出会い
小さい頃の私は喘息を患い東京を離れ、祖母と暮らしていた。
―― そう私は小学二年生までこの島で暮らした。
私の母は父が残る東京とこの島を往復していて、ほとんど祖母と二人で暮らすことが多かった。
そして、仲の良い誰かがいた。誰だったか思い出せない。
小さい頃の記憶というものは大体がぼんやりしているのだろうが、三歳ぐらいの病院での苦しい思い出は良く思い出せるのに、この島で暮らした四年ぐらいの記憶はとても曖昧だ。
お土産が沢山入った鞄を持ち上げ、ぼんやりと顔を上げた。
すると連絡もしていないのに、フェリー事務所の前には祖母が小さなリヤカーを伴って手を振っていた。
「洋子。おかえり」祖母が優しく迎えてくれる。
「よく分かったね」
「今日帰ってくる夢を見たからね」
背中が少し曲がった祖母は、可愛い笑顔で私を見上げた。
昔から私がどこにいてもちゃんと迎えに来てくれる不思議な人だった。
この笑顔で病弱だった私は随分助けられた。
祖母が引く荷物を載せたリヤカーの後ろを押しながら歩いていくと、右手に階段が見えてきた。
山の上には赤い屋根の古い神社があり、そこに続く長い階段があった。
たぶん階段の一番上に一つと今見える階段の七段目に赤色の塗料が半分以上もとれた、この小さい島には不釣り合いの大きな鳥居がある。
その鳥居の下に、七歳ぐらいだろうか、青い着物を着た男の子が座っていた。
私はこの男の子に見覚えがあった。
最近ネットで祖母の民宿に座敷童子が出ると噂になっていることを思い出した。
「座敷童子?」
そう呟いたとたん、その男の子はスーッと消えてしまった。
驚いて祖母の顔を見たが、祖母は小さく笑っただけだった。
私はリヤカーの後ろを押しながら黙って歩いた。
あの男の子はどこかで見た顔だ。
十五分ぐらい歩くと祖母の家に着いた。色とりどりの紫陽花が庭を埋め尽くしている。
祖母の民宿は一階に囲炉裏のある居間とその他三部屋、奥に仏間と祖母の部屋があり、居間の向こうに釜戸がある土間のままの台所があり、二階が客間の二部屋になっている。
もちろん、電気もガスも通っているが、最近は釜戸で炊くごはんが美味しいと人気だ。
私が中を覗いていると、おばさんが二人来ていてリヤカーから荷物を降ろしてくれている。
お客がある時だけ、この近所のおばさんが手伝いに来てくれるらしい。
祖母はこの民宿を歳が歳だけにもう締めてしまおうと思っていた。
しかし、少なくなっていった太公望の客でなく、座敷童子の噂でそういう物好きのお客さんが最近では増え始めた。
居間に座り、話を聞くと一日二組しか客をとれないが、一週間のうち四日は予約で埋まるという。週末は四か月以上も予約が入っているので、
「まだ死ねない」と祖母は笑って言った。
しかし、手伝いのおばさんのキクさんとタエさんのどちらも七十を超えていると言う。
完全に高齢化の進んだ島である。
夕食は四人で美味しい魚のご馳走を戴く。おばさん達が都会の話を聞きたいと残っていたのだ。
夕食後奥部屋に行くと、布団の周りには懐かしい蚊帳が張られ蚊取り線香の煙がたなびいている。
夜はエアコンを消しているが、海からの隙間風が心地よい温度にしてくれる。
疲れていたのか、布団に潜るとたちまち睡魔に襲われた。
どれくらいの時間が経ったのかわからない。
夢なのか、現実なのか。枕元に男の子が座っていた。
座敷童子?が話し掛けてきた。
見た目と違い随分と低い大人の声だ。
『早くこの島から立ち去った方がいい。 君にまた災難が降りかかる』
昼に見た男の子だ。私は彼を知っている気がする。
『もう一度言う。 島から出て行ってくれ!』
記憶の糸を辿る。
「陽くん?」
そう口にした途端、泣きそうな顔をした彼の姿は消えてしまった。
私は彼を知っている。
この島で幼い頃よく遊んだ少年だ。
神道陽一くん?私と同い年だった?
祖母に聞こうとして起き上がったが、まだ辺りは暗かった。
朝になったら聞こうと思い布団に潜り込んだが今度は眠れそうにない。
頭の中で記憶が途切れている。
「ようくん」「ようちゃん」
たぶんそう呼び合っていた。
島の記憶、特に陽くんの記憶がとても曖昧だ。
私の記憶は深い霧の中で立ち尽くしていた。
気がつくと柱時計が五回鐘を鳴らしていた。祖母が起きた気配がした。
隣に続く襖を開けると、布団の上に祖母が座っていた。
祖母の蚊帳を潜り、私は祖母の布団に入りこんだ。
「私、何か忘れ物しているみたい。 男の子は『陽くん』だよね」
祖母は、こくりと肯き、私の手を握りぽつりぽつりと『陽くん』について、語り始めた。祖母の穏やかな声を聞いていると、少しずつあの頃の事を思い出していった。
頭の中の霧が少しずつ晴れていくように、あの頃の記憶が甦ってくる。
拙い言葉の羅列ですが、読んで頂き有り難うございます。
感想等いただけると幸いです。