9.手錠と梃子の原理
「メイ‼
あんた、覚えてなさいよ!」
スピカは父に縛られ、蓑虫のように馬車の床をのたうっている。
「覚えていてもいいですけど。
どうせもうすぐ売られるので、何も出来ないと思いますよ」
私の言葉にスピカは泣き出した。
あの後スピカは父に捕まり、私と一緒に売られる事になった。
今まさに父が操縦する馬車で、奴隷商人の所まで運ばれている途中だ。
キャリーは高く売れないからと、そのまま倉庫に残された。
早く他の人が見つけてくれるといいんだけど。
キャリーが売られそうになったのは、スピカに「メイを誘き出すのを手伝え」と言われて断ったからだと聞いたので、責任を感じてしまう。
「まあ、貴方は私を売ろうとしたので、同情はしません。
怖い目に遭うでしょうけど、付き合って貰いますよ」
スピカに言うと、私は叫び声を上げた。
「きゃああ!
スピカ嬢が‼
非ぬ所から口に出せない液体を出されてますわああ‼」
「ちょっと、何言ってくれてんのよ‼」
スピカが慌てて止めて来た。
すぐに馬車が止められ、父が『商品』である私とスピカの様子を見る為、馬車の扉を開けた。
次の瞬間、私はハイヒールで思い切り、父の股間を蹴り上げた。
「あ、気が付きました?
寝ていた方が楽だったと思いますけど」
目覚めた様子の父に私が声をかけると、父はいきなり唸り声を上げ、私に飛びかかって来ようとした。
けれど、父の右手と左足は馬車の扉と逆側の壁に手錠で繋がれているので、私に近付く事も出来ない。
「手錠があるなんて、どんな変態に私を売ろうとしてたんだか。
あ、うるさいのは嫌なので、お父様のネッカチーフを口に突っ込んでおきましたわ」
淡々と語る私に父の顔色は悪くなって行く。
私に股間を蹴り上げられ、意識を失った父がナイフを手に持っていたので、私は後手に縛られていた縄をナイフに擦りつけて切った。
手や腕やあちこち傷だらけになったけど、このまま奴隷商人に売られるよりはマシだと思った。
馬車の中を漁ると、手錠が2個出て来た。
せっかくなので、父に使う事にした。
手錠も使われずに終わるのは可哀想だ。
スピカは縄を切って放牧した。
死ぬ気で走れば、日暮れまでには家に帰れるだろう。
「私の母さんは善い人だった。
うちは貧乏だったけど、母さんは精一杯私を愛して育ててくれた。
だけど母さんは早くに亡くなってしまった。
理不尽だと思わない?
あんな善い人が長生き出来ないなんて」
自分の口調がメイに戻っているのは自覚していたけど、止まらなかった。
「お父様に会って、思ったんだ。
『あ、こいつゴミだ』って。
お父様は他人に迷惑をかけないと生きられないんだね。
じゃあ、要らない」
私はそう言って、馬車の扉を閉めた。
私は馬車から馬を外した。
これから馬車の箱だけ、谷底に落とす。
人気のない道だから、見つかる心配もないだろう。
馬車の箱を動かす為には、ものすごく力が必要だけど、梃子の原理を使えばイケるはず。
「物理学は役に立つわねえ。
お父様とは大違い」
そう言いながら、梃子の材料を探そうと辺りを見回した所で、「メイ‼」と名前を呼ばれた。