ごめんなさい
「俺の知ってる神崎からは想像もつかないな」
愛沢さんが一通り話し終えると早川君がそう呟いた。
当の本人の私は口が開いたまま塞がらない。
愛沢さんが話し出してすぐにさくらちゃんのことは思い出した。
そして、そのことに気づかなかった自分がすごく恥ずかしくなった。
「再会した時、すぐにわかったわ。髪も長くなってたけど深雪だったから」
「じゃぁなんで……」
早川君は言いかけてやめた。
だけどその続きは分かる。
“じゃぁなんでいじめたんだ”
愛沢さんはついと視線を写真に落とした。
「八当たり……だったのかもね。深雪を見てると昔の私を見てるみたいで……人に馬鹿にされるのを聞いても、昔みたいに言い返さない深雪に苛立ったの」
早川君は黙ったままだった。
愛沢さんは本当はね、と続けた。
「ひさしぶりって言おうと思ったのよ。そしたら怯えた顔をしたから……昔の私が重なって気付いたら酷い言葉を吐いていたの」
“何? その顔。何が怖いの?”
覚えている。愛沢さんが私に最初に言った言葉だ。
「言ってからすごく後悔した……けどさらに怯えた深雪を見て我慢出来なかったの」
“言いたいことがあるならはっきりといいなさいよ!”
昔の深雪はこんなんじゃなかったじゃない!
私に、あんなに元気に笑いかけてくれたじゃない!
「後で謝って、それで今度は昔のお礼もしようと思ってたの。でも、次の日からクラスの子たちが深雪をいじめ始めて、私はそのリーダーになってた。毎日謝ろうって思ってたのに、いじめがエスカレートするにつれて、謝って、私がさくらだってばれて、嫌われるのが怖くなったの」
最低でしょと最後に愛沢さんは呟いた。
私は愛沢さんが話す真実に、涙がこみ上げてきた。
私は今愛里なんだと言い聞かせても止まらない。
悔しいのか嬉しいのか悲しいのか。わけのわからない涙で視界が霞んだ。
愛沢さんが伝えてくれたんだから……私も、伝えなきゃ。
「深雪は……そのさくらちゃんと会わなくなったころから、いじめられたの」
「え?」
愛沢さんが顔を上げて、早川君が息を飲む音が聞こえた。
その始まりも突然だった。いつものように男の子たちとはしゃいでたらいきなり首根っこを掴まれた。
驚いて振り返ると、仲良く遊んでいた友達たちが立っていた。
「うざいって。いつも笑ってばっかでムカつくって……」
どういうことって言ったら、そうやっては向ってくるとこが可愛くないのだと蹴られた。
「みんなで無視して、私もその一人だった」
私も、自分自身を無視した。
自分がどうなっていても、他人ごとのように振舞っていた。そうすると、少し楽だったから。
そうやって私は逃げたんだ。
「その少し後に、深雪は親の都合で転校することになって」
正直嬉しかった。せいせいして、もうあんな奴らと一緒にいなくてすむと思うと転校が楽しみだった。
「深雪とはそれからはメールでしかやりとりはなくなったの」
そして転校先ではなるべく大人しくひかえめでいるようにした。
「はしゃいでるとまたいじめられるからって、彼女は言ってた」
友達もあまり作らなくなった。
「だけど、こんどは地味で暗いって理由でいじめられるようになった」
その時仲の良かった子まで私の悪口を言っているのを聞いて、何も信じられなくなった。
それで、どんどん自分の殻にこもっていった。
いつも伏し目がちで、誰かと目があったら何かを言われそうで怖かった。
「私が聞いたのはここまで……」
そっと二人の表情を盗み見ると二人とも辛そうにしていた。
たぶん、自分自身を責めている。
それは私も一緒……。
もう私には伝えることしかできない
私たちはしばらく黙ったままだった。
それぞれが心のなかで深雪と話している。
