大きい所で、よく待ち合わせに使われる、噴水のある綺麗な公園だ。
私は横断歩道を渡って、公園へと入った。
そして首を巡らせ愛沢さんを探す。
愛沢さんはピンクの傘をさして、噴水の前に立っていた。
「愛沢さん、おはよ。待った?」
愛沢さんは私を見ると、安心したような顔で、
「別に」
と言葉を返した。
「雨降ってるけど、場所移す?」
「ううん。ここでいい」
愛沢さんの顔は、傘で隠れて見えなくなった。
私は愛沢さんの言葉をじっと待つ。
愛沢さんは、何かを覚悟している、そう私は思った。
「突然ごめんね。でも、愛里には知っておいてほしかったの。あの子と、同じものを感じさせる貴女には」
愛沢さんはゆっくり、言葉を選んで話していた。
「あのね、愛里。深雪ね、深雪はね…………私が殺したのよ」
小さな声だけど、芯の通った声だった。
私は息が苦しくなる。それは、真実だから。
私は愛沢さんにいじめられて、自殺した。
憎いはずなのに、愛沢さんの告白が苦しい。
「あの日、私は深雪をここに呼び出したの。話をするために」
私は伏せていた顔をあげた。愛沢さんの顔は見えない。そして、その話を私は知らない。
「は、話?」
「そう、私が深雪をいじめてた理由を、言うつもりだった……」
知らない。そんなの記憶にない。
私の頭は混乱していく。聞きたいのに、聞きたくない。知るのが怖い。
「なん、で?」
「……その前日に、訊かれたから。いつものようにいじめてたら、突然怒りのこもった目で見られて、理由を訊かれた」
嘘だ。そんなことできるはずがない。私はあんなに愛沢さんが怖かったのに。
「……深雪が?」
「そう。約束をしたって、言ったの。あなたには負けないって……」
約束……千春との? 私は、あれに勇気をもらった……?
「だから呼び出したの。ほんとは、いじめてる自分が、嫌で……怖かったから」
だけど、死んだのは私なんだ。私が死んだのは、誰でもない、自分の弱さのせい……。
「でも、深雪はこなかった。約束の時間を一時間も過ぎても来なかった。私は腹が立ったわ……明日からもっとひどいことをしてやろうって思った。そして次の日…………私は深雪が事故に遭ったことを、知ったの」
ゆっくりと紡がれる言葉は、欠けていたピースのように私の中にはまっていった。
「担任が来て、深雪の事故を告げた時、すぐに私のせいだってわかった。深雪は、私に会いにこようとして事故に遭ったのよ。私が呼び出していなければ、場所を変えていれば……あの子は生きていた」
「……事故、で、死んだ?」
私は、自殺してない……? 車? 事故?
「そうよ……私が、殺したのよ!」
張り裂けるような愛沢さんの叫びに、私は傘を手放して愛沢さんの傘に入った。
愛沢さんは、泣いていた。
自分を責めて、ずっと責め続けていた。
私は力強く愛沢さんを抱きしめた。とめどなく涙が溢れる。
「違う、愛沢さんの、せいじゃない。誰も悪くなんて無い」
愛沢さんは力なく首を横に振った。
「誰かに許して欲しいなら、私が許すから。そんなに自分を責めないで……」
私が流している涙は、悔し涙だった。
愛沢さんがこんなに苦しんでいたのに、私は自分のことばかりだった……
「深雪は、私を怨んでる。許しはしない」
「許す。必ず許すよ。私にはわかる」
「それでも、私は……」
私たちはしばらくそのまま泣きあっていた。
雨が音を、私たちの存在も、全てを流しているようだった。
それから、どちらからともなく、さよならを言って、公園を後にした。
悲しみや、後悔や、寂しさや、悔しさが私の中で渦巻いていた。
ただ、これだけは分かった。
これが、最後のかけらだ……。
記憶は繋がった。繋がって、しまった……。
家に帰り、私の部屋のドアを開けると、そこに部屋はなかった。
ここに来た時と同じ、真白な世界。
私の姿は深雪に戻っていた。
目の前に、おばあさんと人間の愛里がいた。
いつも鏡で見る姿と同じ愛里は、駆け寄るなり私を抱きしめた。
「おめでとう、深雪!」
私はすぐに言葉がでない。本当なら、飛び上がって喜ぶはずなのに、ずっとそう願っていたはずなのに、嬉しさを感じられなかった。
「全ての記憶が集まったわ。これで帰れるのよん」
おばあさんは上を指さした。そこには落ちてきたのと同じ穴。その奥には天井が見える。
おそらく、おばあさんの家の天井だ。
「帰る……」
「そうよん。やっと死ねるわよん」
死ぬ……。
そう考えたら、涙が出てきた。私はとっくに死んでいるのに、また死ぬのが怖い。
みんなに、もう会えない……。やっと、仲良くなれたのに。やっと、みんなの本当の姿を知ったのに……。
もう、会えないの?
「どうしたの? 深雪」
愛里が心配そうに私の顔を覗き込んだ。
愛里……いつも、私を支えてくれた。愛里には愛里の人生がある。この体を返さないといけない……でも。
「おばあさん。もう一度、あの世界に戻してもらえますか?」
不思議と気持ちは落ち着いていた。おばあさんは探るような目で私を見ている。
「私、やり残したことがあるんです」
「大事なものなのん?」
「はい」
おばあさんは肩をすくめ、一人上に上がっていった。
「用が終わったら、私を呼ぶのよん」
「……はい」
おばあさんが穴から出ると、景色は部屋に戻った。
私は愛里で、愛里はうさぎの人形の姿だ。
「深雪? 何をするの?」
私は愛里の心配そうな声を聞きながら、机の前に座った。
「私の、生きた証を残すの」
私はペンを握る。
私は、まだ何も返せていない。まだ、間に合う。まだ、終わりじゃないの……。
終わりそうに見えて、まだです。あと少し、お付き合いをお願いします。