第七話 転『我が孫に蜘蛛の導きを……』
「「第六回」」
「ガイと……」
「ベルヴィルのー」
「クールな「前回のあらすじ!」」
唯一の出番である前回のあらすじから蹴落とされたアルフレッドは遺憾の意である。
椅子に座らされて今回は見る側に回っている。
ジェシカは劇を見るかのようであり、サーカスで見せた時の様に足をプラプラさせて楽しみといった感じだ。
「クールじゃないぜなんでこのガキと」
「べるべるおじさん!前回俺ジェルンの家に行ったんだぜ!それでね!それでね!」
「誰がべるべるだクールに下唇噛めって言ってんだろ」
「質屋でジェイクとモーリスっていう兄ちゃん達に安く買い叩かれてさ!それでね!それでね!」
ベルヴィルはガイの頭を押さえて迫る勢いを凌いでいる。
「分かった分かった。聞くからクールになれ」
「サーカスに行ったらライオンが出てこなくてさ!ライオン見に隠れて侵入したんだぜ!」
「それで、ライオンを見れたのか?クールだったろ?」
ガイは途端に勢いを失う。
「ライオンが檻の中に居なくてさ……ピエロのおじさんも死んでて怖かっ……たってジェルンが言うから逃げてやったんだぜ?」
「そいつはクールじゃねえな」
「言い逃れ含めてクールじゃねえな」
アルフレッドが追い打ちをかけると、ガイは素知らぬ顔で自慢を続ける。
「それでさ!ライオン捕まえに行く事になって」
「辞めといた方が良いと思うぜ?お前じゃ食われちまってクールにお陀仏ってなもんさ」
「そうならねえようにってトーマスが犬用の檻を持ってきてくれるってさ!」
「それ、強度大丈夫かよ?クールになぜそうなったか俺に話してみな」
「あ!その後トールおじさんの話になってさ!」
「おい、話がすっ飛んだぞ!クールに話せって言ってんだろ?」
「なんか、幽霊と戦ったんだってさ!俺の父ちゃんも氷の魔女と戦ったんだぜ!!」
ベルヴィルはため息を1つ。
ガイの相手に相当疲れた様子である。
「おじさんの話もしたんだぜ!」
「クールに紹介してくれよな?」
ライオンを捕まえに行くと息巻くガイ。
それに付き合う形でノイマンとソフィアはアジトで作戦会議に没頭中だ。
トーマスが戻るのが遅いのが気がかりだが、何かあれば蜘蛛の魔女ドロシーを介して分かることだろう。
そう思った俺は今、ケリーの屋敷の前に居る。
ドロシーとの交渉材料として絶版となった書籍の続編を求めて来たのだ。
ケリーの屋敷には生前は週に1度くらいのペースで通っていた。
そのため、彼女の両親とはよく話す間柄だった。
ケリーの両親は不在の事が多く、訪ねた際に不在だったら場合を考慮し、合鍵の場所まで知っている。
色々な事を忘れてしまうケリーに良かったら顔だけでも見せてやってくれと頼まれていた。
魔女狩りの際に最後まで反抗してくれたのがこのケリーの両親。
ご夫妻にはそれ以上反抗するならば、危害は貴方達にも及んでしまうかもしれないと警告し、俺自身が死ぬことで貴方の潔白にもなるから、大人しくしていて欲しいと伝えた。
伝えた事でより一層政府に意見しに行ったらしいが、それだけ家族として受け入れられていたのだろうと思う。
ケリーとの婚約。
もとい、許嫁としての約束というのは、互いの両親が勝手に決めたことだ。
その間柄であることは俺自身は認めてはいなかった。
しかし、その間柄であることを両親が求め、更にはケリー自身も強く求めていた。
足繁く通うのは、そういった感情に向き合うためでもあった。
自分の中に彼女への気持ちは無いのだと向き合うためだった。
彼女が記憶を失い始める前からそうだった。
ケリーが記憶を失い始めたのはいつからだったか。
最初はなんてこと無い。
ど忘れからだった様に思う。
鍵の場所を忘れた。
ペンをどこにやったか忘れた。
食器を洗うのを忘れた。
そんなことならよくある事だ。
それが次第に……、ご飯を食べたことを忘れてまたご飯を食べた。
お風呂に入るのを一週間忘れていた。
家の場所が分からなくなって迷子になった。
