第17話「灯火の誘い」
その日の午後、俺がグリーンゾーンの街を歩いているとき、女性が声をかけてきた。
「柊慎吾さん、ですね」
俺は立ち止まった。
女性が立っている。30代くらいで、知的な雰囲気を持っている。スーツを着ていて、髪を後ろで束ねている。目は冷静だが、どこか優しさもある。
「誰だ」
俺は警戒した。
「私は二階堂冴。灯火の会の代表です」
女性――冴が名乗る。
灯火の会。陽菜が所属している組織だ。避難民を守るために作られたと聞いている。
「用件は」
「単刀直入に言います。一緒に避難民を守りませんか」
冴が言う。その声は落ち着いていて、自信に満ちている。
俺は即座に答えた。
「断る」
冴は驚いた顔をしなかった。まるで、この答えを予想していたかのように、ただ頷いた。
「即答ですね」
「興味がない」
「なぜですか」
「俺は誰も守らない」
冴が少し考えてから、口を開いた。
「あなたの力があれば、多くの人を守れます」
「俺には関係ない」
「本当に、そう思いますか」
冴が俺を見る。その目は、まるで俺の心を見透かしているかのようだ。
「過去に、何かあったのですね」
俺は何も答えなかった。
冴は続けた。
「無理強いはしません。ただ、もし気が変わったら、いつでも灯火の会に来てください」
冴はそう言って、去ろうとした。だが、立ち去る前に振り返った。
「またお会いしましょう」
冴は去っていった。
俺は、ただそこに立っていた。
左腕が呟く。
「興味はない」
俺は歩き始めた。
その日の夕方、冴は灯火の会の拠点に戻っていた。
拠点の一室で、冴は窓の外を見ていた。夕日が沈んでいく。
ドアがノックされる。
「入って」
冴が言う。
陽菜が入ってきた。
「代表、柊さんとお話しできましたか」
「ええ。でも、拒絶されたわ」
陽菜が少し顔を曇らせる。
「そうですか…」
冴は陽菜を見た。
「焦らなくていいのよ。時間をかけましょう」
「はい」
陽菜が頷く。
「あの人は、使える駒だわ。でも、無理強いはしない。それでは逆効果よ」
冴が言う。陽菜は少し複雑な顔をしたが、何も言わなかった。
陽菜が部屋を出た後、冴は再び窓の外を見た。
冴は、柊慎吾に興味を持っていた。強力な魔法使いで、単独でレッドゾーンに入れる。そんな人間は貴重だ。灯火の会にとって、有用な存在だ。
だが、それだけではない。
冴は、慎吾の目を見た。あの目には、痛みがある。自分を責めている目だ。
冴は、その目を知っている。
なぜなら、冴自身も、同じ目をしているから。
冴には、過去がある。
魔物が出現する前、冴は高校で教師をしていた。国語の教師で、生徒たちに慕われていた。冴は教えることが好きだった。生徒たちの成長を見るのが、喜びだった。
だが、魔物が出現した日、全てが変わった。
学校に魔物が襲ってきた。生徒たちがパニックになる。冴は生徒たちを守ろうとした。避難誘導をして、安全な場所へ連れて行こうとした。
だが、全員は守れなかった。
何人かの生徒が、魔物に襲われた。死んだ。
冴は、自分の無力さを痛感した。教師として、生徒たちを守るべきだった。だが、守れなかった。
それから、冴は灯火の会を作った。生き残った人々を守るために。教え子たちを守れなかった贖罪として。
冴は窓の外を見続けた。夕日が完全に沈んで、夜が来る。
「生き残った人々を、守る」
冴は呟いた。
「それが私の贖罪」
一方、俺はアパートに戻っていた。
部屋に入ると、ドアがノックされた。
俺はドアを開けた。
長谷川が立っていた。手には、大きな鍋を持っている。
「柊くん、今日は特別だ」
長谷川が笑顔で言う。
「温かい料理を作ったんだ。一緒に食べよう」
俺は戸惑った。
「いえ、俺は…」
「遠慮するな。一人で食べるより、二人で食べた方が美味しいんだよ」
長谷川が部屋に入ってくる。鍋をテーブルに置く。
「待っててくれ。器を持ってくる」
長谷川が自分の部屋に戻って、すぐに器とスプーンを持って戻ってきた。
鍋の蓋を開ける。中には、シチューが入っている。野菜と肉が入っていて、いい匂いがする。
長谷川がシチューを器によそって、俺に渡す。
「食べて。冷めないうちに」
俺は器を受け取った。スプーンで一口食べる。
美味しい。
温かくて、優しい味だ。野菜の甘みと、肉の旨味が混ざり合っている。
長谷川も食べ始める。
「どうだい」
「…美味しいです」
「そうか。良かった」
長谷川が笑顔を見せる。
二人で、静かに食事をする。
やがて、長谷川が口を開いた。
「一人は辛いだろう」
俺は何も答えなかった。
「無理するな」
長谷川が続ける。
「頼ってもいいんだよ。人間は、一人では生きられない」
俺は長谷川を見た。
「俺は…」
「何も言わなくていい。ただ、覚えておいてくれ。お前は一人じゃない」
長谷川がそう言って、笑顔を見せる。
俺は、何も言えなかった。
食事が終わって、長谷川が鍋を片付ける。
「また来るよ」
長谷川が言う。
「ありがとうございました」
俺は頭を下げた。
長谷川が部屋を出た後、俺は窓の外を見た。
夜空に星が見える。
長谷川の優しさ。桐生の言葉。冴の提案。陽菜の笑顔。
俺の周りに、人々が集まっているが、俺はまだ関われない。
また、失うのが怖い。
俺は左腕を見た。左腕は何も言わなかった。
俺はベッドに横になった。天井を見る。
シチューの温もりが、まだ体に残っている。
久しぶりに、温かい気持ちになった。
だが、それも、すぐに消える。
俺は目を閉じた。
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