事故
小学二年の冬休み明けから東京に転校した。
それからのGWや夏冬の長い休みは伊豆の別荘で暮らした。
あれからは一度も島に行くことはなかった。
だから祖母に再会したのは両親の葬儀の時だった。
祖母は一日中泣き続けた私を抱いていてくれた。
小学五年生の時、別荘からの海沿いの下り坂道で事故にあったのだ。
紫陽花が綺麗なガードレールに家族が乗った車は吸い込まれた。
そのまま車は海に放り出される。
私は運良く海に投げ出され、漁船に助けられたらしい。
しかし、両親は車の中で発見され死亡が確認された。
あの時父は「ブレーキが効かない」と叫んでいたが、車は海に沈んだままだ。
ただのスピードの出し過ぎによるハンドル操作ミスの事故で片づいてしまった。
幼すぎた少女は声を挙げることも知らなかった。
私は明叔父さんの家に引き取られた。
祖母が「島に来て大丈夫か?」と尋ねてきたので、私は悩んだ末叔父さんの家に行く事を決めた。
父には多額の借金があり、相殺するために東京のマンションは売ることに、また父の設計事務所も手放すことになった。
伊豆の別荘だけは残して欲しいと叔父さんに頼み込んだ。
「大丈夫だよ」と叔父さんは優しく微笑み答えてくれた。
幼かった私はすべて明叔父さんに一任することになった。
明叔父さんはとても優しくて信頼するしかなかった。
何故か怖かった叔父さんの記憶は私から消えていた。
父とは一つ違いの明叔父さんも五年前にシングルマザーの女性と結婚している。
授かり婚だと聞いていたが、出来たはずの従姉妹の姿はなかった。
私は後で知ったのだが、一歳を迎える前に突然死したのだそうだ。
もう一人の従兄弟は私の二歳下だ。
仲良く出来る自信があった。
しかし、半年もすると従兄弟が引きこもりになったせいか、段々叔母とそりが合わなくなり、中学はまた祖母のいるあの島で私は生活することになった。
拙い言葉の羅列ですが、読んで頂き有り難うございます。
感想等いただけると幸いです。