異世界最強の武器は☆墓守のシャベルです!
☆1☆
どうやら僕は迷ったらしい。
夜の闇を透かしてみると、月明かりの他、灯り一つない鬱蒼とした森が広がっている。
獣道に迷い込んだのだろうか?
「本当なら、とっくに姪の家に着いているはずなんだけど」
懐中時計を取り出して時刻を確認する。
午後九時を回っていた。その瞬間、時計の上蓋に緑色の光点が映る。
背後を振り返り、じっと目を凝らすと、
闇のずっと奥、遥か彼方に、狐火のように緑色に光る、二つの目がジリジリと近づいてくる。
恐らく獣か、最悪、魔獣だ。
僕の全身が震えだす。
「ま、まさか、魔獣がいるなんて?」
十九聖紀末。
帝都で最後に魔獣の被害が出たのは五十年も昔の話だ。
帝都から遠く離れた片田舎とはいえ、街から一時間足らずの森の中で、まさか、魔獣に出くわすとは思わなかった。
僕は護身用の銃を取り出して身構える。
この程度の装備で魔獣を相手に、どこまで戦えるだろうか? はなはだ疑問だが、無いよりはマシだ。
数十メートルまで近づいてきた緑色の光点が突然消え去る。
木々の梢がザッと鳴り、夜空から魔獣が襲いかかってくる。
銃を撃つ間もなかった。
雄牛のような巨体から繰り出される爪と牙。
首を撥ね飛ばされる寸前、銀色の光が眼前を走る。
魔獣の爪と牙を貫き、横凪ぎに吹き飛ばした。
銀色の光とともに灰色の影が過ぎ去ったと思ったけど、その影が魔獣の前にフワリと降り立つ。
魔獣が咆哮をあげ、起き上がろうとするが、
銀色の槍が、その首を一閃、ズシン、と重い音を響かせて、魔獣の顔が逆さまに地に落ちる。
冴え冴えとした蒼白い月の光を受け、死んだ魔獣の前に立つのは、灰色の制服に身を包み、槍を携えた、まだ年端もいかない少女だった。
少女がゆっくりと振り返り、
「大丈夫ですか? ケガはありませんか?」
透き通るような声。
月を思わせる白い肌。
猫のような金色の瞳。
端正な目鼻立ち。
すっきりと伸びた手足。
淡く輝く銀髪は、首が隠れるほどの長さに揃えられている。
月の女神のような少女だった。
だだ、特徴的な逆八の字の眉からは、強固な意志が感じられて、女神からはちょっと離れていた。
「ああ、その、大丈夫だよ。君のおかげで助かった」
僕は答えながら銃を脇の下のホルダーに納める。
少女はその仕草を興味深げにながめ、
「あなたがお持ちの武器が、今よりもっと強くなったら、あたしのような墓守りの助けは必要なくなるかもしれませんね」
「えっ! 墓守り!? 君は、墓守りなのかい?」
「ええ。ここからそう遠くない、モルーグ墓地の墓守りです」
「じゃあ、もしかして君が、アンジェ・アルカナかい?」
「はい。あたしは、アンジェ・アルカナです」
「良かった! 僕は君の従兄で、今日から半年間、君の後見人になる、ロック・ローディスだよ! まさか君に助けられるとは思わなかったなあ」
「あなたの到着が遅いので、森で迷ったのではないかと思って探していたら、たまたま魔獣を見掛けたので、あとを付けたら、ちょうどあなたを襲う所でした。まさしく、危機一髪でしたね。ローディスさん」
「ロックでいいよ、ええと」
「アンジェです。アンジェとお呼びください」
「うん、アンジェ。それにしても、墓守りっていうのは魔獣退治もするんだね。凄い早業だったよ」
「ええ。墓を暴いて死肉を食らう魔獣を退治するのが、墓守りの重要な仕事です。骸への侮辱は許しません」
「僕はまたてっきり、ゾンビとかゴーストとか、墓場のアンデッド・モンスターを倒すのが仕事かと思ったよ」
「墓地は教会の僧侶によって浄化法術がかけられているので、レベルの低い、低俗なモンスターは近づくことさえ出来ません。浄化結界を越えて侵入するモンスターは中級以上のモンスターや魔獣です」
「アンジェの槍も凄かったね。ドドーン、ズバズバーッ、て、物凄い切れ味だったなあ」
途端にアンジェの逆八の字の眉が跳ね上がり、憤懣やるかたないといった不機嫌な顔つきになる。
「槍ィ? ですかァ?」
不満を募らせ、刺々しい口調に変わる。
僕は慌てながら、
「何か? 変な事を言ったかな?」
「ロックさん。このさい、はっきり言っておきますが、あたしの武器は槍ではありません。それは、あたしの武器に対する酷い冒涜です」
槍を手に取り、険しい表情で僕をにらむアンジェ。
迂闊な事を言ったら刺されかねない。
僕は慎重に言葉を選び、
「ジャベリン、とか?」
アンジェが苛立たしげに首を振り、
「違います」
アンジェが槍の刃を愛しそうに撫で、
「この美しいへこみと曲線。まさしく、墓守りにとって、これほど相応しい武器はありませんよね」
「ホコ、とか?」
アンジェがジト目で僕をにらみ、
「はあ~~~~~」
と、長い溜め息をつく。
「常識で考えてください。墓守りといったら何を使うのか? 真っ先に思い浮かんだ物を、常識に照らしてみて、よく考えるんです。子供でも分かりますよ」
「いや、もう、さっぱりわからないよ。降参だよ、アンジェ」
「後見人は弁護士先生と伺っていましたが、意外と勉強不足な先生でしたね」
「弁護士は武器の勉強はしないからね」
「いた仕方ありません。では、後学のために、よく聞いてください、ロックさん。墓守りの武器といったら、太古の昔から決まっています」
僕は我慢して聞いていた。
アンジェが槍? を振り回し、
「墓守りの武器は☆シャベルです!」
「武器じゃないじゃん!」
間髪入れずに突っ込んだ。
☆2☆
「ロック、お前には言いたい事が山ほどあるが、今は我慢して、これだけは言っておこう。
一週間前、アイカ・アルカナが亡くなった。
俺の妹で、お前の叔母にあたる。アイカには娘が四人いてな、次女の、
アンジェ・アルカナが財産の相続人になる予定だ。アンジェは十四歳だが、半年後には十五歳、つまり成人になる。
長女は養女だから色々と問題があって、とりあえず相続は出来ない。それは、本人も承知済みだ。
で、ロック、お前にはアンジェ・アルカナが成人するまで、彼女の後見人となって財産を管理してもらう。
地元の弁護士事務所に話は通してあるから、現地に着いたら早めに挨拶してこい。
これは帝都からモルーグ港までの船賃と当座の生活費、三十万エンだ。これを持って海を渡れ。三日ほどで南部に着くだろう。
ふむ?