アルフレッドの事が誰か分からなくなった。
思い返せば彼女は俺が錬金術に触れ始めた頃からこんな感じで物事を忘れるようになったのかもしれない。
人の行き着いていない最先端に触れようとした者への罰なのか。
神のみぞ知る法則へ至ろうとした事への罰なのだろうか。
錬金術なんて学ばずに彼女に向き合うべきだったのだろうか。
アルフレッドの事を分からなくなったというのに通っていたのは、習慣、それから義理、人情。
1番大きな理由は彼女に対する申し訳無さだろう。
だから、ケリーの家に行くときはいつも足取りが重くなる。
入口に立ち、何度も深呼吸が必要になる程に。
何度も身嗜みを確認し、何度も咳払いをする。
合鍵の場合は変わらずパンジーの植木鉢の下に隠してあった。
鍵を差し込み中へと入る。
家の作りは簡素であり、玄関を入ってすぐに2階への吹き抜けのあるホールがある。
真ん中に扇状に広がる階段があり、そこから2階に登ると手すり付きの廊下を渡って左右に部屋がある。
左に渡るとご夫妻のそれぞれの部屋、右に渡るとケリーとアルフレッドの部屋である。
婚約を決めた直後に増築したらしい。
私物の一部はケリーの隣の部屋に置いてあるのだ。
ケリーの父トングは有名な画家であり、母サシャはオペラ歌手をしている。
そのためなのか、家族を描いた絵画が並べられている。
階段を登って正面に見える1番大きな絵には、サシャとトングに抱かれた幼い頃のケリーとアルフレッドが立っている。
「……ふふっ、なんだか不気味ねこの屋敷」
小さな蜘蛛を介してドロシーが耳元で囁く。
「人が居ない訳じゃないんだ。ケリーは迷子になってしまうから、使用人と付きっきりで部屋の中に閉じこもっててね」
「ふふっ、そういうことではないのだけど……そうね。右手前の部屋から嫌な感じばかりするわね」
ケリーの部屋だ。
「ここがケリーの部屋だ。なんでそんな事言うんだ?」
問いかけるとドロシーは言う。
「ふふっ、開けてみてくれたなら、この不吉な予感の正体がきっと分かると思うわよ」
開けると使用人とケリーと鉢合わせになるだろう。
アルフレッドの体ではない今、ジェルンとして面と向かって大丈夫とは言い難い。
けれど、そのドロシーの予感というものに何故か惹かれるものがあった。
それだけではない。
死んでから顔を一切見ていない自分の許嫁の様子が気にならない訳が無かったのだ。
だから、俺は3度ノックしてケリーの部屋の扉を開いた。
「あら、坊や……いけない子ね」
金の髪をシニョンにして纏めた年若いメイドが1人。
「失礼します。俺はアルフレッド様の遺書にてお部屋のお荷物の一部を譲り受ける事になり、ご挨拶に参りました。ジェルンと言います」
そうして自己紹介をすると、メイドはスカートの両端を摘んでお辞儀を1つ。
「アルフレッド様の……それは失礼しました。私はケリー様のお世話係をしております。この屋敷のメイドのフランチェスカと申します」
金の髪に碧眼。
澄ました瞳は冷たさを感じる。
「はい、フラン様のお噂も兼ね兼ね、幼い頃より世話になったと伺っております。ケリー様並びにフラン様にお目にかかれて光栄です」
「あら、お若いのにお上手ですね」
「アルフレッド様の事は残念でした。生前彼から胸の内を聞いたことがあります。遺言のようなものでしょうか。ケリー様の事を女性として愛したことはないが、家族のようなものとして大切な人だったのは確かだったと……」
フランチェスカはそれを聞くと、瞳に涙を貯める。
この人も、幼い頃のアルフレッドとケリーを知っているからこその感情だろう。
「お嬢様はアルフレッド様の事は変わらず思い出すことは有りませんでした。魔女裁判で死ぬ最後の時まで……ですが、私はそのお二人の事を覚えております……きっと、忘れる前のケリー様なら喜ばれた事でしょう」
そう言ってフランチェスカはベッドに横たわるケリーを見つめる。
ケリーは丁度眠っている所だった。
