第50話「静寂の中で」
新しいアパート。
慎吾が引っ越してきた。場所は、かつてのイエローゾーンだった地域。今は、普通の住宅街になっている。
慎吾が荷物を片付ける。段ボール箱を開け、中身を出す。
家具は最低限だ。ベッド、机、椅子。それだけ。
慎吾が窓の外を見る。
子供たちが公園で遊んでいる。笑い声が聞こえる。老夫婦が散歩している。手をつないで歩いている。
日常がある。平和がある。
慎吾が呟く。
「……静かだ」
魔物の気配はない。戦う必要もない。
慎吾が机に座る。何をするでもなく、ただ座る。
部屋の中に、静寂だけがある。
慎吾が左腕を見る。普通の腕だ。紋様はない。
「お前はいない」
その言葉が、静かに流れる。
慎吾が第七班の写真を机に置く。六人が笑っている写真。
「……みんなも、いない」
慎吾が窓の外を見る。
「だが、俺は生きている」
その言葉には、まだ実感がない。
数日後。
慎吾がハローワークに来ていた。
窓口の職員が、慎吾を見る。
「お名前は」
「柊慎吾です」
「年齢は」
「26歳です」
職員がパソコンに入力する。
「前職は」
慎吾が少し躊躇する。
「……魔法使いです」
職員が頷く。
「……そうですか。では、特技は」
慎吾が答える。
「……特にありません」
職員が求人票を見せる。
「工事現場の作業員、倉庫の管理、清掃員……」
慎吾がリストを見る。
「……清掃員でお願いします」
職員が頷く。
「分かりました。面接の日程を調整します」
数日後。
慎吾が清掃員として働き始めた。オフィスビルの清掃だ。
朝早く出勤する。制服に着替える。モップと雑巾を持つ。
慎吾が廊下を掃除する。
モップで床を拭く。窓を拭く。ゴミを捨てる。
単純な作業。繰り返しの作業。
だが、慎吾は丁寧にやる。一つ一つ、確実に。
同僚が慎吾に話しかける。
「柊さん、真面目だね」
慎吾が顔を上げる。
「……そうですか」
同僚が笑う。
「うん。丁寧にやってくれるから、助かるよ」
「……ありがとうございます」
同僚が続ける。
「頑張ってね」
慎吾が頷く。
「……はい」
仕事が終わる。
慎吾がアパートに帰る。
疲れている。体が重い。
だが、魔物と戦っていた時の疲れとは違う。
あの時の疲れは、命を削る疲れだった。死と隣り合わせの疲れだった。
今の疲れは、ただの疲れだ。普通の疲れだ。
慎吾がベッドに横になる。
「……これが、普通なのか」
その言葉が、天井に消える。
ある夜。
慎吾が一人でアパートにいる。
テレビをつける。ニュースが流れている。
「復興が進んでいます」
「魔物パンデミックから3ヶ月」
「人々の生活は、徐々に元に戻りつつあります」
画面には、笑顔の人々が映っている。子供たち、家族、老人たち。
慎吾がテレビを消す。
静寂。
慎吾が左腕を見る。普通の腕だ。
「……お前はいない」
慎吾が窓の外を見る。街の灯りが見える。
「第七班の罪も、消えない」
慎吾が呟く。
「橋本の死も、変わらない」
慎吾が立ち上がる。部屋の中を歩く。
「……何も終わらなかった」
その言葉が、部屋に響く。
慎吾が立ち止まる。
「だが、世界は救われた」
慎吾が窓の外を見る。
「人々は笑っている」
「魔物はいない」
慎吾が座る。机に座り、第七班の写真を見る。
「……これでいいのか」
答えは出ない。
慎吾が写真に触れる。
「美咲。河村。田中。佐々木。岡本。橋本」
一人一人の名前を呼ぶ。
「……すまない」
その言葉は、謝罪なのか。それとも、報告なのか。
慎吾は分からない。
ただ、言う。
「世界は……救われた」
静寂。
慎吾が写真を机に戻す。
「でも、俺は……まだ、救われていない」
その言葉が、真実だ。
世界は平和になった。人々は笑っている。
だが、慎吾の心は、まだ救われていない。
罪は消えない。記憶も消えない。
慎吾が立ち上がる。
「……それでも、生きる」
その言葉には、少しずつ決意が宿っている。
翌朝。
慎吾が仕事に行く。
清掃の仕事を続ける。
廊下を掃除する。窓を拭く。ゴミを捨てる。
昼休み。
同僚たちと一緒に弁当を食べる。
同僚が話しかける。
「柊さん、休みの日は何してるの」
慎吾が答える。
「……特に何も」
同僚が笑う。
「じゃあ、今度飲みに行こうよ」
慎吾が驚く。
「……いいですか」
同僚が頷く。
「もちろん! みんなで行こう」
慎吾が微かに笑う。
「……はい」
午後。
慎吾が窓を拭いている。
窓の外を見る。
青い空が見える。雲が流れている。
亀裂はない。魔物もいない。
ただ、青い空だけがある。
慎吾が呟く。
「……生きるか」
その言葉には、47話、48話よりも、少しずつ実感が伴っている。
生きる。それが、左腕との約束だ。
生きる。それが、みんなとの約束だ。
慎吾が窓を拭き続ける。
丁寧に、一つ一つ。
その動作には、静かな決意がある。
生きる。普通の人間として。
罪を背負いながら。記憶を抱えながら。
それでも、生きる。
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