どうやら、お前はモルーグ街のようなド田舎へ行きたくない、といった顔つきだな。
ワシがお前のために、どれだけ苦労したか分かっとらんな。
帝都の大学に入れてやり、弁護士の資格まで取らせてやったというのに、弁護士事務所で働くでもなく、ブラブラ、ブラブラ、カードゲームばかりに熱中して、ワシの怒りも我慢の限界だ。
口答えは一切許さん。
いやなら勘当だ。
親でも子でもない。
一人で生きていけ。
それが嫌ならモルーグ街へ行って、可愛い姪の面倒を見てこい。
帝都でブラブラしているよりは断然マシだ。そこで性根を叩き直してこい。南部は帝都と違って魔獣や古えの怪物がうじゃうじゃいるらしいからな。食われないように覚悟を決めて行ってこい。
自分が今までどんなに恵まれた環境でヌクヌク、ヌクヌク過ごしてきたか思い知ってこい!
わかったな!
ロック!」
恫喝するように瞳を見開き、充血した目をギラギラと光らせる。ブルドック顔の脂ぎった父を前にすると、僕はなす術もなく途方に暮れた。
でも、住めば都。
三日間の船旅は気持ちを切り替えるのに充分な時間があった。
アンジェ・アルカナとの出会いも、僕の予想を遥かに超える楽しいものだった。
☆3☆
「父から南部は魔獣や怪物がいると聞いてはいたけど、街からそう遠くない森の中で出くわすとは思わなかったよ」
アンジェが銀髪を左右に揺らし、
「いいえ。この辺りに魔獣が出る事は滅多にありません。ですが、最近になって急に増えてきたんです」
「何か理由があるのかい?」
「これは、あくまで、あたしの個人的な意見ですから、深く考えずに聞き流してください。ここから少し離れた森の中に古い城があるんです。最近、そこに若い男が城の相続人として住みつくようになったんです。工事人をたくさん呼び込んで、色々と城に手を入れて、ですが、それからです。魔獣が増えだしたのは」
「どんな男なんだい? その城の相続人は?」
アンジェが小首を傾げ、
「そうですね。町で遠目に見た事がありますが、ちょっと人間離れした美貌の持ち主ですね。帝都の貴族めいた雰囲気の持ち主です。少々、顔色が悪くて、蒼白いのが唯一の難点と言えば難点でしょうか。実際、身体が弱いらしくて、昼間はほとんど外出しないで城にこもっているんです」
「夜しか出歩かないなんて、何か怪しいな」
「ですよね。あ、あたしの家が見えてきました。あの丘の上です」
夜の闇に浮かぶゴシック式の古色蒼然とした屋敷は大邸宅と言ってもさしつかえないスケールの大きさだった。
僕は驚きを隠さず、
「こんなに広いお屋敷に住んでいるんだ」
アンジェが謙遜したように、
「帝都の武器商人だった父が、昔の世界大戦で武器を売りまくって大儲けしたんです。その莫大な資産を湯水のように使って、贅を尽くして造ったのがこの屋敷です。今となっては、ただ広いだけで不便な家ですが。でも、ロックさんが寝泊まりする部屋には困りませんね」
ひっそりと静まりかえった広大な庭を通って、どっしりとした重厚な扉をアンジェが開ける。
フカフカの絨毯。贅を尽くした豪奢な内装。まるで貴族のお屋敷だ。
照明はロウソクだけで若干薄暗いけど。さすがにこんな片田舎では、帝都のようにガス灯や最新式のエレキテル灯というわけにはいかないようだ。
広すぎる大広間の暗がりから小さな少女が駆け寄ってくる。
金髪碧眼。
髪はツインテール。
フリルが多い黒いドレス姿に、猫耳のヘッドドレスを着けている。
ふっくらしたほっぺたが印象的な、目鼻立ちの整った、可愛らしい女の子だ。ただし、継ぎはぎだらけの不気味な人形を抱いているのが、ちょっと気になった。
「末っ子のルナです」
アンジェがそう言って僕を紹介する。
ルナが舌足らずな口調で、
「今晩は、ロックお兄ちゃん。わたし、ルナだよ。ルナって呼んでね」
「よろしくね、ルナちゃん」
続いて、二階へ通じる中央階段から女性用の司祭の制服を着た少女が、階段を静々と降りてくる。
腰まである薄茶色の髪。
花も恥じらう、という表現が良く似合うような、清楚で可憐な顔立ちの少女だ。
「アンジェお姉さま。その方が弁護士のロックさんですの?」
おっとりとした優しげな声。
アンジェが頷く。
「君たちの後見人になる、ロック・ローディスです、ええと」
少女がわびるように、
「申し遅れました。わたくし、イスラ・アルカナと申します。四姉妹の三女ですわ。ロックさん。今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしく、えっと」
イスラが微笑を浮かべ、
「イスラで構いませんわ、ロックさん」
「よろしく、イスラ」
アンジェが、
「最後はミユウ姉さんですね。相変わらず部屋にこもっているのでしょうか?」
「おやおや、人を引きこもりのように言わないでもらいたいね、アンジェ」
いつの間に現れたのか? 背後の扉の前に、アンジェと同い年ぐらいの少女が立っていた。
「夜空がとても美しかったのでね。久し振りに夜の散歩としゃれこんだのさ」
腰まで届く長い黒髪。
蒼白い肌。
切れ長の黒い瞳。
血を塗ったように紅い唇。
東方的な少し冷たい感じの玲瓏とした顔立ち。他の姉妹とは違い、一目で養女である事が分かる。
服装も独特で、東方で産出されるシルクの生地を真紅に染めあげ、金糸で鳳凰の刺繍を施した美麗な着物を着ている。
アンジェと同い年とは思えない危うい妖艶さを濃厚に纏っていた。