痩せているわけでも無いのに細く見えるのは陽の光を浴びていないからだろう。
透き通る様な白い肌は病的まである。
エメラルドのように輝く柔らかな髪と瞳が特徴的な穏やかな人だった。
今はそれがとても遥か遠くの思い出の様に感じる。
「お荷物はどうぞ持っていって貰って構いません。当家としましても、扱いに困っていましたので」
フランチェスカに促され、会釈する。
「ありがとうございますフラン様。アルフレッド様の初恋相手は貴女だったそうですね。良ければ今度ケリー様と交えて三人でお茶でもしませんか。俺の知っているアルフレッド様の事でお話しましょう」
「ええ、きっとケリー様もお喜びになります」
部屋を出る。
扉を閉じて、耳に意識を向ける。
「ふふっ、不吉の正体が分かったわよ?」
蜘蛛の魔女ドロシーが得意気に言い放つ。
「ふふっ、ケリーとか言ったかしら。彼女魔女からの呪いを受けているわ。それも、恐らく症状は『忘却』……つまりは、忘却の魔女による仕業かしらね」
肩に力が入る。
「どういう……事だ……」
「ふふっ、忘却の魔女……どこに居て誰がそれに当たるかは分らないわ。彼女が接触することになった人物を当たれば、何故彼女が事を忘れる存在になってしまったのか分かるはずよ」
ああ……。
頭が痛い。
この痛みはどこから。
そうだ。
胸の内からだ。
心が痛いと叫んでいるんだ。
「忘却の魔女……こいつのせいで……」
「ふふっ、目的は何かしらね。見てはならない物でも見てしまったのかしら?」
「怒りと痛みでどうにかなってしまいそうだ」
「ふふっ、忘却の魔女を探してあげてもいいけど、それよりも不思議なことがあるのよね」
「なんだこんな時に」
怒りで我を忘れそうになり、屋敷の中にあるアルフレッドの部屋に入りしゃがみ込む。
「ふふっ、蜘蛛の視界を介してこの街どころか国全体を見ているけれど、どこにも居ないのよ。ライオンの影も形もないの」
頭の中が忘却の魔女への恨みでいっぱいで、冷静さを完全に欠いていた。
何も答えずにいると、ドロシーはそのまま続ける。
「もしかしたら、ライオンが勝手に脱走したのではなく、人為的に攫われたのではないかしら?」
なぜ、どうして。
その時はそんな簡単な問答すら出来ないほどに心が荒れていた。
落ち着きを取り戻す。
部屋の中に蹲っていると、胸の中のざわめきは静かに落ち着きを取り戻していった。
少し前はこの部屋も自分の部屋のように使って良かったのだから、落ち着く空間であるのは当然である。
本棚と机を漁り、ドロシーへの報酬となる続編を探す。
「けど、良くもまあ読書に興味を持ったな」
それはなんとなしの雑談。
程度の本音。
思惑は絡まないからこそ、次の発言に脳が殴られた様な気がした。
「ふふっ、だってこれ、たぶんヘルメスって人は『賢者の石』を作ろうとしてたんだもの」
「ヘルメス様が?」
あの人が元素を幾つも見付け、発表に至るのは何かの目的の過程であるというのは言うまでもなくアルフレッドは理解をしていた。
しかし、それが賢者の石であるというのは、本を読んで気が付かなかった。
ドロシーと自分の違いなんて傀儡か魔女かということぐらいだ。
魔女だからこそ分かることなのかもしれない。
それならば、ヘルメス様は魔に魅入られし者。
そんな訳ないか。
頭に浮かぶ可能性を端に追いやった。
「賢者の石っていうのは全ての錬金術師の最終テーマと言われている。ヘルメス様もそこに至ろうとしたというのはあまり不思議は無いだろう」
「ふふっ、そうね。けど、この本を全て読んだ時。……私は賢者の石の作り方を理解すると思うわよ?」
賢者の石。
かつて、錬金術師の師匠としてヘルメス様に教えを受けるまでは自分の目標もそこにあったと思う。
目下、別のやりたいことが生まれて置き換わったものの、これまでとやることは変わらず、土壌や水質の調査・採取、化学反応の観察、現象の名称化、プロファイリング。
やるべきことはしっかりとこなしてきた。
