『釘の音が聞こえる』
西岡 奈々(にしおか なな)・26歳・会社員
貴船神社の「奥宮」には、何かがいる。
それは単なる噂かもしれなかったけれど、あの夜、あの音を聞いてしまった私にとって、それは現実になった。
大学時代のサークル仲間で集まって京都旅行に来た。
もう全員社会人だけど、久々の再会ということで浮かれていた。
「丑の刻参りってさ、実在すんのかな?」
誰かがそう言い出して、深夜の肝試し的ノリで貴船へ向かうことになった。
午前2時。
タクシーの運転手が、嫌そうな顔をして言った。
「……あのへん、ほんまに出ますよ。
白い女の影と、釘を打つ音がするんです」
それでも私たちは笑っていた。
そのときまでは。
貴船口で車を降り、奥宮へ続く参道を歩く。
木々が生い茂っているせいか、月明かりも届かない。
湿った土の匂いと、妙に濃い空気が肺にまとわりつく。
途中で、私だけ少し道を外れてしまった。
石段を踏み外し、崖の斜面に転げ落ちて、息を呑んだ。
そこには――白装束の女がいた。
灯籠の明かりに照らされ、女は木に藁人形を打ちつけていた。
長い黒髪。
足元は裸足で血だらけ。
頭には、逆さにした鉄輪にロウソクを立てた“あの姿”。
その姿を見た瞬間、私は息を飲んで立ちすくんだ。
すると、女がこちらを振り返った。
顔が、見えない。
見てはいけないものを見た――そう本能が叫んでいた。
逃げようとしたとき、
カン……カン……
耳のすぐ近くで、釘を打つ音がした。
気づけば、私は本殿の鳥居の前で気を失っていたらしい。
他の友人たちは、私がいないことに気づいて探していた。
「スマホも鳴らないし、どこ行ってたの?」
そう言われて確認すると、スマホには圏外の表示。
にもかかわらず――録音アプリが勝手に起動していた。
録音された音声には、こう記録されていた。
「……見たな」
「あんたも、打たな、終われへんのやろ?」
そして、
最後に自分の声で、「ごめんなさい」と録音されていた。
私は、そんなことを言った記憶がない。
それからというもの、夜になると、どこからともなく釘の音が聞こえるようになった。
私の部屋にも、オフィスにも、電車の中でも――
誰かを恨んだ覚えなんてない。
誰かを呪いたいと思ったことも、ない。
でも、誰かが言った。
「丑の刻参りはね、見ただけでも“対象”になっちゃうんですよ。
見た人がいれば、その呪いは“引き継がれる”んです」
だから今夜も私は、夢の中で
白装束を身につけ、誰かの名前を藁に書いている。
打たないと、終われない。
見たからには、順番”があるらしい。
カン……カン……
カン……カン……