「はじめまして、ロック・ローディスくん。長女のミユウだ。君の事は叔父から詳しく伺っているよ。昔、君に会った事もあるしね。いや、これはどうでもいい事だね。フフフ。ともかく、君を歓迎するよ。ロック・ローディスくん。長旅、ご苦労さまだった。さあ、まずは、ちょっと遅いが、夕食をとるとしよう。緊張しないで遠慮なく、くつろぎたまえよ」
「は、はあ」
何かと引っ掛かるもの言いだけど、腹も減っていたので深く追及する事はなかった。
☆4☆
夕食はすこぶる美味しかった。かなり優秀な料理人を雇っているようだ。ただし、気になった事もある。それは、ミユウの前に置かれたワイングラスに入っている赤い液体だ。
明らかにワインではない。カクテルか? 未成年のミユウがアルコールを飲むとは思えないし。ジュースだろうか? ミユウは食事をまったく摂らずに、その赤い液体をずっと、チビチビと飲んでいた。
「気になるかね? ロック・ローディスくん。私の飲み物が?」
突然問われて狼狽しながら、
「え? いや、そんな事は、ないですよ」
ミユウが瞳を細め、
「フフフ。正直に言いたまえ、ロック・ローディスくん。まるで、血のように赤い液体だな、と」
少し長く見えるミユウの犬歯が薄く煌めいた。
「この液体はね、ロック・ローディスくん。オークの血だよ」
僕は嫌な汗をかきながら、
「じょ、冗談だよね」
ミユウがグラスを弄びながら、
「物は試しだ。君も飲んでみるかね」
華奢な指先がグラスを押し出す。
僕はグラスをつかんで口元に持っていった。すると、フルーティーな甘い香りが漂ってくる。
ミユウが悪戯っ子のように微笑を浮かべ、
「トマトと果物のミックスジュースだよ、ロック・ローディスくん。遠慮なく飲みたまえ」
僕は肩をすくめてグラスをミユウに返した。
☆5☆
「ねえねえ、お兄ちゃん。ルナと遊ぼうよ」
大広間のソファーでくつろいでいたら、ルナが僕にそうせがんできた。
「そうだね。何して遊ぼうか」
「ルナねえ、ギロチンごっこがいい!」
「え? ギロ?」
不穏な名前が出たので僕は口ごもる。
アンジェがいさめるように、
「ルナ。ロックさんを困らせたらダメでしょう」
ルナがホッペタを膨らませ、
「ええ~、やだもん。ルナ、お兄ちゃんと遊ぶんだもん。ギロチンごっこして遊ぶんだもん!」
僕は二人の間に入って取り成すように、
「まあまあ、子供のやる事だから、そんなに目くじら立てなくても」
ルナが瞳を輝かせ、
「じゃあ、お兄ちゃん、ルナと遊んでくれるの?」
僕は笑顔で応じる。
「うん。一緒に遊ぼう」
「わ~い、わ~い。じゃあ、お兄ちゃん。そこに横になって」
ルナに言われるまま、
「こうかな?」
僕はフカフカの絨毯の上に横たわる。
「よ~し、お兄ちゃん。じっとしていてね。動いちゃダメだよ。えいっ!」
ルナの瞳が青く輝き、目の前に長方形の枠が現れる。それが僕の首の上にのしかかり、
ガチャン!
首と手首が固定された。
禍々しい漆黒の枠の上には、鋭利な刃物が付いていて、
「ちょ! ルナちゃん! これ何!? 君がやったの!」
ルナがニッコリ笑い、
「そうだよ。お兄ちゃんと遊ぶために、ルナが出してあげたんだよ。楽しいでしょ、お兄ちゃん?」
楽しいかどうかはさておき、
「えっと、まさか、あの刃を落とすんじゃ」
ルナがキョトンとした何を今さら、といった表情を浮かべ、
「当たり前じゃないお兄ちゃん。だって、ギロチンごっこだもん。それっ!」
ルナの掛け声とともに銀色に煌めきながら、ギロチンの刃が落ちてくる!
カキンッ!
首チョンパ寸前、アンジェの槍、いや、シャベルがギロチンの刃をさえぎる。
「ああ~! アンジェお姉ちゃん。何でルナの邪魔をするの?」
アンジェが極めて冷静に、
「ルナ。普通の人は、あなたの相手は務まりません。普通に死にますから」
ルナが不満げに、
「ええ~、ルナは血がドバッと出る所が見たいだけだよ。お兄ちゃんを殺すつもりはないもん」
アンジェが呆れたように、
「血がドバッと出たら普通は死にます」
ルナが口を尖らせ、
「ひどいよアンジェお姉ちゃん。そんなこと言って、お兄ちゃんを独り占めする気でしょ。何でそんな意地悪するの!」
「話にならないですね。とにかく」
「嫌っ! アンジェお姉ちゃんなんて、大っ嫌い!」
ルナの瞳が青く輝き、漆黒の悪魔じみた巨大な手が空中に突然現れる。その手が伸び、アンジェを掴もうとするが、
「はっ!」
鋭い呼気とともに刃鳴一閃、シャベルが悪魔の手をバラバラに切り裂く。
ルナが諦めずに、
「まだまだ、だもん! えいっ!」
ギロチンが僕から離れると、横凪ぎにアンジェに向かって刃を次々に飛ばす。
アンジェが軽やかに刃を避け、ギロチン本体に迫る。途中、
「お二人とも、もう止めください! お客さまの前ですよ!」
二人の間に入ったイスラの周囲に、金色に輝く無数の盾が出現、アンジェのシャベルとギロチンの刃を跳ね返し、直後、盾が爆散、アンジェとルナが吹き飛ばされる。
ルナは窓を突き破って庭へ、アンジェは壁を突き破ってとなりの食堂へ飛んでいく。
イスラがオロオロしながら、
「ああ、わたくし、またやってしまいました。ど、どうしましょう? ロックさん?」
急に僕にふってきた。
「そんな事を僕に言われても。とりあえず、二人が生きてるかどうか見てくるよ」
僕がフラフラしながら立ち上がると、
「いや、すまない、イスラ。あたしも子供相手に、ちょっとムキになってしまいました」
「ルナもやり過ぎちゃたよ~。イスラお姉ちゃん、ごめんなさい」
二人ともピンピンしていた!
