『飛び降りノ女』
彼女は、笑いながら「ここから落ちたら、何が見えると思う?」と言った。
清水坂の喧騒を抜け、夕暮れどきにたどり着いた清水寺。
観光地として有名なこの場所に、彼女は“映える”ためだけに現れた。
名前は柊さつき。
黒髪ストレート、長身、派手すぎない服装に、控えめな口調。
だが、瞳の奥に異様な“空白”があった。
彼女がSNSで知り合った青年、武田潤とともに、
その日、清水寺を訪れていた。
「すごい眺めだな……」
潤が言うと、さつきはゆっくりと振り向いた。
柵の外、清水の舞台の縁に、彼女は立っていた。
「ねぇ、知ってる? 昔の人はここから飛び降りたの」
「清水の舞台から飛び降りる”って、覚悟を決めるって意味なんだよ」
「……じゃあ、私が今、飛び降りたら――
あなた、どんな顔する?」
冗談だと思った。
だが彼女の目は、潤ではなく、誰か別の“何かを見ているようだった。
そしてその瞬間、彼女のスマホが自動的に撮影を始めた。
連写。
動画。
ライブ配信。
誰も触れていないのに。
さつきは落ちなかった。
だがその日以来、潤の周囲で“飛び降り”の事故が相次いだ。
バイト仲間が駅のホームから転落。
元カノがマンションのベランダから落下。
大学の友人が、ホテルの階段から墜ちる。
すべて、潤の身近な人物。
警察が事情を聞きに来た。
そのとき、彼のスマホには自動保存された動画が残っていた。
「清水の舞台の柵の外に立ち、笑うさつき」の姿。
……だが、その背景にある風景は、現実の京都ではなかった。
朱に染まった空、逆さに立つ木々、裏返った五重塔。
そしてさつきの口元が、こう動いていた。
「ねぇ、飛び降りて。先に、落ちてみて?」
潤は精神を病み、大学を退学した。
しばらくして、彼の部屋から「転落音」が聞こえたと通報が入った。
しかし、彼はどこにもいなかった。
窓も鍵もすべて閉じたまま。
ただ部屋の壁には、スマホのスピーカーから繰り返し流れる音声が残されていた。
さつきの声で、囁くように。
「あれ? まだ落ちてなかったんだ」
「あなたが落ちないなら……私が“引きずってあげる”ね」
その後、観光シーズンになると、清水の舞台の柵の外に立ち、
スマホを持って静かに笑う長い髪の女が目撃されるようになる。
写真に撮ろうとすると、スマホが勝手に連写を始め、
最後の一枚にだけ、自分の背後に女の手が写るという。