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第六話 夜叉姫の過去

 凛は、桜を見下ろしながら、静かに語り始めた。薄暗い部屋の中で、凛の姿が不気味な影を落としている。空気が重く、時間が止まったような雰囲気が漂っていた。桜は息を潜め、凛の言葉に耳を澄ませた。


「私はかつて、人間だった」


「……」


 桜は声を出せず、彼女の目は大きく見開かれ、信じられない思いで凛を見つめている。瞳孔が開き、呼吸が浅くなってゆく。


「それは三百年前のこと。私は霧雨(きりさめ)の里の巫女だった」


 凛の目には、悲しみの色が浮かんでいる。その瞳には、長い年月の重みが宿っている。声にも、かすかな震えが感じられる。


「人々に裏切られ、殺された。そして……魔物となった」


 凛の声には、怒りと悲しみが混ざっていた。その表情は硬く、唇を強く噛みしめている。


「でも、それは昔の話でしょう?」


 桜は必死に訴える。彼女の声には、わずかな希望が混ざっている。両手を握りしめ、凛の目を真っ直ぐに見つめた。


「今、こうして人々の生気を奪うことに、どんな意味が?」


 凛は冷笑する。その笑みには、三百年もの憎しみと苦しみが刻まれている。目が細くなり、唇の端が上がる。


「復讐よ。人間への復讐」


「そんな……」


 桜の声が震える。彼女の心の中で、恐怖と同情が激しくぶつかり合う。手の平に汗が滲み、体が小刻みに震えた。


黄泉路亭(よみじてい)は、私の復讐の舞台。ここに迷い込んだ者たちから、永遠に生気を吸い取り続ける」


 凛の声は冷たく、同時に震えていた。その目は遠くを見つめ、瞳が潤んでいた。


 桜は、凛の言葉に戦慄しながらも、諦めずに語りかける。彼女の心の中では、友人を助けるために勇気が芽生え始めている。両手を握りしめ、一歩前に踏み出した。


「でも、過去は変えられない。復讐してもたぶん何も変わらない。ねえ、何か変わった?」


 桜の言葉に、凛の表情が僅かに揺らぐ。その目に、一瞬だけ人間らしい感情が宿る。眉間にしわが寄り、唇が微かに震えた。


「あなたの悲しみはわかる。でも、こんなことを続けても……」


「黙りなさい!」


 凛は叫ぶ。その声は、部屋中に響き渡る。両手を握りしめ、全身から怒りが溢れ出ていた。


「人間に何がわかるというの?」


 その時、冥子が目を覚ました。彼女の意識が、ゆっくりと現実世界に戻ってくる。まぶたが震え、かすかに目を開く。


「凛……さん?」


 凛は驚いて振り返る。彼女の表情に、一瞬の隙が見える。目が大きく開き、体が硬直した。


「なぜ……目覚めたの?」


 冥子は、凛に向かって言う。彼女の声は弱々しいが、力強さを感じさせる。目を凛に向け、かすかに微笑んだ。


「私、あなたの歌を聴いていたの」


「歌……?」


 凛の表情が、さらに柔らかくなる。眉間のしわが緩み、目に驚きの色が浮かぶ。


「ええ、悲しくて、切ない歌。あなたの本当の心の声」


 凛の目に、涙が浮かぶ。三百年の時を経て、初めて流れる涙だった。頬を伝う一筋の涙が、凛の冷たい表情を溶かしていく。


「私の……歌?」


 冥子は続ける。彼女の声には、凛の心を溶かすような温かさがあった。弱々しい体を起こそうと試みる。


「凛さんの中に、まだ人間の心が残っているって信じてる。私たちを見て」


 冥子と桜は、協力して、凛の心を浄化しようと試みる。二人の目には、強い意志が宿っている。桜は冥子の傍らに駆け寄り、その手を握る。


「凛さん、もう十分です」


 冥子が優しく語りかける。彼女の声には、不思議な力が込められている。弱々しい体で、凛に手を伸ばす。


「そうよ、これ以上苦しまなくていい」


 桜も加わる。彼女の声には、凛への共感が滲んでいた。冥子を支えながら、凛に向かって一歩踏み出す。


 二人の強い思いが、凛の心に届き始める。長い間凍りついていた凛の心が、少しずつ溶け始める。凛の体が小刻みに震え、目から涙があふれ出す。


 凛の表情が、徐々に柔らかくなっていく。彼女の目に、人間らしい感情が戻ってくる。硬く結んでいた唇が緩み、両手の力が抜けていく。


「私は……何をしていたのかしら」


 凛の声が震える。三百年分の後悔が、一気に押し寄せてくる。膝から崩れ落ちそうになる凛を、桜が支える。


 そして、凛は涙を流しながら、客たちを解放する。装置から管が外れ、客たちの顔に少しずつ血の気が戻ってくる。部屋中に、解放された人々の安堵の吐息が広がった。


「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい」


 黄泉路亭(よみじてい)は、ゆっくりと光に包まれ、消えていく。部屋の壁が溶けるように消え、周囲の景色が変わっていく。薄暗かった空間に、暖かな光が差し込んでくる。


「ありがとう……二人とも」


 凛の最後の言葉が響き、彼女の姿も光の中に溶けていった。その表情には、長い苦しみから解放された安堵の色が浮かんでいた。最後の瞬間、凛の唇には優しい笑みが浮かんでいた。