「姉妹喧嘩は丸く収まったようだが、大広間の修理はキッチリやってもらうからな。もちろん、自腹でな」
暖炉を背にしたミユウが、表情も声音も変えずに異様な威圧感を湛え、恐い微笑を浮かべながら静かに言い切る。
蛇に睨まれたカエルのように、アンジェ、イスラ、ルナがうなずいた。
☆6☆
翌朝、九時過ぎに目が覚め食堂に行くと、イスラとルナが食堂の机で何か内職をしていた。
イスラがメモに何かを書きつけ、ルナが小さな封筒にしまって蝋で封をする。
「こんな朝早くから、二人とも何をしているんだい?」
ルナが呆れたように、
「もう九時過ぎだよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんはお寝坊さんだね」
質問には答えてくれなかった。
イスラがなだめるように、
「昨日の今日だから、きっとロックさんも長旅の疲れが出たのですわ」
僕は少しげんなりしながら、
「いや、まあ、それだけじゃないけどね。色々とあって。ところで、アンジェとミユウはどうしたんだろう? 姿が見えないね」
イスラが、
「ミユウお姉さまは、まだ、お休みになっています。いつも起きてくるのは夕方ごろですの」
ルナが、
「アンジェお姉ちゃんはね、墓場に修行に行ってるよ。お兄ちゃんも行ってきたら?」
僕は頭をかきながら、
「でも、場所がわからないな」
イスラが説明する。
「街へ行く途中、墓地に通じる小道があります。そこに入って進むとすぐですわ」
イスラの説明に従い墓地に行ってみることにした。
☆7☆
遠くの方から槍、ではなく、シャベルが空気を切り裂く小気味よい音が響いてくる。
墓守りの灰色の制服に身を包んだアンジェの姿が目に入る。
シャベルを自由自在に、突き、裂き、素早く振り回す。
息も乱さず激しい動きを難なくこなしていた。
そこへ一匹の蝶が迷い込む。
「奥義・百列突き!」
シャベルがブルッと震え、穂先が無数に分裂、広範囲を一気に突きまくる。分裂したように見えたのは、あまりに速すぎた残像だろう。
ヒラヒラと飛ぶ蝶にシャベルが当たり、ポトリと地に落ちる。
僕は肩をすくめ、
「修行とはいえ、蝶には可哀想な事をしたね」
「そうでもありませんよ。手加減しましたから」
アンジェがシャベルを地面に突き立てる。すると、それまで死んだように動かなかった蝶が、かすかに羽を震わせたかと思うと、再び大空に舞いあがる。
僕は拍手しながら、
「ブラボー! 素晴らしい、シャベル奥義? だね」
アンジェが謙遜したように、
「奥義といっても、百烈突きは基本中の基本ですよ。威嚇したり、バリアのように、とりあえず置いてみたりといった使い方をします。威力が低いので、使い所が難しい技です。ところで、何で墓場に来たんですか?」
アンジェの問いに、
「君がここにいると聞いてね。散歩がてら寄ってみたんだ。それに、聞きたい事が山ほどあったしね」
アンジェがあっさりと、
「本人に直接聞けば済む話ではないですか」
「イスラもルナも、何か内職をしていたから気が引けたんだよ。邪魔したくなかったんだ」
アンジェが納得したように、
「大広間の修理費用を稼ぐための、御守りでも作っているのでしょう。それはともかく、質問があれば、あたしがお答えしますよ」
僕は早速、
「昨日の」
「ルナの事ですね。ルナは祖父に似たんです。実は、祖父はデーモン。悪魔との合いの子で、ハーフデビルなんです。頭にツノらしき物と尻尾のような物が生えていた事を、あたしは今でも覚えています。幸いルナは、そういった物はありませんが。でも、悪魔召喚の能力は引き継いでいます。しかも、能力的には祖父を遥かに凌いでいます。ルナがああいう性格になったのも、祖父の影響だと思います」
「隔世遺伝かな」
「イデン、ですか?」
「科学者のメンデルが発見した法則だよ。子供は親の遺伝子を強く引き継ぐけど、まれに、それ以前の、祖父や曾祖父の遺伝子を引き継ぐ、隔世遺伝があるって」
アンジェが理解しかねるといった調子で、
「はあ。それはともかく。次はイスラですね。イスラは祖母に似たんです。祖母は天使との合の子で、いわゆる、ハーフエンジェルです。祖母の背中には羽らしき物と、頭の上には時折、光る輪が見えた事を、あたしは今でも鮮明に覚えています。イスラは祖母同様に神聖法術の能力を強く引き継いでいます。そして、教会に入るや、瞬く間に出世して、司祭にまで昇り詰めたんです。ただ、イスラが得意なのは法術の中でも戦闘に特化した、聖闘法術です。ですから、イスラは司祭といっても、ただの司祭ではなく、聖闘司祭と呼ばれています」
「物凄い家族構成だね」
「こんな事で驚いてはいけませんよ、ロックさん。ミユウ姉にいたっては、それどころじゃないんです」
その時、墓地のずっと向こうに霞む白い尖塔のような教会から、鐘の音が高らかに響いてくる。
アンジェが話を打ち切る。
「時間ですね。いったん家に戻りましょう。ミユウ姉の話はまた、いつかゆっくりしましょう」
☆8☆
家へ戻る途中、アンジェが、
「今ごろイスラとルナがモルーグ街で売るお守りを持って、家を出ているころです。あたしも途中で合流して、二人と一緒に街に向かうつもりですが、ロックさんはどうしますか?」
僕は少し思案してから、
「うん、街にある親父が紹介してくれた弁護士事務所に寄ってみようかな。いや、別に仕事をするわけじゃないんだけど。あくまで顔を出すだけ。一応、僕のメインの仕事は君たちの後見人だから。事務所の仕事はやっても、やらなくても、どっちでもいいって親父は言ってたんだ。まあ、少しは働くけど。気が向いた時に」
などと喋りながら歩いていると、小道の先に街に通じる道と交わる十字路があり、そこにイスラとルナが立っていた。
☆9☆
小道から街道に出るとイスラが、
「そろそろ来るころだと思っておりました、アンジェお姉さま」
ルナが、
「お守り、い~っぱい作ったから、アンジェお姉ちゃんも一緒に街で売ろうよ」
アンジェがうなずき、
「そうですね。一緒に行きましょう。ロックさんは事務所ですよね?」
事務所はあとまわしでいいかと考え、
「いや、僕も一緒に行こうかな。弁護士事務所はあとで寄ってみることにするよ」
アンジェが、
「では一緒に参りましょう」
ルナが、
「みんな終わったら、またルナと遊ぼうね、お兄ちゃん」
「あ、はは、そうだね。まあ、あとでね」
歯切れ悪く返事を返す僕にアンジェが突き刺すような痛い視線を向ける。
☆10☆
モルーグ街はテントを張った小さな店が所狭しと立ち並ぶ長大な市場だった。
