第四話 謎の老人
桜は驚いて振り返る。そこには見慣れない老人が立っていた。杖をついた姿は、どこか威厳を感じさせる。その背筋はピンと伸び、年齢を感じさせない凛々しさがあった。老人の目は鋭く、長年の経験から培われた知恵が宿っていた。
「お嬢さん、そこは危険だよ」
老人は穏やかな口調で言った。その声には、不思議な説得力があった。
「あなたは……?」
桜は警戒しながらも、老人の眼差しに不思議な安心感を覚えた。彼女の心の中で、警戒心と信頼感が綱引きをしている。
「わしは骨嵬牙丸。この幽世ビルに住んでいる者だ」
牙丸は自己紹介をしながら、周囲を警戒するように目を光らせた。その仕草に、桜は何か重大な秘密を感じ取った。
桜は眉をひそめた。疑問が次々と湧き上がる。
「このビルに……住んでいる?」
牙丸は桜を店の隅へと導いた。周りに客はおらず、二人きりで話ができる。その場所は、暖色照明に照らされ、妙な安心感があった。
「お嬢さん、君は黄泉路亭のことを調べているね?」
牙丸は静かに尋ねた。その目は、桜の心の奥底まで見透かすように感じた。
桜は驚き、鼓動が早くなる。
「どうしてそれを?」
「この店は危険な場所だ。すぐに立ち去るんだ」
牙丸は真剣な表情で警告した。その声には、切迫感が滲んでいた。
「でも、友達が……」
桜の声が震える。冥子のことを思い出し、胸が締め付けられる。
「聞いてくれ。わしも昔、この店に迷い込み、命からがら逃げ出したんだ」
牙丸の言葉に、桜はさらに不安を募らせた。彼女の頭の中で、様々な想像が駆け巡る。
「一体、この店で何が?」
桜の声には、恐怖と好奇心が入り混じっていた。牙丸は周りを警戒しながら、小声で語り始めた。店内の不気味な静けさが、二人の密談を包み込んでゆく。
「あのママ、凛の正体についてだ……」
「凛さんの……正体?」
桜の目が大きく見開かれる。彼女の心臓は、今にも飛び出しそうなほど激しく鼓動していた。
「彼女は人間の生気を吸い取って生きる魔物なんだ。客たちは既に彼女の虜になっている」
桜は、牙丸の話を信じられない思いで聞いた。彼女の中で、現実と非現実の境界が曖昧になっていく。
「そんな……」
桜の声が震え、額に汗が浮かぶ。
「じゃあ、どうすれば……」
桜が尋ねると、牙丸は黄泉路亭から脱出する方法を教えた。彼の声は低く、周囲に聞こえないよう抑えられていた。
「『黄泉の道、開きて』と唱え、鏡に自分の姿を映すんだ」
牙丸は真剣な表情で言った。彼の目は鋭く、桜をじっと見つめていた。
「呪文?」
桜の声は高くなった。彼女の表情には困惑と期待が浮かんでいた。
「そうだ。間違えずに唱えろ」
桜は牙丸の言葉を信じ、脱出を試みることにした。彼女は握りしめた拳に力を込める。
「でも、友達の冥子が……」
桜の目は不安げに揺れていた。
牙丸は桜の肩に手を置いた。その手は大きく、しっかりとしていた。
「冥子さんを助けるには、彼女の心の奥底にある記憶を呼び覚ます必要がある」
「記憶を……?」
桜は眉をひそめ、その目は大きく見開かれていた。
「そうだ。冥子さんの大切な思い出を思い出させるんだ。君なら、きっとできる」
牙丸の声は落ち着いていたが、その言葉には強い確信が感じられた。桜は一瞬考え込んだ後、顔を上げた。
「わかりました。やってみます」
桜の声は落ち着いて、目は真っ直ぐ前を見つめている。牙丸はゆっくりと頷いた。
「気をつけるんだ。まだ始まったばかりだ」
桜は深く息を吐いた。彼女の頭の中で、これまでの出来事が次々と思い起こされていく。黄泉路亭の謎、凛の正体、そして冥子を救う方法。全てが繋がり始めているように感じた。
桜は牙丸に短く礼を言い、再びカウンターへ向かった。彼女の歩みは確かで、背筋はピンと伸びていた。冥子を救い、この不気味な店から脱出する。その思いが、桜の体を前へと押し出していた。
黄泉路亭の薄暗い店内で、桜の新たな行動が始まろうとしていた。