その上で本を何度も読み返して来たが、それが賢者の石に至るとは思わなかった。
「ふふっ、賢者の石は全ての願いを叶えるというわね。それを知っている魔女は錬金術師を囲うものよ」
「それはどうしてだ?」
蜘蛛を操る人物が万能とも呼べる力を持っていても尚、何を求めるというのか。
「ふふっ、普通の人間に戻りたいと思うからよ」
「……なんで人間に?」
人間になった所でその能力が残るというなら考えものだ。
しかし、そうじゃない。
普通のと付ける以上は能力は残らないだろう。
「ふふっ、魔女は魔女になる際に悪魔から使命を渡されるの。悪魔は直接この世界に干渉することが出来ないから、死んだ人間の魂に干渉して魔女にして現世に送り返すのだけど、その要求の達成によって『無垢な魂』が渡されるのよ」
「魔女になっても悪魔に命を握られているからってことか」
「ふふっ、そうよ。だから、私も使命を1度果たした。消えてなくならないためにね。昔のフレデリカも何か使命を果たしたからジェシカが生まれたの。結果、フレデリカは消えたがりにもなったのだけど……ふふっ、どうして彼女が消えたがりになったのか聞いたことはある?」
俺は首を横に振った。
フレデリカが今の消えたがりの魔女に至った経緯は思い返せば聞いたことはない。
傀儡にしてくれたが、その延長で一緒に居るだけの人という感じだ。
一歩踏み込んで聞いてみても良いかもしれない。
前に試練の魔女オーディアルが言っていたことが気がかりだからだ。
他の魔女は信用ならない。
つまり、信用の置ける魔女であるフレデリカに消えてもらっては困るのだ。
前回の様に戦闘向きの魔女にまた絡まれるだけの口実もある。
レディグラスとオーディアルからは復讐のタイミングを伺われていても不思議ではない。
だからこそ、蜘蛛の魔女ドロシーもフレデリカの側に居るのだと思う。
そうすれば、フレデリカを巻き込み、傀儡であるエリーゼのポルターガイストも頼ることが出来る。
「それでドロシーも人間に戻りたいんだな」
納得した。
「ふふっ、私は違うわよ。私の次の使命がこの賢者の石の本を集める事なのよ。蜘蛛の悪魔はこの本に興味津々みたいね」
「そういうことか……」
ドロシーにも消えられても困る。
ドロシー、フレデリカ、エリーゼの誰が欠けても駄目だと思うからだ。
レディグラス、オーディアル、ベルヴィルの三人が居る以上は頭数を減らす訳にはいかない。
「ふふっ、忘却の悪魔は貴方を囲ったヘルメスではなくて?」
考えるが、ヘルメス様はあり得ないと思った。
「ヘルメス様は男だけど、魔女って男でもなれるのか?」
ドロシーは首を横に振る。
「ふふっ、悪魔は悪魔だけ、魔女は女だけ、傀儡は男女どちらでもなれるっていう感じよ。ちなみにだけど、悪魔が抱え込める魔女の人数は1人とは限らない」
「……二人目三人目の蜘蛛の魔女や試練の魔女が居るっていうことか?」
「ふふっ、そうなるわね。けど、数を抱えれば強くなるというわけではなく、手広く使命を与える事が出来るという利点が悪魔にはある一方で、魔女そのものに与えられる力が弱くなるという欠点もあるわね」
「てことは、その使える力次第によっては同じ魔女でも力関係が変わってくるってことか」
けれど、そうなると考え方によっては、同じ悪魔が抱える魔女同士でも争いが起こりかねない。
自分の力を強めるために同じ悪魔と契約した魔女を殺すのだろう。
無垢の魂を持っている魔女を襲い奪うのだろう。
オーディアルが魔女を信用できないと思うのは、きっとそういう所から来ていると思われる。
「ふふっ、そうね。そして、悪魔の力は傀儡の数によって強める事が出来るわ」
「なら、悪魔は魔女に使命を与え、魔女は自らの力のために傀儡を増やし魔女を殺し、傀儡は量産されるっていうことか?」
傀儡が際限なく増えるならば、一国が悪魔によって支配されている場所があってもおかしくない。
力のある魔女が滞在するならば、国のルールそのものにまで干渉出来るだろう。