アヴァロン帝国南部に位置するモルーグ市は、帝都民から見たら、ド田舎、片田舎、異次元の辺境と言われたい放題だが、実際は北部と南部、砂漠の西部。それに、はるか彼方、東方の国々など、ありとあらゆる国々から物と金が集まる交易都市だ。当然、世界中の雑多な人種が集まり、都市を埋め尽くしている。
街はエネルギッシュな活気に溢れていた。
店主の威勢のいい掛け声が飛び交い、肉や魚、新鮮な野菜を調理する香ばしい香りが街中に漂っている。
雑貨や装飾品、日用品も無数に売られている。
「凄い活気だね。昨日の夜はこんなに混雑してなかったのに、ちょっと圧倒されるな」
僕の感想にイスラが、
「帝都とは比べものにならない微々たる街ではありますが、それでも内海を航行する輸送船が、帝都の様々な商品を運んできてくれますわ」
アンジェが、
「西からはラクダに商品を積んでやってくるキャラバン隊がいますし」
ルナが、
「ミユウお姉ちゃんの故郷、東方からも、い~っぱい人が来て、珍しい物を、い~っぱい売ってるんだよ」
僕が、
「君らも例のお守りを売るのかい」
イスラが、
「そうでしたわ。お昼ゴハンまでに完売しなければいけませんね」
言いながら、お守りをアンジェとルナに渡す。
イスラが美しい声を響かせる。
「聖闘司祭イスラです。本日はイスラ特製のお守りを売りに来ました。お安くしときますので、ぜひとも買っていってください」
アンジェとルナも続いて声を響かせる。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい、王都でも名高い聖闘司祭イスラ直筆のお守りですよ。お買い得ですよ」
「ルナもお手伝いしたんだよ、みんな買ってね」
僕はイスラに聞いてみた。
「それで、値段はいくらにするの?」
イスラが顎に指先を添えて思案すると、
「そうですね~。いくらにしましょうか?」
僕は驚きながら、
「え? まだ決めてないの」
イスラが意外そうに、それならと値を決める。
「それでは、一万エンにしましょう」
アンジェがすかさず、
「待ってください。一万エンでは修理代が不足します。せめて、その三倍でないと」
「えっ!?」
僕はまたまた驚いた。
イスラがうなずき、
「わかりました、アンジェお姉さま。それでは三万エンにします」
僕は驚き呆れながら、
「それじゃボッタクリか霊感商法だよ。まずいんじゃないかな?」
イスラがウルウルと瞳に涙をいっぱい浮かべ、
「それでは、ロックさんは、私たちの家が荒れ果てたまま修理もしないで放置したままでいいとおっしゃるんですか」
「いや、そうは言わないけど、だって、帝大を卒業した社員の初任給だって二十万エンぐらいだよ、お守り一個三万エンは高すぎるじゃない?」
通りすがりの商人が、
「何言ってんだい、あんた! 聖闘司祭イスラ様といったら、聖教会で十二使徒に選ばれている大聖人の一人なんだよ! 帝都なら、このお守り一つが三十万エンで売れるよ! 三つ、いや、四つおくれ!」
どうやら帝都から来たみたいだ。商人が息巻きながら大枚を払いイスラのお守りを買う。
「俺にも売ってくれ!」
「俺もだ!」
それをきっかけに、後から後から、客が集まりだし、あっというまに一袋三万エンのお守り百枚が完売した。
☆11☆
ものの数分で稼いだ金額は三百万エン。
ルナが、
「わ~い、あっという間に売り切れちゃったね、イスラお姉ちゃん」
イスラが、
「皆様、信心深いかたばかりで、とても助かりました。きっと、これもまた神の思し召しでしょう」
アンジェが、
「久しぶりの労働でいい汗をかきましたね」
色々と言いたい事はあるけれど、とりあえず黙っていた。すると、人混みをかきわけ、若い女がイスラの前にひざまずくと、
「イスラ様! 聖闘十二司祭! 南天極聖の乙女! どうか、私の願いをお聞き届けください!」
赤いワンピースが汚れるのも構わず、膝だちでイスラににじり寄る。
赤い巻毛に情熱的な美しい顔立ち。が、今は苦悩のためか、苦しげに歪んでいる。なぜか首に包帯を巻いていた。
イスラが物馴れた調子で、
「どうされたのですか? どうか、お立ちになってください。どのようなお話でしょうか?」
「不躾な態度をお許しください。慈悲深きイスラ様にすがるより他に方法がないのです。申し遅れました。私はイブと申します。どうか、この手紙をアダムに届けて欲しいのです」
「どちらのアダムさんですか?」
「森の城の、新しい城主となったアダムです」
「モルーグ郵便では駄目なのでしょうか?」
「それが、あの森は最近、魔獣が多いらしく、しばらく近づけないと言うのです」
「くおらイブ! 勝手に店を抜け出して、何さらしとんじゃあ!」
背後から酷いダミ声が響き渡りイブの腕を強引につかむ。
五十がらみの腹の突き出たハゲ親父だ。
「んん~? 何じゃこの手紙はあ?」
イブから手紙を取り上げようとするハゲ親父。
「やめて、お父さん! それはアダムに」
とても血が繋がっているとは思えないが、どうやらこのハゲ親父はイブの父親らしい。
「まだあの若造に未練があるのかイブ! お前はシャイロックさんに嫁がせるって、俺が決めたんだよ! シャイロクさんも大乗り気なんだよ! 今さら結婚をやめるわけにはいかないんだよ!」
二人の間にアンジェが割って入り、ハゲ親父から手紙を奪い取る。
アンジェがイブを安心させるように、
「イブさん。この手紙はあたしがアダムに届けます。ちょうど、城の城主に会ってみたいと思っていたところなんです」
ハゲ親父が顔を真っ赤にして怒号する。
「何だ貴様は! 俺の家庭の問題に口出しをすんじゃねえよ!」
アンジェが、
「私は手紙を届けるだけです。家庭の問題に興味はありません」
「うるせえっ! とにかく、その手紙を俺に寄こせ!」
ハゲ親父が手紙を取り戻そうと必死になるが、アンジェはヒラリ、ヒラリとかわす。
ハゲ親父が悔しそうに、
「あの野郎は俺の娘の首に噛みつきやがった変態野郎なんだぞ! これ以上イブを傷物にされてたまるかってんだよ!」
イブが、
「アダムじゃない! 彼と別れたあと、後ろからいきなり抱きすくめられて、それで」
「俺は今日みたいに店から急にいなくなったお前のあとを追って、お前を探しに森に入ったんだ。そこで奴に襲われているお前を、この目でハッキリ見たんだ!」
アンジェが肩をすくめ、
「見間違いでしょう。新しい城主は夜しか出歩かないのですから、暗闇で何かと間違えたんじゃないですか」
「俺が間違えるはずがない!」
「まあまあ、そんなところで許してあげなよ、カインさん」
