『産寧坂の声』
京都、東山。
梅雨の夜、しとしとと雨が石畳を濡らし、産寧坂には人影がなかった。
提灯の灯りがぼんやり揺れている。観光客で賑わう昼間とは打って変わり、まるで時間がねじれたような静けさが漂っていた。
「こんな時間に来るもんじゃなかったな……」
大学生の佐伯直人は、傘を肩に乗せながら呟いた。レポートの資料に使うため、夜の京都を写真に収めていたのだが、坂を上る途中、スマホのカメラが突然フリーズした。
バッテリーは満タン、アプリの異常もない。それでもシャッターを切ろうとするたび、画面にはただ「録音中」という表示だけが浮かぶ。
「録音……? いや、カメラだし……」
そう思ったときだった。
耳元で、女の囁き声がした。
「――おいてかんといて……」
振り返ると、誰もいない。
雨の音だけが、石畳に跳ね返っている。
ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。
カメラを見下ろすと、画面には録音されたばかりの音声ファイルが一つ。
再生ボタンを押すと、ノイズ混じりの中に、女のすすり泣きが混ざっていた。
「……返してぇ……」
やがて、直人のスマホの画面が真っ暗になった。
だが、耳元にはまだ、声が続いていた。
「――あんたが落としたんやろ……わたしの、首を……」