『狐垣の家』
京都・一乗寺の住宅街。
大学生の佐伯悠真は、家賃の安さに惹かれて、古い木造の貸家に引っ越してきた。
築60年。畳は日焼けし、柱はきしむ。
だが、家の裏手に低い石の垣根が残っているのが不思議だった。
不動産屋に尋ねても、「昔からあるだけですわ」と笑ってごまかされる。
悠真は気にしなかった。
ただ、入居したその晩から、妙なことが起き始めた。
夜の2時きっかり。
庭から、「カラ……カラ……」と、小石を転がすような音が聞こえる。
初めはネコだと思った。
だが毎晩、まったく同じ時間に音がする。
ある夜、恐る恐る障子を開けると――裏庭に、白く小さな影が見えた。
狐のようだった。
けれど、異様に細長く、顔が人間のように見えた。
垣根の内側で、影は身じろぎもしない。
その翌朝、悠真は庭に出てみた。
垣根の内側には、足跡がない。だが外側には、無数の獣の足跡がある。
まるで、垣根が“結界”になっているようだった。
気味が悪くなり、地元の古道具屋に相談すると、年老いた主人が顔をしかめて言った。
「……あんた、その家、狐垣の内にあるんやな」
「狐垣?」
「あれは、昔ここらが山だったころ、稲荷の眷属を祀る場所やったんや。
祠を壊して家を建てたんやろ。そやけど、垣根だけは壊さず残した。壊せんかったんや」
「中に入ったもんは、外へ出されへん。
やけど、外のもんも、中には入れへん。
……せやから、入ってしもた人間”が一番あかんのや」
その夜、悠真は家を出ようとした。
だが玄関の扉が開かない。窓も固く閉じられている。スマホは圏外。
そして午前2時。
垣根の向こうから、カラ……カラ……という音が響いた。
狐が、何かをくわえてこちらを見ている。
それは、悠真がなくしたはずの――合鍵だった。
狐は、じっと見ていた。
まるで「返してほしいなら、代わりに何か出せ」と言っているかのように。
翌朝、近隣住民が通報して警察が駆けつけたとき、
悠真の姿はなかった。
だが裏庭の狐垣の内側には、
見たことのない小さな石像が一体、増えていた。
そして、その石像の口元には、鍵がくわえられていた。