第43話「エマの説明」
慎吾のアパート。朝。
慎吾は窓際に座り、一枚の紙を見つめていた。エマ・ラーソンの連絡先が書かれた紙だ。三十七話で受け取ってから、ずっとポケットに入れていた。
『エマに会うのか』
左腕が問う。
「ああ」
慎吾が答える。
『なぜだ』
「……真実を知りたい」
『知って、どうする』
慎吾が紙を見る。
「分からない。だが、知らなければ何も始まらない」
慎吾は陽菜との会話を思い出す。「一緒に考えよう」と言った。だが、考えるには情報が足りない。真実を知らなければ、選択肢すら見えない。
慎吾が携帯電話を取り出し、番号を押す。呼び出し音が三回鳴る。そして、声が聞こえる。
「はい、エマ・ラーソンです」
「……柊慎吾だ」
電話の向こうで、わずかな間がある。
「ミスター・ヒイラギ。お待ちしていました」
慎吾が眉をひそめる。待っていた、という言葉。まるで、自分が連絡することを予測していたかのような。
「……会いたい。話を聞きたい」
「分かりました。場所を指定します」
エマが住所を告げる。廃墟の一角だ。
「一時間後に」
「分かった」
電話が切れる。慎吾は携帯電話を置き、立ち上がる。
『……本当に行くのか』
左腕が再び問う。その声には、何かが混ざっている。不安か。それとも期待か。
「行く」
慎吾がパーカーを羽織る。左腕の紋様が、袖の下に隠れる。
一時間後。
指定された廃墟の一角。かつてオフィスビルだった建物の残骸だ。エマが待っていた。白いスーツを着て、冷たい青い瞳で慎吾を見ている。
「来ていただき、ありがとうございます」
エマが言う。
「……話を聞かせてくれ」
慎吾が答える。
「はい。ですが、その前に」
エマが慎吾の左腕を見る。
「左腕を見せていただけますか」
慎吾が少し躊躇する。だが、ここまで来て隠す意味はない。袖を上げる。黒い紋様が、肩を超えて胸の一部まで伸びている。
エマが近づき、小さな測定装置を取り出す。それを慎吾の左腕に当てる。数値が表示される。エマがそれを確認し、頷く。
「……予想通りです」
エマが測定器を下ろし、慎吾を見る。
「あなたの左腕は、魔王の一部です」
慎吾の体が固まる。
「……魔王」
「はい」
エマが資料を取り出す。グラフと図が描かれた紙だ。
「説明します。座ってください」
二人が瓦礫の上に座る。エマが資料を広げる。
「魔物は、別世界の生命体です。これは既にお伝えしました」
慎吾が頷く。
「本来、魔物は知性を持ち、社会を形成していました。現在の無秩序な状態は、異常なのです」
エマが図を指差す。そこには、ピラミッド型の階層構造が描かれている。
「その世界の頂点に、『魔王』がいました。生態系全体を統制する存在です」
「約五百年前、魔王は勇者に敗北し、封印されました。封印の際、魔王の肉体が分断され、欠片が各次元に散りました」
エマが慎吾の左腕を見る。
「あなたの左腕は、魔王の左腕そのものです」
慎吾が自分の左腕を見る。紋様が、微かに脈動している。
エマが続ける。
「魔王の不在により、魔物の生態系が崩壊しました。現在の魔物は、『王を失った兵士』のようなものです。統制を失い、無目的に暴れている」
「もし魔王が復活すれば、魔物は元の世界へ帰ります。魔素も減少します」
慎吾が静かに問う。
「……つまり、俺の左腕を失えば、魔王が復活する」
エマが頷く。
「理論的には、はい。ただし、左腕だけでは不十分です」
「何が必要だ」
「魔素濃度がLevel 5に達する必要があります」
慎吾が眉をひそめる。
「Level 5……」
「現在、大気中の魔素濃度はLevel 3から4の間です。あと少しです」
慎吾が理解する。魔物を殺せば、魔素が増える。Level 5に達すれば、魔王が復活する条件が整う。
「……魔物を殺し続ければ、Level 5に達する」
「はい」
