第27話「長谷川の温もり」
物資回収作戦から三日が経った。慎吾は、アパートで休んでいた。体は疲れていた。連日の修行と、作戦の疲労が残っている。だが、悪い疲労ではない。まるで、運動した後の心地よい疲れのような、そんな感覚だった。
慎吾は窓の外を見る。夕日が沈みかけている。空が、オレンジから赤へ、そして紫へと変わっていく。その美しさは、いつ見ても心を落ち着かせる。
扉がノックされる音がした。
「柊、いるか」
長谷川の声だ。慎吾は扉を開ける。長谷川が立っていた。その手には、大きな鍋と、幾つかの容器がある。湯気が立ち上り、良い匂いが鼻をくすぐる。
「また、持ってきてくれたんですか」
「ああ。お前、ちゃんと食ってるか心配でな」
慎吾は扉を開け、長谷川を招き入れる。長谷川はテーブルに鍋と容器を置く。蓋を開けると、中には温かいシチューが入っている。野菜と肉がたっぷりと入った、濃厚なシチューだった。容器には、焼きたてのパンと、サラダが入っている。
「すごい量ですね」
「二人分だ。一緒に食おう」
長谷川が椅子に座る。慎吾も座る。二人は、シチューをそれぞれの皿に盛る。湯気が顔を温め、匂いが食欲をそそる。
慎吾は一口食べる。温かい。野菜の甘みと、肉の旨みが口の中に広がる。塩加減も完璧だ。
「美味しいです」
「そうか。それは良かった」
長谷川も食べ始める。二人は、しばらく黙って食事をする。その沈黙は、不快ではない。まるで、長年一緒に暮らしている家族のような、そんな自然な沈黙だった。
「柊」
長谷川が口を開く。慎吾は顔を上げる。
「俺は、昔、料理人だった」
慎吾は驚いて長谷川を見る。長谷川は、遠くを見るような目をしている。
「小さなレストランでシェフをやっていた。妻と二人で、店を切り盛りしていた」
長谷川の声は、懐かしそうだった。まるで、遠い過去を思い出しているかのような、そんな声だった。
「妻は、優しい人だった。いつも笑っていて、客にも従業員にも優しかった。俺が料理を作り、妻が接客をする。それが、俺たちの日常だった」
長谷川は、シチューを一口食べる。その顔には、微かな笑みが浮かんでいる。
「妻は、俺の料理が好きだった。特に、このシチューが好きだった。『温かくて、優しい味がする』と言っていた」
慎吾は黙って聞いている。
「だが、魔物パンデミックが起きた。店は閉めざるを得なくなった。俺たちは避難所に逃げた。だが、避難所は襲われた。D級魔物の群れに」
長谷川の声が、少しだけ沈む。
「俺は、妻を守ろうとした。だが、力がなかった。魔物が妻を襲い、俺は何もできなかった。ただ、見ているだけだった」
長谷川は、目を閉じる。その顔には、深い悲しみが刻まれている。
「妻は、死ぬ前に言った。『あなたの料理、大好きだったわ。また、食べたかったな』と。それが、妻の最後の言葉だった」
慎吾は、何も言えなかった。ただ、長谷川を見ていた。
「それから、俺は一人になった。料理を作る気力もなかった。だが、ある日、避難民の子供が言った。『おじさん、お腹空いた』と。その子の顔が、妻と重なった」
長谷川が目を開ける。その目には、涙が浮かんでいる。
「俺は、その子のために料理を作った。シチューを作った。子供が食べて、笑った。その笑顔を見て、俺は気づいた。妻が俺に残してくれたものは、料理を作る喜びだと」
長谷川は、慎吾を見る。
「だから、俺は料理を作り続ける。誰かが笑ってくれるなら、それでいい。妻も、きっと喜んでくれる」
慎吾は、長谷川の言葉を噛みしめる。長谷川も、失った。慎吾と同じように。だが、長谷川は立ち直った。人のために、料理を作り続けている。
「長谷川さん」
「何だ」
「俺、今まで、人を避けてきました。関わりたくなかった。でも、長谷川さんや、陽菜さんや、桐生さんや、冴さんが、俺に関わってくれた」
慎吾は、自分の言葉を探す。
「それが、嬉しかったです」
長谷川が笑う。その笑顔は、温かい。まるで太陽のような、そんな笑顔だった。
「お前、変わったな」
「…そうですか」
「ああ。以前のお前は、死んだような目をしていた。だが、今は違う。生きている目をしている」
慎吾は、何も答えなかった。ただ、シチューを食べ続ける。
食事が終わり、二人はお茶を飲む。長谷川が持ってきた、温かい紅茶だった。その香りは優しく、心を落ち着かせる。
「柊」
「はい」
「一人で抱え込むな。辛いときは、言え。俺が聞く」
慎吾は、長谷川を見る。その目は、真剣だった。
「ありがとうございます」
「礼はいらん。俺も、お前に助けられている」
「俺が?」
「ああ。お前がいるから、俺は料理を作る理由がある。それだけで、十分だ」
長谷川が立ち上がる。
「じゃあ、帰るか。また、持ってくる」
「ありがとうございます」
長谷川が部屋を出る。扉が閉まる音がする。慎吾は、一人になった。
窓の外を見ると、夜が訪れていた。星が瞬いている。その光は小さいが、確かにそこにある。
慎吾は、今日の会話を思い返す。長谷川も、失った。妻を。だが、長谷川は立ち直った。人のために、生きている。
慎吾は、自分の手を見る。この手で、人を殺した。だが、この手で、人を守ることもできる。長谷川が言った。「生きている目をしている」と。
慎吾は、窓を閉める。部屋に、長谷川が持ってきたシチューの匂いが残っている。その匂いは温かく、まるで誰かの存在を感じさせるような、そんな匂いだった。
慎吾は、ベッドに横になる。疲れが体を包み込む。だが、心は軽い。まるで、何かの重荷が少しだけ軽くなったかのような、そんな感覚だった。
長谷川の笑顔が、脳裏に浮かぶ。陽菜の笑顔も。桐生の優しい目も。冴の真剣な顔も。皆、慎吾を支えてくれている。皆、慎吾を一人にしない。
部屋には、まだシチューの匂いが残っている。その匂いは温かく、まるで誰かの存在を感じさせるような、そんな匂いだった。慎吾は、その匂いに包まれながら、目を閉じる。
窓の外では、風が吹いている。木々が揺れ、葉が擦れ合う音がする。その音は穏やかで、まるで子守唄のように、慎吾を眠りへと誘っていた。
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