雲外蒼天
雨が降っている。
6月になり、いよいよ梅雨入りだ。
道の片側には紫陽花が並んでいる。
馬に乗った侍が一人。護衛が二人。
山道を走っていた。
パカラパカラパカラ。
馬のひづめの音と共に二人の男が現れ、刀を向けてきた。
一人目の男が馬に乗って護衛二人を刺した。
その衝撃で二人は道に倒れているが息はしているようだ。
清政は怒りに任せてその男の首をはねた。
すぐに二人目の男が襲ってきた。
しかし、その男は清政の顔を見るなり目を見開いた。
忠政「清政!?待て、俺はお前の兄だ」
清政「何を馬鹿なことを、兄上は川に流されて死んだと聞かされている、故にお前が兄上であるはずがない」
忠政「誤報だ、俺はちゃんとここに生きている」
清政「証拠でもあるのか」
刀同士がカチカチと音を立てている。
互いの目を見たまま一瞬たりとも視線を離さない。
忠政「そうだな、清政の左の尻にはホクロがひとつある」
清政「それは母上と父上と兄上以外知らないはず・・・」
忠政「それと、母上は左鎖骨にホクロがある」
清政「た、確かに母上の左鎖骨にはホクロが・・・」
忠政「清政、大きくなったな」
声変わりをして低くなっているがその優しい呼び方を清政は知っている。
清政「兄上・・・?本当に、本当に兄上なのですか?」
忠政が刀を下ろしたのを確認すると清政もまた刀を下ろした。
忠政「ああ」
そう言って忠政は顔を隠していた襟巻きを解いた。
その左頬にホクロがある。
忠政と清政と母は共通して体の左側にホクロがあった。
別れてからまだ8年しか経っておらず、
顔もそこまで変わっていないのですぐに兄だと分かった。
清政「ああ、兄上、本当に兄上なのですね・・・」
忠政「ああ、久しぶりだな清政」
清政「兄上、生きているなら何故今まで知らせて下さらなかったのですか」
忠政「知られればお前が殺されるからだ」
忠政はまた顔を隠すように襟巻きを巻いた。
忠政「俺とお前は敵国だからな」
忠政は母上と父上の本当の子ではなく養子としてこの家に来た。
当時、清政は3歳。忠政は5歳だった。
母上と父上は清政も忠政も同じ分だけ愛した。
そこに差別などなかった。
しかし清政が8歳、忠政が10歳の頃。
雨によって水嵩が増した川に流され、二人は離れ離れになってしまった。
清政と母と父は同じ場所に流された。
清政と母は無事だったが父は二人の目の前で死んだ。
二人が岩に衝突しかけた時、父が庇っていたのだ。
忠政だけが違う場所に流されてしまい、どうすることもできなかった。
母と清政が生きてることを忠政は風の噂で聞いていた。
しかし、忠政は母と清政の元へは戻らず助けられた恩を返したいと主君の元へ行くことを決意する。
その時は敵国になるとは知らなかった。
忠政「俺は次の戦で死ぬ」
清政「何故、そのようなことを言うのです・・次の相手は誰なのですか?そんなに強い国だと言うのですか?」
忠政「それはまだ言えん」
清政「兄上!!」
清政の言葉を無視し忠政は馬に跨り、その場から去って行ってしまった。
そしてついに戦になった。
清政は直接対面するまで知らなかった。
兄が今回の戦の相手であると。
兄忠政はそのことを知っていて言わなかったのだ。
互角に戦っていた相手がいたのたが、一瞬、その相手が手を緩めた。
その隙を突いて清政は相手を刀で斬った。
忠政「うっ・・・」
カシャンッ・・・。
倒れた衝撃で相手の兜が取れた。
清政「え、あ、兄上・・・?な、何故あなたがここに・・・すぐに手当てを!」
忠政「よせ、もう助からん」
清政「そんな・・・兄上、何故、何故先程手を抜いたのですか」
忠政「お前が弟だからだ」
清政「血が繋がっていないのにですか?」
忠政「血など関係ない、それに俺は母上にも恩がある、お前を死なせたら母上が悲しむ」
清政「それを言うなら兄上だって!」
忠政「俺は養子、お前は実の息子だ、
どちらが死ぬべきかなど最初から決まっていた」
清政「そんなこと!勝手に決めないで下さいよ!!」
忠政「すまんが抗議は天で聞く、
だからお前は母上とともに生きろ、大事なものを守り
生きて生きて生き抜け・・・」
・・・。
清政「兄上!あにうえー!!!」
清政の悲痛な叫びと共に戦は終わりを告げた。
ミーンミンミンミン・・・。
夕陽の中で遠慮がちに数匹のミンミンゼミが鳴く。
夏が始まろうとしている。
ミーンミンミンミン・・・。
火薬と鉄と土の匂いが充満している。
空も大地も赤色に染まっていた。
戦を終えた清政は一番最初に母の元へ向かった。
清政「母上、俺は今日、兄上をこの手で殺しました」
母「!!・・・っ・・清政、辛かったでしょう、苦しかったでしょう」
そう言いながら母は清政をキツく抱き締めた。
清政は泣いている姿を見せないように母の肩で静かに涙を流した。
一週間後。
ミーンミンミンミン。ミーンミンミンミン。ミーンミンミンミン。
より一層激しさを増したミンミンゼミの声が聞こえる中、二人は忠政の墓に手を合わせた。
忠政の墓の後ろに青空と積乱雲が見える。
母「夏になったのね」
清政「そうですね・・・」
母「清政、空が晴れたら笑うのよ、父上が言っていたでしょう」
"雨の日は泣いてもいいが晴れの日は笑え"
母「きっと忠政もそれを望んでいるわ」
清政「はい、母上」
清政はピッと背筋を伸ばし答えた。
清政はその後も生き続けた。
愛した女性と結婚し子が三人できた。
清政は兄との大事な約束を果たす為、母と妻と三人の子を守り生き抜いた。
寿命を迎える時。
子どもたちは三人とも家を出て家庭を築いていた。
今ここにいるのは清政と妻だけだった。
妻「あなた」
清政「いい人生だったよ」
それだけ言うと清政は息を引き取った。
天。
忠政「清政」
清政「兄上・・・ずっと待っていてくれていたのですね」
忠政「当然だ、俺はお前の兄だからな」
清政「はい」
忠政「清政、幸せだったのだな」
清政「はい」
忠政「そうか、良かった、今までよく生き続けた、よく大事なものを守り抜いた、お前の生き様は立派だった」
清政「兄上・・・ありがとうございます・・・」
忠政「泣くな清政、父上が言っていただろう、晴れた日は笑えと、見ろ」
忠政の視線の先には眩しいくらいの光が差していた。
清政「そうでしたね」
忠政「行こう」
清政「はい」
二人は歩き出した。
光が差し示す道をただただ真っ直ぐに。
その二人の姿が一瞬、幼い頃の二人とダブって消えた。
忠政「清政、川で流され俺を拾った人に言われた言葉の中で一番好きな言葉がある、何だか分かるか?」
清政「さぁ・・・分かりません、何ですか?」
忠政「雲外蒼天だ」