秘め事
ある日、私は陽くんの家に遊びに行く約束をした。
陽くんの家は階段の上にある神社の裏手にあり、その裏は崖になっていて、そのフェンスの向こうはもう海だった。
勢いをつけて階段を上る途中、喘息の発作が起こってしまった。
最近起こらなかったので油断して家に薬を置いてきてしまっていた。
咳が出る。息が苦しくなる。
慌てた陽くんは私を抱きしめた。
「目を閉じて深呼吸して」
陽くんが言うままに目を閉じた。
すると体が軽くなった。少しだけ目を開けるとそこは深い霧に包まれていた。
深呼吸をするたび不思議と呼吸が楽になっていった。
深い霧が私の肺を優しく包み込んでいく感じがした。
「ありがとう」
抱きしめてくれていた陽くんに私は微笑んだ。
真っ赤になった陽くんは私から離れた。
気がつくと深い霧の中にとても大きい樹があった。
―― 御神木だ ――
大きい岩を割ってそこに威厳を放ち聳え立っていた。
横には神社に繋がる岩壁があるが、見上げても上が見えない。
樹齢千年以上といわれるだけあって、大きな幹は大人十人ぐらいで囲めるだろうか?
御神木の下に大人一人分ぐらいの洞があった。
その洞の中に入るとその穴は、奥の大きな洞穴に続いていた。
薄暗い洞穴の先に緑が生い茂った神様の部屋みたいな明るい場所に出る。
いきなり天井から光が差し込んできて、眩しさに眼を細める。
足下に水を感じ慌てて靴を脱ぐ。
その泉は幽かに青白く、いや、緑色にも見える光が射していて、足元にはくるぶしまでのぬるめの水が続いていた。
洞穴の終わりは若葉の鮮やかな光が私たちを包んだ。
泉の水は温かく、辺りは畳三畳分ほどの大きさだった。
陽くんは私の手を引き、洞穴の光の中央に連れて行ってくれた。
泉は全体が乳白色だが、中央がコバルトブルーの色が強くなっていた。
「秘密の露天風呂!」
陽くんが耳元で囁いた。私は陽くんの優しい声にほっとした。
「お風呂なの?」
泉の中央のお湯は腰ほどの深さがあり、温度もそう熱くなかった。
「温泉だよ」
そう言うと、陽くんは繋いでいた手をもう一度握りなおして、温泉に入った。
私たちは座り肩まで浸かった。とても気持ち良くなってきた。
まだ深い霧に包まれていたが、大きな御神木の裏だという事は何と無くわかった。
「あっ! 洋服濡れちゃった。 どうしよう」
「大丈夫だよ」
陽くんの笑顔を見ていると急に眠たくなっていった。
気がつくと神社の階段途中にある鳥居の下で座っていた。
「帰ろう」
私の横に座って肩を貸してくれていた陽くんがそう言いながら立ち上がった。
体はとても温かく、洋服も濡れてなどなかった。
陽くんは、私の手をとり家まで送ってくれた。祖母が家の前で待っていた。
私は不思議でならなかった。
「夢だったの?」そう聞くと、
「秘密……だよ」そう言うと、手を振る陽くんの体は夕闇に消えていった。
祖母は消えていった陽くんに対し、暫く頭を下げていた。
それから、一週間ほどたった帰り道、私は体がだるくなっていた。
微熱があったのかもしれない。
陽くんは、フラフラした私を道端の道祖神の前に連れて行くと、手を私の目の前に翳し、私の手を握った。
あの日と同じように目を閉じ体が軽くなったと思うと、もう大きな御神木の前に立っていた。
そして、其処は同じように深い霧に包まれていた。
深呼吸をすると、とても体が楽になっていった。
温泉に入るとき、私は服を脱いだ。陽くんは脱がなくてもいいと言ったが、着たままの服が濡れる感覚が私は嫌だった。
陽くんがそばの樹に触れると、何処からか蔦が伸びてきて絡み合って、篭を作っていた。その中に陽くんは洋服を入れてくれた。
『 陽くんは魔法使いなんだ 』私はそう思った。
陽くんは躊躇っていたが、同じように服を脱ぎ、篭の中に入れて温泉に入って着た。
私は少し怖かったので、手をつないでくれるようにお願いした。
二人は暫く手をつないで静かに温泉に浸かった。
眠気が襲ってくる。
気がつくとこの間と同じように、神社の鳥居の下で座っていた。
勿論洋服はちゃんと着ていた。
私が目覚めると陽くんが家まで送って行ってくれる。
また家の前に祖母が金平糖の入った紙包みを手にして待っていた。
私が祖母に向かって何か言おうとしたら、
「秘密は人に言ってはいけないよ」そう言って笑っていた。
祖母は陽くんに懐紙に包んだ金平糖を渡し、深々とお辞儀をした。
陽くんは金平糖を一つ取り出して私の口に入れて、祖母に一礼しにっこり笑って夕闇に消えた。
私は祖母に背を押され家に入った。
口の中の金平糖はすぐに溶けて消えてしまったが、甘さだけは口の中に残り続けた。
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