「シャ、シャイロックさん!」
「手紙ぐらい、いいじゃあないか。それと、これを」
潰れたオークのような醜悪な容貌の肥満した若者が、胸元から三百万エンを取り出すと、カインの親父にポンと渡す。
「持参金の一部だ。イブと結婚したら、その十倍をまた払うよ」
「はは~っ! ありがたや、ありがたや! 神様、仏様、シャイロック様!」
米つきバッタのようにペコペコするカインの親父。とにかく、その後、アンジェはイブの手紙をアダムに届ける事になった。
☆12☆
「それでは、あたしは森の城主アダムにイブの手紙を届けてきます。あなたたちはどうしますか?」
アンジェの問いに、
「ルナはお腹減っちゃったから早く、お昼ゴハンを食べたいな」
イスラも、
「わたくしも久しぶりの労働で、お腹がペコペコです。先にお食事をします」
「僕は森の城主に興味があるからアンジェと一緒に行くよ」
ルナが、
「それじゃあバイバイお兄ちゃん。またあとでルナと遊んでね」
イスラが、
「今日稼いだお金で豪華なランチにいたしましょう」
イスラとルナと別れたあと、アンジェは街の屋台で軽食を買った。それを食べながら僕らは森に入る。
☆13☆
森の中で軽食をパクつきながら、
「ところで、アンジェは墓守りをしてるんだから、給料とか出てるんだよね。だったら、あんなボッタクリの霊感商法をしなくてもいいんじゃない?」
アンジェがイラついた調子で、
「確かに、給料は教会から出ています。が、成人に達していない子供は見習い扱いになるんです。つまり、あたしの給料はお小遣い程度しか出ません。ちなみに、あたしの月給は五千エンです」
「安っ!」
確かに子供のお小遣いだ。
「ちなみにイスラも同じようなものです。いずれ成人すれば、年収二千万エンは軽く越えるでしょうけど、今は月に二千エンです」
僕は納得顔で、
「それじゃボッタクリをやるしかないね」
「こんな事は子供でも知っている常識ですよ。ロックさんは本当に弁護士さんなんですか? そんな常識を知らないのでは、先が思いやられます。あたしから一言、言っておきますが」
唇を尖らせて、猫のような金色の瞳をカッと見開き、
「な、何だい?」
僕は身構えた。
「従兄同士は、結婚出来るんですよ! もう少し、しっかりして下さい!」
アンジェが噛みつくように吠えた。
意味がよく分からなかったけど。
「ところで、ミユウは」
僕が話題を変えると、
「ミユウ姉はどうしてもお金が不足している時に
は、どこからともなくお金を工面してきて、あたしたちに渡してくれます。いったいどこからお金を持ってくるのか? いまもって謎です。それはともかく、ミユウ姉にはもっと重要な秘密があるんです。実はミユウ姉は、あっ、お城が見えてきました! 続きはまた今度にしましょう」
☆14☆
幸い魔獣に出会うこともなく城にたどり着いて良かった。
幾つもの尖塔が聳える古色蒼然とした、昔ながらの古城だ。
アンジェが門を叩く。
「たのもーっ!」
道場破りか?
門が開いて年老いた老執事が、
「どちら様で、どういったご用件でしょうか?」
値踏みするようにジロジロとアンジェを見つめる。
アンジェが、
「あたしは、アンジェ・アルカナ。イブからアダムあての手紙を預かってきました。直接、アダムにお渡ししたいのですが」
「少々、お待ちください」
執事が城に戻り、またやってくる。
「どうぞ、こちらへ、ご案内いたします」
☆15☆
意外なことに城内は最新のエレキテル灯の照明に彩られ、真昼のように明るかった。
帝都でも、これほど照明が充実している所はない。
「いったいどこからこれだけの電力を持ってきてるんだろう?」
僕が呟くと、
「西方に燃える水という物がありまして、それを利用した火力発電所が最近開発されたんです。かなり西方にあって、距離はありましたが、親から譲り受けた遺産の一部を使って、このモルーグ市の森の中までケーブルを引っ張ったんです」
何の音も気配もなく大広間の片隅に忽然と姿を現した青年がサラリとそんな事を説明した。
流れるようなプラチナブロンドの髪は腰まで伸び、スラリとした長身によく似合っている。
端正に整った目鼻立ちは美貌と気品が感じられる。唯一の欠点は病弱に感じるほど青白い肌の色だ。
アンジェが切り出す。
「アダムさんですか? あたしは墓守りのアンジェです。ゆえあってイブさんの手紙を届けにきました」
アダムがうなずき、
「詳しいいきさつは居間で伺いましょう。アンジェさん。それに」
「ロック・ローディス。アンジェの後見人です」
僕が答えるとアダムが、
「ではロックさんもご一緒に、こちらへどうぞ」
☆16☆
身体が沈むようなフカフカのソファーに腰をおろし、アンジェがアダムに手紙を渡す。
アダムが宛名を見ながら、
「字が震えていますね。何かあったのでしょうか? しかし、その前に」
手紙をいったんテーブルの上に置くと、
「今後も私とイブの事でお二人にご迷惑をお掛けするかもしれません。ですから、これまでの経緯を簡単に説明したいと思いますが、よろしいでしょうか」
僕とアンジェがうなずく。アダムが、
「噂は耳にしていると思いますが、私は、
シルバーストーン病という難病を抱えていまして。これはちょと難しい医学用語で、一般には、
色素性乾皮症と呼ばれています。
陽に当たると皮膚にシミが出来、火傷のような症状が出るのです。ですから、私は昼間はほとんど外出しません。日が落ちた夜に街に出掛けるのです。
街の人々とはなかなか馴染めませんでした。ですが、イブだけは別です。酒場で一人で飲んでいる私に気さくに色々と話しかけてきました。イブは酒場の看板娘でした。自然と私はイブと親しくなりました。酒場以外の場所でも会うようななり、森の近くまで見送りに来る事もありました。そんな時です。あの事件が起きたのは。イブと別れて森へ入ってすぐにイブの悲鳴が聞こえたのです。私がとって返すと、イブの上に得たいの知れない黒い影が覆いかぶさり、イブの首筋に牙を突き立てて血をすすっていたのです。私が近づくと黒い影は鳥のように羽ばたき飛び去って行きました。翼を広げた大きさは二メートルを越えていました。私が気絶したイブを抱きかかえた直後、イブの父親であるカインが駆け付けて来たのです。現場を見たカインは、私がイブを傷つけたと思い込み激怒しました。仕方なく私は弁解もそこそこ、その場から離れたのです」
僕は、
「賢明な判断ですよ。カインの親父さんに今の話をしても恐らく信じなかったでしょう」
アンジェが、
「話は分かりました。となると、イブの手紙が気になりますね」