私は、記憶が繋がっていくのを感じた。
それは失った記憶ではなく、遠い過去の封じ込めていた記憶。
そしてそれは愛沢さんが帰ろうと言うまで繋がり続けた。
階段を下りて玄関に向かう途中、リビングにお兄ちゃんがいた。
お兄ちゃんは私たちに気づいて、顔をこちらに向けた。
お兄ちゃんはソファーに座って時計を眺めていたらしい。
再び時計を見て、もうこんな時間かと低く呟いた。
「あの日から、時間が止まったみたいでね……二人は、深雪とはどういう関係だったんだい?」
「私は小学校のころの友達で……たびたびメールをしてたんです」
お兄ちゃんに敬語を使う違和感と寂しさとが同時に押し寄せる。
「俺は……神崎が好きだったんです」
「深雪を…?」
これにはお兄ちゃんも驚きを隠せないらしい。
早川君……聞いてるこっちは恥ずかしいんですけど。
「そう、か。じゃあもしかしたら俺の義弟になってたのかもしれないんだな」
そう言って笑う声にも力は無くて、表情からも悲しさが消えることは無かった。
お兄ちゃん……。
私はこんなお兄ちゃんは知らない。
私の知っているお兄ちゃんはいつもくだらないギャグを言って家族を笑わせていた。
「深雪にはこんな姿見せられないな……きっと笑われる」
お兄ちゃん、気づいて。
私だよ! 深雪だよ! ここにいるのに……。
私は強く唇を噛みしめた。そうでもしないとまた涙がこぼれそうだった。
その時、玄関の扉が開く音がした。
音につられて全員の視線がそちらに注がれる。
リビングのドアを開けて入ってきたのはお父さんだった。
お父さんは少し驚いた顔で私たちを見たけど、すぐに痛々しく微笑んだ。
「いらっしゃい。深雪のお友達だね」
お父さんは持っていた花をテーブルに置いた。
もしかして……毎日取り替えてるの?
確かに行くたびに花の種類は変わっていた。
だけど、そんな……。
「あ、あの、おか……おばさんは?」
私は訊かずにはいられなかった。
お母さんの仕事は三時には終わる。普通ならこの時間は家にいるはずなのに
「たぶん墓だよ」
お兄ちゃんが時計を見ながら答えてくれた。
「いつもこの時間帯はそこにいる」
「あの、ごめんなさい……変なこと訊いて」
違う! そんなことを謝りたいんじゃないのに。
どうしても、ごめんなさいと言えなかった。
死んで、ごめんなさいと。
私はわかって無かったんだ。
死んだら、みんなが悲しむってこと。
お兄ちゃんも、お父さんもお母さんも、みんなの人生を変えてしまうってこと。
私は体が震えるのを必死で押し殺していた。
なんで、死にたいなんて思ったんだろう。
なんで自殺なんてしてしまったんだろう!
ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい!
「……今日は、お邪魔しました」
代わりにでた言葉はカラッカラで、私は家族に背を向けて家から出た。
数歩歩くと涙で前が見えない。
声を押し殺そうとするけど、難しくて、歩くたびにその振動で胸の栓が抜けそうだった。
だいぶ歩いて、曲がり角まで来た時、二人がふいに私の頭を撫でた。
もう、限界だった。
胸の栓が弾け飛んで、私は声を上げて泣き出した。
愛沢さんがそっと抱きしめてくれる。
早川君も頭を撫でてくれた。
二人の優しさが嬉しくて、だけど申し訳なくて。彼らを騙しているのが辛くて。
ただ私はごめんなさいとうわ言のように繰り返していた。
家に帰っても、何もやる気が起きなくて、すぐにベッドにもぐりこんだ。
愛里はそんな私を気遣ってか、何も言わずに傍にいてくれた。
私は何も知らなかった。
何も知ろうとはしなかった……それがどれだけ罪なことかも知らずに。