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死者カベルの日記

作者: 意知郎

 一日目。

 今、僕はここに日記を記す事にする。そうでもしないと、きっと助けが来る前に狂ってしまうだろうから。

 恐ろしい事が起こった。

 僕はどうやら生き埋めにされてしまったらしい。

 アカイア人への使者として向かっている途中で落馬したのは覚えているが、その後の事はどうしても思い出せない。目が覚めると僕は真っ暗闇の中に寝ていた。手を伸ばしてみたら四方が全て塞がっていた。石で出来た箱の中に居たんだ。

 何も見えないけど、僕にははっきりと解った――そうだ、僕は墓に入れられたのだ!

 冗談じゃない! 僕はまだ生きているんだ! こんな所、一時だって居たくない!

 父上はどうしただろう?

 きっと落馬して気を失った為に、僕が死んでしまったと思ったのに違いない。

 一体どれほど悲しんだ事だろう。

 重い蓋をどけるのは本当に苦労だった。それを漸くどかしてとにかく箱からは出たものの、そうしてみた所で益々絶望するだけの事だった。

 香油があったので、剣で火花を散らして明かりを点けて見回してみたけど、どこを探っても完全に石で塞がれたこんな所からどうやって抜け出せばいいと言うんだ。

 暫く誰かが万が一に気が付いて出してくれるかと待ったが、一向にその気配はなかった。大声を出して呼んでみたが、やっぱり返事はなかった。

 僕はせめて気をしっかり保つ為に、この壁に日記を彫る事にした。

 きっと数日の内に誰かが助けに来てくれるのを願って……。



 二日目。

 そう記しているが、勿論いつ日が沈んでいつ昇ったのかなんて分かりはしない。いつの間にか寝て、起きたからそう書いただけの事だ。

 起きれば自分のベッドに居るんじゃないか、そうであって欲しいと願っていたが、そんな祈りは虚しいだけだった。やはり僕は墓の中だ。

 僕は自分の国で囚われ人になってしまったのだ。食べ物もないこんな所で一体何日もつだろうか? 今はまだ、お腹は空いていない。別に運動をする訳でもないから、この分ならそうそう容易く餓死したりはしないだろうと思う。

 でも、だからと言ってずっともつ訳じゃない。助けが来なければいずれは死んでしまうのだ。

 誰かが気付いてくれる可能性なんてあるのだろうか……。

 いや、絶望ばかりしてはいけない! きっと助けが来ると信じて待つんだ!

 それとも何か出来る事はないか探してみようか。

 剣で壁を掘ってみたが、残念だ、とてもじゃないがこの石壁を抜けられる穴なんて掘れはしない。

 やはり静かに待つしかないのか。

 だが、決して絶望はしないぞ!


 

 三日目。

 未だ何の変化もなし。

 助けが来る気配は少しもない。

 昨夜、ほんの数日前に初めて会ったばかりの彼女を夢に見た。僕の婚約者、ナルビアの夢を。

 きっと僕の死を誰より深く悲しんだ事だろう。だって僕らは、出会ったその時から激しく恋し合ったのだから。彼女が居なければ、他に何人の女が居ようとも僕の心に温かな血は通わないだろう。そう言うと彼女もそれに答えて、僕の側に仕えるのが彼女の運命だと言ってくれた。

 愛しいナルビア。どうか僕のこの危機を神々から聞き出して、今すぐ助けに来てくれ。そして君をこの胸に抱き締めさせて欲しい!

 石壁の冷たさは僕を氷漬けにして、すぐにでも冥界へと連れて行かれそうだ。だが、冥府のハデスもまさか僕がまだ生きているとはと驚いたらしい。その冷たさは僕の芯には伝わって来ないのだ。どうやら僕は凍え死ぬ運命にはないらしい。

 ああ、また今夜も、深い眠りが襲って来た。



 四日目。

 不思議と未だに恐ろしい空腹感は襲って来ない。全く動かなければ、こんなにも食べずに生きていられるのだなと感心している。

 だが、だからと言って心が落ち着く訳じゃない。僕の苛立ちは日増しに募って行くばかりだ。そして人の温もりがこんなにも恋しいなんて……。

 父上、母上、どうして僕を見捨てたりしたのですか。僕は貴方達が恨めしい! 生きているかどうか、なぜもっとよく確かめてくださらなかったのですか! 貴方達が僕を本当に愛してくださっていたのなら、僕は僕のナルビアと引き離されはしなかったのに!

 侍医め! お前を殺してやりたい! この黄金の剣でお前を五体バラバラに切り裂いて地獄の番犬に喰わせてやりたい! お前が僕をこの中に埋めたのだ!

 ナルビア……助けてくれ……君の両腕に……君の白く美しい、柔らかな二つの胸の中に僕は抱き締められたい……ナルビア……僕はこのまま真実死者にならなければいけないのか……。



 五日。

 考える必要がなくなると、それ以上何も考えなくなる。当たり前の事の様だけど、これはちっとも当たり前じゃない。何も考えずにいるのは不可能だからだ。譬え全く必要なくなろうとも、魂がこの胸の内に生きている限り、想うと言う気持ちは不滅であり、決して消える事はないのだ。

 それなのに、おお、恐ろしい!

 僕は今日、考えずにいられたのだ!

 心が完全に死んでしまっていたのだ!

