『白昼ノ参道』
“あの神社、昼しか行ったらあかんよ”
そう口にする地元の人は少ない。
だが、京都に長く住む者の中には、そう言って決して平安神宮の鳥居を夜にくぐらない者もいる。
大学院生の小野寺瑞貴は、民俗学の研究で京都に滞在中だった。
テーマは「神域と境界にまつわる都市伝承」。
中でも、平安神宮の大鳥居にまつわる奇妙な噂に興味を惹かれていた。
その噂とはこうだ。
「平安神宮の大鳥居を、正午きっかりに一人でくぐると“影が増える”」
瑞貴は興味本位で、真夏のある日、正午前に神宮前に立った。
参道の空気は静かすぎるほど澄んでいた。
大鳥居の朱が、陽炎のようにゆらめいて見える。
観光客はいるが、なぜか参道だけはぽっかりと人がいない。
瑞貴は、腕時計を確認し、正午ちょうどに鳥居をくぐった。
一歩、また一歩。
参道の白砂が足元でかすかにきしむ。
するとふいに、瑞貴の影が分裂した。
地面に映る自分の影が、ふたつに増えていたのだ。
左の影は、右よりもわずかに首の角度が違う。
腕の長さも違う。
だが、どちらも自分の動きに合わせて動いている。
瑞貴は目を逸らし、拝殿へ向かった。
その日以来、瑞貴は写真に写る自分の影に異変があることに気づく。
1枚目:通常の影。
2枚目:足元にもう一本の脚のような影が。
3枚目:自分の顔の横に、もう一つの横顔のような輪郭が。
4枚目:完全に“もうひとりの自分”が、自分に背中を重ねて立っているように見える。
そして……
5枚目には、自分の顔がまったく写っていなかった。
影が“本体”になり、自分が抜け殻になったように見えた。
恐怖に駆られた瑞貴は、民俗資料を探し、平安神宮建立の逸話にたどり着く。
平安神宮の大鳥居は、都を守る結界の一部。
だが、本来の「守護」ではなく、“あるものを封じるため”に建てられたという記録がある。
それは「影の民」と呼ばれる存在。
彼らはかつて、昼の世界を見上げるだけの存在だった。
正午、光と影が重なるとき、ほんのわずかに“入れ替え”が可能になる。
瑞貴は確信する。
もう一つの影が、自分と交代しようとしているのだ。
ある日、研究室の仲間が彼を訪ねた。
部屋の中には誰もいない。
だが、デスクの上には一枚の写真が置かれていた。
平安神宮の鳥居の下、参道を歩く瑞貴の姿。
その横に、もう一人、顔のない影の人間が寄り添うように並んで歩いていた。
そして裏にはこう書かれていた。
「僕の影を、返してください。あれは、昼に属するものじゃない」
それ以降、瑞貴の姿を見た者はいない。
ただ、平安神宮の参道では、今もたまに目撃されるという。
自分の影に向かって笑いかける、ひとりの青年の姿が――正午に、ふっと消える瞬間を。