「あれ?」
そこまで思考が回って違和感を感じた。
「……フランツベルン神聖国……女神アポストロフィ……もしかして」
「ええ、この国は魔女に支配されている魔女の国よ」
「まじかよ」
これまでの会話の流れから、考えられる可能性に至る。
「忘却の魔女アポストロフィっていうことか?」
「ふふっ、それは分らないけれど、国そのものを抱え、国家錬金術師という公務を与えて人材を抱え込んだ。そして、自分の忘却の力の意に反する心の錬金術師になろうとする貴方は忘却の魔女に対する反逆者。だから目障りだと消された……なんていう解釈もできるわね」
出来る。
それは筋書きが通る。
「つまり、国の重鎮達は軒並み……傀儡にされているっていうことか」
「ふふっ、けれど、ケリーは何故記憶を忘却されたのかしらね」
なんにせよ、心の錬金術を解き明かすためには忘却の魔女という存在が邪魔になるのは間違いない。
ケリーの心を取り戻すために始めた研究。
死んでも尚諦めることが出来ない夢。
「思い出させても忘却の魔女にまた消されたら意味がない」
「ふふっ、……国家転覆なんて傀儡1人では無理よ」
それはそうだろう。
けれど、傀儡は人の寿命には囚われない存在だ。
「ずっと機会を伺っていればいつかは……」
「ふふっ、その前にアポストロフィが賢者の石を手に入れないと良いわね。必ずしも彼女が普通の人間に戻りたいという願いを抱えているとは思えないから」
「あまり、時間を与えても駄目か」
近く、アポストロフィ聖教会に探りを入れてみるしかなさそうである。
しかし、探りを入れてみるにしても、忘却の魔女の可能性がある限り、俺の記憶も正しく保っている保証はない。
また、聖教会の中は教会関係者しか居ないというのも過言ではない。
最悪の場合は記憶どころか存在ごと消されかねない。
「……今のままだと無謀すぎるな」
報酬の本を見付けて手渡す。
すると、ドロシーは踊るように両前足を上げてフリフリ。
「ふふっ、これで無垢の魂が手に入るわ」
視界が突如暗転する。
それまで居た部屋から一転した。
等身大の人間の形をしたドロシーと、アルフレッドとしての形を保った俺が居た。
どうやらこの場では魂の形が具現化されるらしい。
ドロシーの前に、蜘蛛の玉座に座る人間大の山羊の角を生やした人間……というには不気味。
下半分が蜘蛛の異形が居た。
「ふふっ、貴方も悪魔アラクネーに気に入られたみたいね」
ドロシーの報酬となる本を所持しているからなのだろう。
アラクネーは人の方である上半身の腕を差出す。
すると、ドロシーの胸元に報酬に貰った無垢の魂が浮かぶ。
「我が娘、ドロシーの傀儡にならぬか?」
アラクネーがドロシーへの用は終わったと今度は俺に興味を示した。
先程も言っていた様に、傀儡は悪魔の力となる。
であれば、ドロシーに寛容で協力的な俺を抱え込みたいと思ったということなのだろう。
「ドロシーの傀儡になったら、フレデリカの傀儡は辞めないといけないのか?」
問うと、ドロシーは首を横に振った。
蜘蛛の時と違って首と一緒に長い黒髪が風に煽られたカーテンの様に揺れる。
艶のある髪はそれだけで色っぽく人を魅了するだろう。
「ふふっ、そんな事はないわ。貴方の目的の助けになると思うわよ。フレデリカが消えたがりの魔女……まあ、概ね間違いないからそのまま消えたがりの魔女として話すけれど、幽霊のポルターガイストが人形や物を動かしているのはエリーゼ同様ね。次いで私の傀儡になるということは、その能力とは別で蜘蛛の力を得るということになるの。魔女の私よりも劣るけれどね」
考えるまでもなく、今の自分にはその力が必要だった。
「頼む。ケリーの記憶を取り戻すため、エリーとの心の研究を成し遂げるため、力を貸して欲しい。俺をドロシーの傀儡にしてくれ」
アラクネーが笑みを浮かべる。
「我が孫に蜘蛛の導きを……」
視界が転じて元の部屋に戻された。
「ふふっ、これで貴方は私の傀儡ね……」