第37話「エマ・ラーソンの来日」
対策室の会議室。
藤崎聡が、上位者たちの前に立っていた。部屋には十数名の幹部が集まり、全員が緊張した面持ちで藤崎を見ている。
藤崎「本日は、重要な来客がある」
藤崎の声は、いつもより硬い。
藤崎「国連魔物調査委員会の主任研究員。エマ・ラーソン氏だ」
その名前を聞いて、何人かの幹部が顔を見合わせる。エマ・ラーソン。世界で最も魔物の研究が進んでいる人物の一人。その名は、この業界では知られている。
藤崎「彼女が、日本に来た理由は……」
藤崎が言葉を区切る。その瞬間、扉が開いた。
エマ・ラーソンが入室する。
部屋の空気が、一瞬で変わる。
身長は百七十五センチ。金髪のショートカット。青い瞳は冷たく、感情を映さない。白いスーツを着ていて、その立ち姿には一切の隙がない。まるで、氷の彫刻のような存在感だ。
エマが日本語で言う。
エマ「お時間をいただき、ありがとうございます」
流暢で正確な日本語だが、温度がない。機械が喋っているかのような、正確さだけがある。
藤崎「エマ・ラーソン氏。こちらへどうぞ」
エマが席に座る。全員の視線が、エマに集中する。
藤崎「早速だが、何を知っているのか教えていただけますか」
藤崎の問いは直接的だ。遠回しな言い方はしない。
エマ「必要な情報のみ、共有します」
エマが答える。その言葉には、明確な線引きがある。
エマ「全てではありません」
その一言で、部屋の空気が少し重くなる。藤崎の目が細まる。情報の政治が、そこにある。エマは全てを開示するつもりはない。必要な部分だけを、自分の判断で選んで与える。
藤崎「……分かりました。では、聞かせてください」
エマが資料を取り出し、テーブルに広げる。グラフと数式が並んだ紙だ。
エマ「魔物は、別世界の生命体です」
その言葉に、部屋がざわつく。だが、エマは表情を変えずに続ける。
エマ「現在の魔物は、異常な状態にあります」
エマが資料を指差す。
エマ「別世界には、かつて生態系の頂点として存在する者がいました。その者の不在が、現在の混乱の原因です」
幹部の一人が口を開く。
幹部「頂点の存在……とは?」
エマ「詳細は控えますが、生態系を統括する存在とお考えください。その存在が不在のため、魔物は本来の行動パターンを失っています」
エマの説明は正確だが、意図的に曖昧な部分がある。「頂点の存在」という表現で、「王」という言葉を避けている。
エマ「無目的な殺戮、同族殺し、これらは全て、その不在によるものです」
藤崎「つまり……」
藤崎が前のめりになる。
藤崎「その頂点の存在が戻れば、魔物も正常に戻るということですか」
エマ「理論的には、はい」
その答えに、部屋が再びざわつく。だが、エマは続ける。
エマ「ただし」
エマが藤崎を見る。
エマ「現時点で確認には、左腕のサンプルが必要です」
藤崎の目が鋭くなる。
藤崎「……柊慎吾の左腕のことですか」
エマ「はい」
静寂。藤崎とエマが視線を交わす。その間に、政治的な駆け引きがある。情報と協力。開示と要求。エマは慎吾の左腕を欲している。藤崎は、それを知っている。
藤崎「……彼に接触する予定は」
エマ「これから」
エマが立ち上がる。
エマ「協力に感謝します」
その言葉を最後に、エマは会議室を出た。扉が閉まると、部屋には重い空気だけが残る。
夕方。
イエローゾーンの廃建物。慎吾がレッドゾーンから戻る途中、建物の影に人影を見つけた。
慎吾が立ち止まる。
人影が姿を現す。エマ・ラーソンだ。
エマ「ミスター・ヒイラギ。お時間をいただけますか」
慎吾「……誰だ」
慎吾の声は警戒している。左腕の紋様が、微かに反応する。
エマ「国連魔物調査委員会の研究員です。エマ・ラーソンと申します」
エマが一歩近づく。だが、攻撃的な動きではない。ただ、距離を詰めただけ。
エマ「あなたの左腕について、確認させていただきたいことがあります」
その言葉で、慎吾の体が緊張する。左腕が、無意識に庇われる。
慎吾「……何の用だ」
エマ「あなたの左腕は、私の理論を証明する鍵となる可能性があります。協力していただければ、世界のためになるかもしれません」
世界のため。その言葉が、空気の中に浮かぶ。慎吾は少しの間、エマを見つめる。エマの青い瞳は、何も語らない。ただ、冷たく、静かに、慎吾を見ている。
慎吾「断る」
即答だった。
エマ「理由は」
慎吾「理由はない。断る」
慎吾の声に、迷いはない。エマは表情を変えず、ただ頷いた。
エマ「……分かりました」
エマは、それ以上追わない。感情的にならない。ただ、事実として受け入れる。
エマ「気が変わった際には、連絡先はこちらです」
エマが小さな紙を取り出し、地面に置く。慎吾には渡さない。ただ、そこに置いて、立ち去る。
慎吾は紙を見る。白い紙に、電話番号とメールアドレスが書かれている。慎吾は紙を拾い、しばらく手に持っている。捨てるでもなく、捨てないでもなく。
「世界のためになる」という言葉が、頭に残っている。
慎吾は紙を折り、ポケットに入れた。
夜。
対策室の一室。エマが藤崎に報告している。
エマ「拒絶されました」
藤崎「……予想通りだ」
藤崎が椅子に座り、資料を見る。
エマ「強制する手段はありますか」
その問いは、冷静だ。感情がない。ただ、選択肢を確認しているだけ。
藤崎「今は、ない」
エマ「分かりました」
エマは、それ以上何も求めない。ただ頷き、部屋を出る。
廊下を歩きながら、エマは窓の外を見た。廃墟が広がっている。月明かりに照らされた廃墟は、まるで墓場のようだ。
エマ「柊慎吾……」
エマは独言する。
エマ「あなたが鍵です。それは、間違いない」
その言葉には、確信がある。だが、焦りはない。エマには時間がある。待つことができる。
一方、慎吾は自分のアパートにいた。
窓の外を見ながら、エマの紙を手に持っている。紙は小さく、簡素だ。だが、その重さは、慎吾の手に確かにある。
左腕『あの女。何者だ』
慎吾「国連の研究者」
左腕『左腕のサンプルを欲していた』
慎吾「ああ」
左腕『……興味がある』
慎吾が左腕を見る。
慎吾「お前が、興味があるのか」
左腕は何も言わない。だが、その沈黙には「はい」がある。紋様が、微かに揺れている。まるで、何かを感じ取っているかのように。
慎吾は紙を見つめる。「世界のためになる」という言葉が、再び頭に浮かぶ。
慎吾「……俺に、世界を救う資格があるのか」
その問いは、誰にも聞こえない。ただ、部屋の中に消えていく。
慎吾は紙を折りたたみ、ポケットに戻した。捨てることはしない。だが、使うこともしない。ただ、持っている。
窓の外で、月が雲に隠れる。部屋が暗くなり、慎吾の顔が影に沈む。
左腕の紋様だけが、微かな光を帯びて、闇の中で揺れていた。
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