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森の童子  作者: 日向彼方
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島の変化

洋子が中学生のお話です

四年ぶりの島の生活はかなり変化していた。

この島にフェリーは午前中に一度しか来ない。

隣の大島でさえも朝夕一度ずつだ。

二年前に本州と大島そしてこの島の間に大きな橋が架かったからだ。

夕方のフェリー便は大島の方だけにつくようになっていた。

今回私達は車で本州から大橋を使った。

少しの荷物があった為、明叔父さんが車で送ってくれたのだった。

新しく出来た海の橋を渡って、祖母の家に向う。

砂浜が見えた。学校があった方に橋は繋がっていた。

家に着くと祖母は私を優しく抱きしめてくれた。

昼食をとると叔父さんは一つ頭を祖母に下げすぐに帰っていった。


小中学校は大島の方に統合されいて、この島の小中学校はもう廃校になっていた。

大島と繋ぐバスがありこれからは三十分程かけて大島の中学校に通う。

私は廃校になった学校に自ら足を運ぶことはなかった。


学校の裏手の墓地に両親の墓があったが、何故か近づくのが怖かった。

祖母はよく墓参りをしていたが、私は両親の命日だけにしておいた。

一度だけ階段の鳥居を見たが、怖くて近づく事が出来なかった。

神社の裏側は綺麗に修繕され神道家の遠縁の方が住職となったらしい。

誰もあの火事のことを私に告げる人はいなかった。

もちろん祖母も……。

だから、懐かしく思い出すこともなく、中学生の時間はあっという間に過ぎ去った。

小学校の時の同級生も私と気付かなったし、私からも話しかけなかった。

特別な思い出も作らず卒業した。

大島には農業高校しか無かったので、それ以外の高校を希望する生徒は以前のように本州の方で寮生活をする人がほとんどだった。

勿論バスで通えなくもないのだが、雨や風が酷くなると橋は通行できなくなる。

大島と本州を結ぶ大橋はとても長いので、結構通行止めになることが多かった。


私は伊豆の別荘で一人暮らしをすることにし、別荘から近くの高校に通った。

祖母も淋しそうだが、反対はしなかった


拙い言葉の羅列ですが、読んで頂き有り難うございます。

感想等いただけると幸いです。

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