アダムがうなずき手紙の封を切る。
手紙にざっと目を通してから、
「これは、由々しき事態です。カインが娘を襲ったのは私で、私を告訴すると書いてあります。訴訟の費用はシャイロックが全面的に支払うそうです」
僕が、
「状況からすると、アダムさんの説明は受け入れられない可能性がありますね。真犯人の黒い影を何とかしないと」
アンジェが、
「ところで、シャイロックという男をご存じですか? カインが勝手に決めたイブの婚約者だそうですが」
アダムが、
「シャイロックはこの近くにある大規模農場の農場主で地元の名士で通っています。ある日、突然、城にやって来て、イブと別れろと息巻いていましたが、無論、拒否して追い返しました。シャイロックがイブの婚約者だなんて、とんだお笑い草です。そんな話はイブが絶対に承諾しないでしょう」
その通り、とアンジェと一緒にうなずきながら、その日は話を切り上げて帰る事にした。
☆17☆
城を出る頃には、陽は落ちて空は茜色に染まっていた。
かなり薄暗いなか、
「あっ! あれを見てくださいロックさん!」
アンジェが空を指差して叫ぶ。見ると黒い、やけに大きな鳥? いや、コウモリが城の裏に向かって飛んでいく。
「怪しいコウモリですね。行ってみましょう」
アンジェが駆け出す。
僕もそのあとに続いた。
城の裏に回ると、ちょうどコウモリが城の壁に吸い込まれていくように入って行った。
アンジェが近づいて調べると、
「壁の一部が崩れていますね。この中に入って行ったみたいです」
壁をよく見ると、
「電線のケーブルがあるから、ケーブルの設置工場中に崩れたのかな? それとも、その後に崩れたのか?」
「勿論、工事のあとでしょう。それより、下に降りる階段があります。元々は階段の入口だったんでしょう」
「どうする? アダムに知らせるかい?」
「いえ、先にコウモリの真相を確かめましょう。ここを離れたらコウモリに逃げられるかもしれません」
「わかった。じゃあ僕も一緒に行くよ」
アンジェが意外そうな顔つきで、
「無理しなくていいんですよロックさん」
「女の子が危険な場所に行くのに、僕だけ安全な場所で待つわけにはいかないな」
「それでは一緒に参りましょう」
僕はうなずき、アンジェが階段を降りていった。
☆18☆
地下へ続く長い階段をゆっくり降りて行く。壁にロウソクが設置されていたので.ライターで火を灯す。
階段の終わりに巨大な入口があってアンジェが中を覗く、
「いました。先ほどのコウモリです」
僕も覗いてみる。
二メートルほどの大きなコウモリが青白く輝く高さ三メートルほどの柱に張り付いている。
アンジェが、
「魔石柱です。あのコウモリは魔力を吸収して大きくなったのでしょう。進化する前に発見して良かったです」
「進化すると、どうなるんだい?」
「強力な魔獣になります。今は変異途中ですが」
アンジェが変異コウモリに突進しながら答える。
変異コウモリがアンジェの接近に気付いて飛び上がる。
「はっ!」
アンジェがシャベルを突き刺す。が、変異コウモリはヒラリ、ヒラリとアンジェの攻撃を避ける。
「変異コウモリは口から超音波を発して、その反響を利用して攻撃を避けているから、単純に突いても避けられるよ」
「じゃあ、どうするばいいんですか」
「こうするのさ」
僕は拳銃を撃つ。変異コウモリには当たらないけど動きがフラつく。
「耳が良いだけに、銃の轟音が効いたようだね」
アンジェが、
「なるほど! ならば私も!」
フラつく変異コウモリに近づき、
「必殺! 百裂突き!」
なんとか避けようとする変異コウモリ。が、広範囲に散ったシャベルの穂先からは逃げ切れない。
「グギャッ!」
数発ヒットする。
変異コウモリが滅茶苦茶な軌道を描きながら地下から逃げていく。
「致命傷にはなりませんでしたね。残念です」
「とりあえず魔獣化は防げたから、いいんじゃないかな。それより、この魔石柱をどうしようか? アダムに知らせたほうがいいかな?」
「その必要はありません。この場で破壊します」
言うなり刃鳴一閃、轟音とともに魔石柱が粉々に砕け散る。
「これで強力な魔獣に進化する恐れは無くなりました。アダムさんにはあとで伝えましょう。今日の所は、このまま引き上げます。早く帰ってシャワーが浴びたいんです」
僕も同意した。
それにしても、他にも数本、魔石柱らしい物があったみたいだけど、それらは全て根元から引っこ抜かれていた。
いったい誰が抜いたんだろう?
☆19☆
アルカナ邸に帰ると晩餐の席でアンジェが、
「ミユウ姉、モルーグ街で起きた事件と、森の城で起きた事件についてミユウ姉の意見が聞きたいのですが」
と、こう切り出しイブとアダムのいきさつやアダム邸の地下で起きた事件を事細かに説明した。
ミユウが顔を曇らせ、
「魔石柱をその場で破壊したのは正解だが、魔力で変異したコウモリを逃がしたのは失敗だな。恐らく、そいつは吸血性の変異コウモリで、イブを襲った影の正体もそいつだろう。傷ついた変異コウモリは傷を癒すために、また吸血行為に走るものだ。となると、狙うのはまたイブの可能性が高い」
アンジェが血相を変えて椅子から飛び上がり、
「イブさんの家に行ってきます」
と叫んで食堂を出ようとする。
ミユウが、
「ちょうどいい、フラン博士からもらった二輪オートモービルがあるから、それを使いたまえ。街まで五分で着くはずだよ」
アンジェが残念そうに、
「あたしは自転車にも乗れません」
「僕が乗れます。アンジェは後ろに乗りなよ」
イスラが、
「さすがは帝都出身ですね」
ルナが、
「ルナもお兄ちゃんと一緒に二輪モービルに乗りたいよ~!」
ミユウが、
「ルナとイスラには馬車を呼んでやろう。さあ、二人ともグズグズしないで早く出発したまえ」
僕とアンジェはうなずいて屋敷を飛び出した。
☆20☆
街へ着くと同時にカインの店の二階からイブの悲鳴が響いた。
アンジェが店を突っ切って二階へ走る。
扉をシャベルで破壊して部屋に入ると、
倒れたイブの首筋から真紅の血が流れ、変異コウモリがイブにおおいかぶさっていた。
あとから来たカインも仰天する。
アンジェが大喝する。
「イブから離れなさい!」
同時にシャベルで攻撃。が、変異コウモリが窓から逃げる。
アンジェも窓から飛び出し変異コウモリを追う。
呆気に取られるカインにイブの介抱を頼み、僕も二輪モービルで変異コウモリを追った。
途中、走るアンジェに追いつき、
「アンジェ!」
僕が声を掛けるとアンジェが二輪モービルに飛び乗った。
