10.俺たちの知識チート
「それはもちろん。あまり突拍子もないことを書くと、相手に信用してもらえなくなるだろうからね」
「やっぱり、そう思うわけね。私たちじゃ、うまい文面を考えられないと思うし」
水谷さんも、矢文の文面は早見さんに丸投げするつもりのようだ。俺だって、考え付かないもん、専門家に任せるべきだよね。
「ところで、どうせならビラかなんかにして風に舞わせて町にばらまくのってどう? 『勇者がやって来た!』って知らせたら、有角族が動くんじゃないかって思うの」
今度は土屋さんが、そんなことを言い出した。
「お、いいな、それ。で、町の人たちが外を見ると、オレたちがいるわけだ!」
今にもポージングしそうな勢いで、火村が目を輝かせる。
「……アイデアとしては、ありかなとは思うけど……手間だよ。忘れてるかもしれないけど、この世界、文章は全部手書きだ。ビラ配りをしたいんだったら、すべてのビラの文章を、手書きしないといけないんだからね? おまけに、この世界の紙と言えばいわゆる“羊皮紙”だ。動物の皮を加工して、紙状にしたものだから、値段は結構高い。本当の意味での“紙”は、交易品として入ってきていたらしいけど、製法が伝わらないうちに入ってこなくなってしまったんで、今は出回ってないんだ。紙を手に入れるのも、実は大変なんだよ」
「「「うわぁ……」」」
みんなも、問題点に気づいたらしい。まず、大量にまくためにはビラの材料を確保しなくちゃいけないし、手に入ったとしても、ビラを作るのも大変。早見さんも前に、『パソコンなしの事務作業は、結構きつい』って言ってたもん。コピペも出来ないしねえ。
「それにね、町の人たちにビラを配っても、あまり効果はないと思うよ」
「なんで?」
脊髄反射のような速さで、火村が尋ねる。ほんとに何もわかってないって感じの、きょとんとした顔で。
「町の人が、ビラの文章を読めるとは限らないからだよ。というか、ほとんどの人は読めないだろうね。この世界では、“読み書き計算が出来る”というのは、ある意味特殊技能なんだ」
早見さん曰く、この世界の人々の識字率はかなり低くて、たとえ貴族であっても、地方領主などは、当主とその後継以外は、まともに読み書き出来ないのも、決して珍しくないそうで。一般市民の識字率はもう、推して知るべし。
王宮の文官さんたちなんかは、まさしくエリート中のエリートになるわけで。
「だから、僕たちがこの世界の文字の読み書きが出来るというのも、それこそ【鑑定】や空間収納に匹敵する特典なんだよ。まして、計算能力はこの世界の人々をはるかに凌駕してるんだ。それを頭に入れておくべきだね」
そりゃそうか。俺たち、この世界の人たちから見たらものすごく高度なことを、学校で習ってるんだな。義務教育課程で、王宮の文官の人たちの知識や数学能力をぶっちぎってる。
魔法の知識以外、俺たちの知識のほうがはるかに上なんだ。
「でも、例えば商人なんかはどうなのかしら? ああいう人たちは、読み書き計算が出来なかったら、いろいろまずいんじゃないの?」
水谷さんが、質問をする。あ、確かにそうだな。
「この世界では、読み書き計算が出来なくても、何とかなるんだよ。現物を見ながら、直接やり取りするんだから」
早見さんによると、この世界の商取引は、現物をじかに見ながら売り買いする値段を決め、ひとつごとにお金を払うという形で行われるため、複雑な計算は必要ないんだそうだ。
「例えば、焼き物のツボを10個仕入れたとする。その際、ひとつ銀貨1枚で仕入れたなら、品物ひとつに付き銀貨を1枚払う。それを自分が売るときには、銀貨2枚だとして店に並べる。買う人は当然値切るので、双方交渉して、銀貨1枚と大銅貨5枚で手を打つ、とかね。そういう形で取引が行われるんだ。直接コインでやり取りされるから、コインの数を数えられれば、細かい計算なんかは必要ないんだよ」
朝、仕入れに向かう前に、仕入れに使うコインの種類と個数をチェックしておき、仕入れと商売をして、家に帰ってきた時点でコインの数を数えなおす。
朝より多ければ儲かったことになり、その差額分で次の市が立つまで家族が普通に食べていけるなら、何の問題もなく暮らせるのだ、と。
さすがに、数を数えるくらいなら、大体の人が出来るから、と早見さんが締めくくる。
なるほどね。数を数えるだけで、特にややこしい計算なんかしないなら、確かに読み書き計算が出来なくても成立するわな。
「例えば、二次方程式なんかも君たちは習っているはずだけど、この世界の人たちにとって、わけのわからない記号にしか見えないだろう」
あれ、解き方に公式があるんだよな。いくつか解き方があったはずだけど、確かにどの解き方であっても、四則演算がよくわかってない人たちじゃ、絶対にわからない。
「……二次方程式……あれ、悪夢だったよなあ……」
火村がなんか遠い目になってるが、それでお前の数学の成績が何となく想像出来るなぁ。赤点取らなかったか?
まあ俺も、何とか赤点は免れたっていう成績だったけどさ……
何となく、全体が微妙な雰囲気になったところで、早見さんが右手で自分の膝を叩いてポンポンと音を立てる。
「はい、この話題はここでおしまい。考えすぎると寝られなくなるから、肩の力を抜いて、寝る準備をしようね」
膝を叩いたのは、手を叩いて音を出せないからだな。それでも、それをきっかけにして場の空気がゆったりしたものに変わった。
そう、この世界、夜更かししてても娯楽はない。スマホは持ってるけど、充電切れたら終わりだから、うかつに空間収納から出せない。あの中にある限りは、時間停止してるからバッテリー残量は減らないけど。
……そういや俺の、60%を切ってたな。余計、うかつなこと、出来ないや。
ほかの3人が、焚火からそんなに離れていない場所にそれぞれ落ち着き、寝る準備に入る。時計を確認すれば、午後7時を少し回ったところ。
向こうじゃ、こんな時間に寝たことないけど。
その分、朝は早い。夜明けとともに起きだすような感じだ。
そんなサイクルにも、すっかり慣れた。
寝る準備とはいっても、全員が寝るわけじゃなくて、誰かが起きて番をして、みんなで交代しながら朝まで過ごす。
順番としては、俺たち男3人が前半。女の子たちが後半を担当して、夜のうちに何かに襲われたりしないように備えてる。
まあ、盗賊とかに襲われることはまずないだろうけど、動物に襲われる可能性はある。
ただ、食べ物につられて……というのは、食事した後にきっちり後始末すれば、起こりえない。だって、空間収納にしまっちゃうんだもの。