慎吾が窓の外を見る。廃墟が広がっている。その中で、魔物が徘徊している。
「俺が魔物を殺し続ければ、魔素が増える。Level 5に達すれば、魔王が復活する。魔物が元の世界へ帰る」
「その通りです」
エマの声は、冷静だ。感情がない。ただ、事実を述べているだけ。
慎吾が静かに問う。
「……俺が左腕を失えば、どうなる」
エマが答える。
「左腕は失われます。おそらく、再生もしないでしょう」
慎吾が自分の左腕を見る。二年間、共に戦ってきた左腕。第七班壊滅事件の日から、ずっと一緒にいた左腕。
左腕は何も言わない。珍しい沈黙だ。
エマが立ち上がる。
「判断は、あなたに任せます」
慎吾が顔を上げる。
「……なぜ、俺に任せる」
「あなたの左腕です。あなたの人生です。私が決めることではありません」
エマが去ろうとする。だが、立ち止まり、振り返る。
「ミスター・ヒイラギ。あなたは、世界を終わらせるための魔法使いです」
その言葉を残して、エマが去る。
慎吾は一人、廃墟の中に残された。
しばらく座っていた後、慎吾が立ち上がる。歩き始める。目的地はない。ただ、歩いている。
『……聞いていたか』
左腕が語りかける。
「ああ」
『俺は、魔王の一部だ』
「……そうらしいな」
『お前は、どうする』
慎吾が立ち止まる。
「……分からない」
沈黙が流れる。風が吹き、瓦礫が音を立てる。
『俺が本体に戻れば、お前は左腕を失う』
「ああ」
『それでも、やるのか』
慎吾が左腕を見る。
「……お前は、どうしたい」
左腕が答える。
『……分からない』
慎吾が驚く。左腕が「分からない」と言うのは、初めてだ。これまで、左腕は常に明確だった。目的も、判断も、全てが明確だった。だが今、迷っている。
『本体に戻ることは、俺の本能だ。だが……』
「だが?」
『お前との時間は……悪くなかった』
慎吾が何も言わない。ただ、左腕の言葉を聞いている。
『俺は、お前と共に戦った。お前の苦しみも見た。お前の決意も見た』
『……俺は、人間になりたいわけではない。だが、お前のような人間は……嫌いではない』
慎吾が小さく笑う。
「……そうか」
『だから、分からない』
慎吾が自分の左腕を見る。紋様が、微かに揺れている。まるで、生きているかのように。
「……俺も、お前との時間は、悪くなかった」
慎吾が歩き始める。
「第七班壊滅事件の日から、ずっと一緒だった」
「お前がいなければ、俺はとっくに死んでいた」
『……ああ』
「だが」
慎吾が立ち止まる。
「世界を救うには、お前を失わなければならない」
『……そうだ』
慎吾が空を見上げる。夜空に、亀裂が見える。
「選択肢は二つだ」
慎吾が指を折る。
「魔物を殺し続ける。Level 5に達する。魔王が復活。左腕を失う。世界が救われる」
「魔物を殺すのをやめる。魔素濃度は上がらない。だが、人が死ぬ。世界は救われない」
慎吾が呟く。
「……どちらを選んでも」
『犠牲がある』
「ああ」
慎吾が歩き始める。アパートに向かう。
その途中で、慎吾は決めた。
慎吾が立ち止まり、空を見上げる。
「決めた」
『……何をする』
「魔物を殺し続ける。Level 5まで」
『……そうか』
慎吾が静かに言う。
「お前と……別れることになる」
『……ああ』
沈黙。だが、それは悲しみの沈黙ではない。二人の、静かな決意だ。
慎吾が歩き始める。
「お前が本体に戻るまで、俺は戦い続ける」
『……分かった』
「だが、それまでは」
慎吾が左腕を見る。
「一緒に戦おう」
『……ああ』
慎吾の目に、決意が宿る。絶望はまだ残っている。だが、その中に、小さな光がある。目的という名の、光だ。
慎吾が夜空を見上げる。亀裂が、微かに光っている。
「終わらせる。全部を」
その言葉が、夜の廃墟に響く。
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