 気がつくと、冥子と桜は幽世(かくりよ)ビルの地下一階にいた。周りには、解放された客たちが、困惑した様子で立っている。彼らの目に、少しずつ生気が戻ってきている。


 黄泉路亭(よみじてい)は消え、元の薄暗い空間へと戻っていた。壁のコンクリートの冷たさが、現実世界に戻ってきたことを実感させる。地下特有の湿った空気が、二人の肌を包む。


 冥子と桜は互いを見つめ、安堵の表情を浮かべた。しかし、その目には、まだ多くの疑問が残されている。二人の間に、言葉にならない絆が生まれていた。


「終わったのかな……」


 冥子が小声で呟く。彼女の声には、安堵と不安が入り混じっている。まだ体力が完全には戻っていない様子で、桜に寄りかかっている。


 桜は首を横に振る。彼女の目には、新たな決意の色が宿っている。冥子をしっかりと支えながら、周囲を見回す。


「いいえ、まだよ。霧雨(きりさめ)市の謎は、これからも続くわ」


 まだ終わってない。二人は、黄泉路亭(よみじてい)が消えた後も、霧雨(きりさめ)市に潜む謎がまだ解明されていないことを悟った。彼女たちの胸に、次なる異変への警戒心と、それに立ち向かう決意が芽生えていた。


 周りの十数人の客たちは、幽世(かくりよ)ビルの地下一階で、混乱した様子で互いを見つめ合っていた。中年のサラリーマン風の男性が「一体何が……」と言葉を切り、二十代と思しき女性が「ここはどこ……」と声を震わせる。彼らの蒼白な顔には、突然の状況変化に対する戸惑いが浮かんでいた。地下一階の空気は重く、湿っており、長年人が入らなかったようなカビの匂いが鼻をつく。暗がりの中、壁際に積まれた段ボール箱や古びた棚が、かつての倉庫の名残を示していた。


 しばらくすると、客たちの目に少しずつ力が戻り始めた。四十代くらいの女性が「もう、帰りましょう」と声を上げ、他の客たちもゆっくりと頷いた。若い男性二人組は互いの肩を支え合いながら、「俺たち、どうやってここに来たんだよ……」と呟きつつ、階段を見つけて上階への道を探し始めた。


 三人組の中年男性たちは、ポケットから取り出した携帯電話の明かりを頼りに、出口への道筋を確認し合う。彼らの表情には困惑が残るものの、次第に安堵の色が浮かび始めていた。二十代の女性は深呼吸を繰り返しながら、自分の靴の履き心地を確かめるように足を動かし、現実感を取り戻そうとしていた。


 やがて、客たちは小さな集団に分かれて行動を開始。互いに声を掛け合いながら、ゆっくりと階段を上がり始める。地上に出た彼らは、夜の街の喧騒に触れ、現実世界に戻ってきたことを実感する。街灯の明かりが彼らの顔を照らし、その表情には依然として戸惑いが残るものの、安心感も混じり始めていた。


 最後に地上に出てきた中年の男性が、後ろを振り返りながら「おかしな夢を見ていたのかな」と呟く。その言葉に、周りにいた客たちも同意するように小さく頷いた。彼らは互いに軽く会釈を交わし、それぞれの帰路に就いていった。夜の街に溶け込んでいく彼らの後ろ姿には、まだ説明のつかない体験の余韻が漂っていたが、同時に日常に戻る安堵感も感じられた。


 黙って彼らを見送っていた冥子は深呼吸をして、自分の体の状態を確認する。生気を奪われた影響か、まだ少し体が重く感じる。しかし、その目には強い意志の光が宿っている。


「桜、私たち、これからどうする?」


 冥子の問いかけに、桜は真剣な表情で答える。


「まず、この場所の調査を続けましょう。そして、霧雨(きりさめ)市の歴史をもっと詳しく調べる必要があるわ」


 二人は、周囲の客たちの様子を確認しながら、慎重に行動することを決める。地下室の出口へと向かう途中、壁に刻まれた不思議な模様に気づく。それは、黄泉路亭(よみじてい)の痕跡なのか、それとも別の何かを示すものなのか。


 冥子と桜は、互いの手を強く握り合う。その温もりが、これから直面するであろう困難への覚悟を新たにさせる。霧雨(きりさめ)市の謎を解き明かすという使命が、二人の心に深く刻まれた。


 地下室を出る際、二人は最後にもう一度振り返る。薄暗い空間に、かすかな霧が立ち込めている。それは錯覚か、それとも新たな異変の前触れか。冥子と桜の冒険は、まだ始まったばかりだった。

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