「あいつを見失わないでください」
僕はうなずきアクセルを吹かす。
前方から馬車に乗ったイスラ、ルナとすれ違う。馬車はグルッと方向転回し二輪モービルのあとについて来る。
変異コウモリは道なりに飛び、やがて広大な農場に出た。
アンジェが、
「シャイロックの農場ですね」
変異コウモリは農場の巨大な倉庫に吸い込まれて行った。
アンジェが倉庫の扉を破壊して中に入る。
倉庫の中には城の地下で抜き取られた魔石柱が四本立ち並び、その周囲に魔獣へと変異しかかっている動植物が多数拘束されていた。
先ほど倉庫に入った変異コウモリも魔石柱から魔力を吸収している。が、轟音が鳴り響き、頭を撃ち抜かれた変異コウモリが地に落ちる。
「まったく使えない奴だぜ。最初にアダムを襲わせた時は、イブに取り付くし、今日も失敗して、おまけに後をつけられやがった」
アンジェが憤り、
「シャイロック! 黒幕はあなただったんですね!」
シャイロックが、
「そうさ、アダムには恨みがあるからな。突然やってきてイブをかっさらっていきやがって。この俺が手切れ金まで用意して.わざわざ城まで出向いたのに、奴はイブから手を引かないと言い張りやがる。俺の話しを鼻にも引っかけないで城から追い出しやがった。けど、そのおかげで、城のまわりをウロついたら、地下の入口を見つけたんだ。しかも、中で魔石柱を見つけたのはラッキーだった。そいつを使って進化させた魔獣を手なずけ、奴を破滅させるつもりだったんだが、なかなか上手くいかないもんだ」
アンジェが眉をひそめ、
「言いたい事はそれだけですか? おとなしくお縄につきなさい。これだけの証拠が揃っていたら言い逃れは出来ませんよ」
シャイロックが開き直ったように、
「最初っから言い逃れする気なんてないさ。お前らはここで死ぬんだからな!」
シャイロックが言うなり銃を発砲する。
アンジェが弾丸をすべてシャベルで叩き落とす。
「こんな豆鉄砲で墓守りが倒せると思ってるんですか?」
「本命はこっちだよ!」
シャイロックが倉庫の奥にある巨大な扉を開いた。中から出てきたのは、五メートルか、それ以上に大きい巨大なコウモリだ。
シャイロックが勝ち誇ったように、
「二度進化させたジャイアントバットだ。墓守りに倒せるかな? やれっ! ジャイアントバット!」
「ギイイッ!」
口の周りの空間が歪む。
アンジェが僕を捕まえて外に飛び出した。直後、金属が擦れるような耳障りな金属音とともに倉庫の入口が吹き飛んだ。
シャイロックが勝ち誇ったように、
「ソニックブレイド! 超音波の強化版! 音のヤイバだ!」
吹き飛んだ入口からのっそりと姿を現したジャイアントバット。その後ろからシャイロックも出てくる。
ジャイアントバットが翼を広げ、凄まじい暴風を巻き上げ夜空に舞い上がる。
「ロックさん! 逃げますよ!」
僕はうなずきアンジェに続いて走る。
ジャイアントバットが近づいてはソニックブレイドで地面を抉る。そこへイスラとルナが馬車を降りて近づいてきた。
「アンジェお姉ちゃん。何して遊んでるの? ルナも一緒に遊んじゃおうかな!」
ルナの瞳が青く輝き、
「ルナのお友達を紹介するね!
《鉄腕ハンドくん》だよ! おっきなコウモリを捕まえて八つ裂きにしちゃって! ウフフ!」
ジャイアントバットの目の前に不気味で巨大な腕が現れ捕らえようとする。が、
「ギイイッ!」
ソニックブレイドの直撃を受け、巨腕が四散する。
「ええ~! ルナのお友達がこんなにあっさりやられるなんて酷いよ! 酷いよ!」
ジャイアントバットが目標をルナに変えて突進、ソニックブレイドを発する。
「アイギスの盾よ!」
イスラが無数の盾を展開。が、ソニックブレイドが粉砕する。幸いな事にイスラとルナは無事だ。
アンジェが地団駄踏んで、
「せめて翼だけでも何とか出来れば、空を飛んでいたのでは手の出しようがありません!」
「ならば、あの翼を引き裂いてやるとしよう」
「ミユウ姉!」
いつの間に、どうやってここまで来たのか? ミユウが月を背後にジャンプ。真紅の爪が伸びジャイアントバットを切り裂く。翼をズタズタに切り裂かれたジャイアントバットが地に落ちる。
「ふむ。身体ごと真っ二つにするつもりだったのだが。分厚い筋肉に阻まれて果たせなかったわ。まあ、ウザイ舌はちょん切ってやったがな」
見るとジャイアントバットの口元から血が流れ、ソニックブレイドを放てないようだ。
アンジェが、
「こうなってしまえばニワトリ同然、一気に片をつけてやります!」
僕はアンジェの発言を正す。
「いや、ダーウィンの進化論によると、コウモリはネズミが進化したものだから、この場合、ニワトリと言うよりはネズミ同然と言ったほうが正し」
アンジェがみなまで言わせず、
「ロックさん! 講釈はあとにしてください! 今はこいつを倒す事が急務です!」
僕がうなずくとアンジェが叫ぶ。
「必殺!」
アンジェの全身が銀色に輝き、
「突ッッッ貫ッッッ!」
弾丸のようにジャイアントバットに突っ込み、
ドオオオオン!
としか表現のしようのない重い衝撃音が響き渡る。ジャイアントバットのドテッ腹に風通しの良い風穴が開き、全身に緋色の亀裂が走ったかと思うと、
パンッ!
風船が破裂するように細かい肉片と化しジャイアントバットが爆散した。
アンジェが、
「異世界最強の武器は☆墓守りのシャベルです!」
と、意味不明な決め台詞を言った。
☆21☆
決め台詞をアンジェに問いただすとアンジェが顔を赤らめながら、
「子供向けの軽い読み物、ライトノベルを読んでいるのですが。今、中高生の間で流行っているんですよ。異世界ものが。それで、ついうっかり口から出たんです」
「アンジェは読書家なんだね」
と僕はコメントした。
ミユウの正体についても聞いてみたけど、ミユウ本人の前ではアンジェも言いずらそうで、僕もそれ以上追求しなかった。その後、シャイロックは逮捕され、カインの誤解が解けたイブとアダムは幸せな結婚をした。式はとても盛大に行わイスラが二人の仲を取り持った。
非の打ち所のないハッピーエンドだけど、一つだけ、まだ気にかかる事がある。それはフラン博士だ。オートモービル自体は帝都にも普及しているけど、ほとんどは四輪で、二輪なんて見た事がない。まあ、アクセルが着いている以外は自転車と一緒だろうと思って、思いきって運転したら、運よく運転出来たけど。ともかく、お礼もかねて一度フラン博士に挨拶に行こうと思う。ちなみに、フラン博士のフランは愛称で、
フルネームだと、
フランケンシュタイン博士と言うそうだ。
☆完☆