 今日は本当に五日目なのだろうか? それさえも疑わしい。この墓の中で日を数えるのは何よりも虚しい事かも知れないが、しかし、この世で数字だけが決して何にも惑わされぬ、絶えなき真実だと言うのならば、それを失う訳にはいかなかったのだ。

 日が分からなくなってしまったら、僕は何処に真実を見つければ良いのだ? それだけが僕の真実だったと言うのに。

 今日は五日目だ。そう思い込む他ない。この頭を狂気から救うのならば……それしかない……。

 いつかは僕にも死が訪れるだろう。だが、それが今であって欲しくはない。運命の矢に殺されるのは構わない。虚しく真実を知られないまま死んで行くのがいやなんだ。

 それは人々の記憶から忘れられたのと同じであり、歴史から消されてしまうと言う事だからだ。オデュッセウスの様な英雄になれないのなら、人がこの世に生まれてくる意味などあるのだろうか?

 死は、人を強さへ向かわせなければならない。

 それなのに僕は……。



 六日。

 起こしてくれ! 起こしてくれ! 起こしてくれ!

 僕はこのまま死にたくない!



 七。

 変化など何もない。誰も僕を助けに来てくれない。僕は忘れ去られたのだ。日記を書くのも、もう疲れてきた……。

 どうやら僕の心は、狂気よりも静寂を求めているらしい。ナルビア、やっぱり君とはお別れの様だ……君との愛を、僕は幻想の内に死んでいかねばならない。

 生まれると言うのがこんなにも虚しい事だったとは、死を目前にして漸く知ったよ。だが、恨みがましい事をこれ以上書くのはやめよう。僕は神の下へ行くのだから。せめてそう信じる事で、自分の正しさを自分に証明しよう。

 ナルビア。

 ナルビア。

 僕の魂よ……。



 八。

 まだ眼が覚めた! まだ僕は生きている! これは喜びではない、むしろ恐ろしい苦痛だ!

 神よ! どうして僕を拒むのですか! どうして夢の内に殺して下さらないのですか!

 生きる喜びは、生きる希望があって初めて得られるのだ。昨日が今日になり、明日か明後日まで命を引き延ばされたとて、何の意味があるだろう。

 もう嫌だ! 早く殺してくれ!



 九。

 今日、僕は死にます。

 空腹は未だ襲って来ないし、神の手で殺される様子もありません。こうなれば、自ら命を断つ他ないのです。

 父上。母上。愛しい僕のナルビア。どうか悲しまないで下さい。貴方たちの愛を僕は決して疑っては死にはしません。


 叶うのならば、僕も戦場の誉れで死にたかった。国を守って死にたかった。それだけが、最後の恨みです。


 ナルビア……永遠の愛を君に……さようなら……。


     *     *     *     *


 私は発掘チームを連れて、この墓を発見した時には、とても嬉しかった。この王族の墓は何層もの土に埋もれ、今まで誰にも見つからず、墓荒らしにさえ遭わなかったのだから。

 外面は随分崩れ掛けていたが、中に進むと、そこは非常に保存状態が良く、これほど素晴らしい墓はないと思った。

 一番奥は勿論王の部屋であり、手前はどうやら王子の部屋なのだが、正直そこに入った時、我々はみながぞっとした。

 石壁を掘り、剥がした瞬間、大量の外気が流れ込んで行った。

 懐中電灯で中を照らすと、天井はススで薄く黒っぽく汚れ、床には幾つもの香油の壷が散らばっていたのである。しかも墓の蓋まで開いていたのだ。

 確かに墓荒らしの形跡は全くなかったのに、これは一体どういう事かと全員が頭を傾げた。

 だが、その理由はすぐに分かった。

 壁に沢山の文字が彫られており、初めはてっきり死者の魂を鎮める儀式かと思ったが、よくよく解読してみると、それが日記であると解った。そしてそれは、非常に悲しいものだった。

 どうやらこの墓の主は、間違って埋葬されたものらしい。この中で息を吹き返し、何日か生き長らえた後、絶望の内に自殺したのだ。

 ミイラとなっていた死体は墓の中にあり、彼は自分で巧妙に剣を落として、自らの首を切り離して死んでいた。

 それは、今から二千年以上昔の事だった。

 あまりの悲しい内容に、我々発掘チームも思わず涙し、全員が黙祷を捧げた。

 これから幾つかの品は許可を得て本国イギリスへ運ばれ、研究される予定である。


 それから三日後の事である。

 墓の中を丹念に調べていたシューターが、青い顔をして私の部屋に飛び込んで来た。

 私は彼に落ち着くように言い、ワインを飲ませようとしたが、彼はそれどころではないと言って飲まなかった。

「あの日記を鑑定していたが、とんでもない事が分かったんだ!」

「何だ?」

「あの壁の日記と墓の年代が一致しない! あれはもっと新しいものだ!」

 奇妙な話だと思った。

「どういう事だ? 王の部屋や、それ以外の品々から言っても、二千年以上前なのは間違いないぞ。それなのに、あの部屋だけがそれより百年や二百年も新しいとでも言うのか?」

 そうなると、全ては見直さなければならない。なるほど、彼の言う通り、とんでもない間違いを犯す所だった。

「いや、そうじゃないんだ!」

 どういう意味だ? まさかあの部屋は、紀元前でさえないと言うのだろうか?

 私はじれったくなってシューターに訊いた。

「なあ。一体どれぐらいの年代修正が必要なんだ? はっきり言ってくれ」

 シューターは、恐ろしいものを扱うかの様に、真剣な眼でこう言った。

「あのミイラは確かに二千年前のものだ……だが天井のススと、あの日記は……」

 彼は、息苦しそうに言った。

「間違いない……あれは……ここ一週間以内に書かれたものだ……」

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