第41話「慎吾の絶望」
夜。
慎吾のアパート。慎吾は遥との戦闘でできた傷を治療していた。左腕の再生能力で致命傷は治っているが、浅い傷は残っている。包帯を巻き、痛み止めを飲む。
ドアがノックされる。
慎吾が警戒しながらドアを開ける。森川が立っていた。
「柊。話がある」
慎吾が森川を部屋に入れる。二人とも座る。しばらく沈黙が続く。森川は何かを言おうとしているが、言葉が出ない。
慎吾が先に口を開く。
「……何だ」
森川が深く息を吐く。
「お前に、伝えるべきことがある。対策室からは口止めされているが……俺の判断で話す」
慎吾が森川を見る。森川の表情は、いつになく重い。
「……何を」
森川が資料を取り出す。グラフが印刷された紙だ。二つのグラフが並んでいる。
「魔物討伐と、魔素濃度の関係だ」
森川が説明を始める。美咲の発見。魔物の体内に魔素が蓄積されていること。死ぬと、その全てが大気中に放出されること。観測データとの照合。完璧な正の相関。
慎吾の手が止まる。包帯を巻いていた手が、宙に浮いたまま動かない。
森川が続ける。
「魔物を殺すと、体内の魔素が全て大気中に放出される。それが魔素濃度上昇の主因だ」
慎吾の視線が、グラフに固定される。二つの曲線が、まるで鏡に映したように一致している。
森川が静かに言う。
「つまり……お前の戦いは……」
慎吾が、その言葉を引き取る。
「逆効果だった」
森川が頷く。
「……ああ」
部屋の空気が変わる。重くなる。まるで、何かが押し潰されたかのように。
慎吾は何も言わない。ただ、グラフを見つめている。その目には、何かが消えていく。
長い沈黙が続く。森川も、何も言わない。言葉がない。
慎吾が静かに立ち上がる。窓の方へ歩き、外を見る。夜の廃墟が広がっている。
「……俺が殺した全部が」
森川が立ち上がる。
「柊……」
慎吾が続ける。
「第七班の後。この二年間。何百体も殺した」
慎吾の声は静かだ。だが、その静けさが恐ろしい。感情がない。まるで、空っぽになったかのような声だ。
「全部……無駄だった。いや、逆効果だった」
慎吾が自分の手を見る。その手は、何百体もの魔物を殺してきた手だ。
「この手で殺した全てが……魔素を増やした」
『……慎吾』
左腕が語りかける。だが、慎吾は答えない。
慎吾が左腕を見る。
「お前も、知っていたのか」
『いや。だが、魔素が増えているのは感じていた』
「なぜ言わなかった」
『お前が強くなりたいと望んだからだ。魔素が増えれば、俺も強くなる。お前も強くなる』
慎吾が静かに笑う。笑い声はない。ただ、口元が歪む。
「……そうか」
慎吾が壁に手をつく。だが、叩くわけではない。ただ、触れるだけ。力が入らない。
森川が前に出る。
「柊……お前のせいじゃない」
慎吾が森川を見る。
「俺のせいだ」
森川が言葉を詰まらせる。
「誰も、知らなかった。お前だけじゃない。俺たちも、政府も、誰も……」
慎吾が遮る。
「俺が、何も考えずに殺し続けた」
慎吾が再び窓の外を見る。
「終わらせるために、と言いながら。ただ、殺していた」
森川は何も言えない。慰めの言葉が、全て無力に思える。
慎吾が呟く。
「第七班のみんなも……無駄死にだったんだ」
その言葉が、部屋に沈む。森川は拳を握りしめるが、何も言えない。
慎吾が座り込む。床に座り、膝を抱える。まるで、子供のように。
森川が慎吾の横に座る。何も言わない。ただ、そこにいる。
時間が過ぎる。どれくらい経ったのか、分からない。
森川が立ち上がる。
「……俺は行く。だが、柊」
慎吾が顔を上げる。
「お前は、一人じゃない」
慎吾は何も答えない。森川が部屋を出る。ドアが閉まる音が、静かに響く。
しばらくして、再びドアがノックされる。
慎吾が開ける。陽菜が立っていた。
「……白石」
陽菜の目は赤い。泣いていたのだろう。
「柊さん……聞きました。魔物討伐が……」
慎吾が答える。
「ああ。逆効果だった」
陽菜が部屋に入る。二人とも座る。陽菜は慎吾を見つめている。
「……私も、ショックでした」
慎吾が窓の外を見る。
「そうか」
陽菜が続ける。
「でも……柊さんのせいじゃないです」
慎吾が静かに言う。
「俺のせいだ」
陽菜が首を振る。
「違います。誰も知らなかった。誰も……」
慎吾が陽菜を見る。その目は、冷たい。
「……お前に何が分かる」
陽菜が言葉を失う。
慎吾が続ける。
「お前は、誰も殺していない。だが、俺は殺した。何百体も。そして、全部が逆効果だった」
陽菜の目から、涙が溢れる。
「それでも……柊さんは……」
慎吾が問う。
「何だ」
陽菜が震える声で言う。
「柊さんは、世界を救おうとしていた」
慎吾が静かに笑う。
「救えなかった。逆に、悪化させた」
陽菜は何も言えない。言葉が出ない。陽菜の「希望」という言葉が、全て無力に思える。
慎吾が立ち上がる。
「もう、帰ってくれ」
陽菜が立ち上がる。ドアの方へ歩く。だが、ドアの前で振り返る。
「柊さん……一人にならないでください」
慎吾は答えない。ただ、窓の外を見ている。
陽菜が去る。ドアが閉まる。
慎吾は、再び一人になった。
部屋の中で、慎吾は座っている。窓の外を見ている。
『……慎吾』
左腕が語りかける。
「何だ」
『お前は、どうする』
慎吾が答える。
「……分からない」
『魔物を殺すのをやめるか』
「やめたら、人が死ぬ」
『続けたら、魔素が増える』
慎吾が静かに言う。
「……どちらを選んでも、終わらない」
『……そうだな』
慎吾が窓の外を見る。夜空に、亀裂が見える。以前より小さくなっているが、まだ閉じていない。微かに光っている。
慎吾が呟く。
「何も終わらなかった」
慎吾が自分の手を見る。傷だらけの手。魔物を殺してきた手。
「この手は……何のためにあるんだ」
左腕は答えない。ただ、沈黙がある。
慎吾は窓の外を見続ける。亀裂が、微かに脈動している。まるで、生きているかのように。
慎吾の目には、何もない。感情がない。希望もない。絶望だけがある。
部屋の中に、静寂だけが残る。
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