2.メアリって誰ですか?
…メアリ姉様って誰?
…私?
私は…
そう、私はメアリ・アンガス。
アンガス伯爵家の一人娘。
私は今、一人で夜会に参加している。
普通、貴族の令嬢が夜会に一人で参加したりしない。
それでも私は今夜、絶対にやらなければならない事があるのだ。
私はパーティー会場の奥、テーブル席に座っている二人にツカツカと近寄って、声をかけた。
「今晩は。
ローリー・バイス侯爵令息、並びにキャシディ・マロウ男爵令嬢」
まるで恋人同士のように、顔を寄せ合って話していた二人は、ギョッとしたようにこちらを見た。
「おまっ、メアリ‼
今日は参加しないはずじゃっ」
ローリーは慌てて、キャシディから距離を取った。
「いいんですのよ、バイス侯爵令息。
本日夕刻、私達の婚約は解消されましたので。
存分にマロウ男爵令嬢と仲良くされればよろしいわ」
ローリーは私の婚約者だった。
やっと過去形になったのは、つい先程。
私はバイス侯爵に直接ローリーの浮気の証拠を突き付けて、「貴族裁判にかけられるか、大人しく婚約解消するか、選べ」と迫ったのだ。
私は婚約解消の届けを王宮に提出し、そのまま夜会に参加し、ローリーにその事を報告に来た。
そもそも、婿に入る分際で浮気をするとか、頭おかしいの?と思う。
女遊びとギャンブルの事しか頭にない私の父が、借金の肩代わりと引き換えに、侯爵家の出来損ないの三男を婿養子として迎える約束をしたのが、私とローリーの婚約の理由だった。
ローリーも父と同類で、女遊びにしか興味がない。
ギャンブル癖がないだけ、父よりはマシだけれど。
私がローリーの浮気を父に訴え、「婚約解消したい」と言っても、父は「浮気如きでガタガタ騒ぐな」と言うばかり。
母は「お父様の仰る通りになさい」しか言わない。
馬鹿かと。
当初、ローリーは女伯爵となる私の伴侶として、婿に入る予定だった。
だが、バイス侯爵は持参金を倍額にする代わりに、ローリーを伯爵にしろ、と言って来たのだ。
金に目が眩んで、了承した父。
…乗っ取りじゃないの!
このまま父に任せていたら、とんでもない事になる。
私は必死でローリーの浮気の証拠を集め、婚約解消に持ち込んだ。
わざわざ夜会でローリーに婚約解消の事を告げたのは、証人を増やす為。
これだけ沢山の人にバラせば、あとで噂になった時、どちらが有責かすぐ分かるだろうから。
貴族社会では、噂一つが命取りになる事もある。
「それでは、失礼」
私はにっこり笑うと踵を返して、会場をあとにした。
パーティー会場の階段を下っている最中、私は後ろから声をかけられた。
「メアリッ‼」
え、と振り返った瞬間、私は階段から足を踏み外した。
マズい!
咄嗟に手すりを掴もうと手を伸ばしたけれど、手は虚しく宙を掴んだ。
ああ、何てマヌケなの。
やっと自由を掴んだと思ったのに、手すりすら掴めないなんて。
そんな事を考えたのが、最後だった。
「…いや、ダジャレ言ってる場合か!?」
思い切り自分に突っ込んだと同時に、目が覚めた。
「…知らない天井だ…」
じゃなくて!
私はガバッと体を起こすと、ペタペタ顔や体を触って確かめた。
手が小さい。
私は、メイだ。
15才のメアリ・アンガスじゃない。
突然扉が開き、入って来た男が「メアリ姉様‼」と叫んだ。
私はその、とんでもなく顔が良い男を諭すように言った。
「扉を開けるのはノックしてお返事を聞いてから、と言ったでしょう?
…リュシー」
ああ、可愛い私のリュシー。
父の年の離れた妹であるエルファス侯爵夫人の一人息子、リュシオン・エルファス。
あれから、随分時間が経ってしまったのね。
あのまあるい頭もふっくらほっぺもなくなって、すっかり大人の男の人になってしまった。
でも、変わらないものもある。
そのキラキラした、空色の瞳。
どんな言葉より雄弁なその瞳を見た瞬間、私は前世を思い出したのよ。