玉砕したショックが大きく、情けなくも飲み屋で友人に慰められた二十六歳の男とは俺のことです
「なあ、元気出せって。大丈夫、お前にもきっと良い人見つかるって」
半ば意識が朦朧としていたが、友人の励ましの言葉ではっとする。
お酒が回って頭がグワングワン、視界も二重に見えているがここは行きつけの居酒屋であることはまだ覚えている。
何を話したかは、もう忘れた。
というか、ちゃんと考えて喋ってなかったのだろう。忘れる以前に、俺のアルコール漬けの頭の中はすっからかんだ。
「本当に大丈夫か? 飲み過ぎだぞ。明日も会社だってのに、いいのか?」
「いいの、いいの。別に、良いって。有給あるし、いざとなったら休んでやる」
「おうおう、真面目なお前がそこまで言うとね。まあ、もしもそうなったら上司に言い訳くらいはしてやるよ。お前、マジで心配なくらい心が参ってるみたいだし。少しは休んだ方がいいって」
俺の目の前にいる友人は高田馬場人。高田馬場みたいな名前だから、皆は愛称で高田馬場って呼んでる。そのまんまじゃねえか。
俺と同期で入社し、かれこれ四年目の付き合いだ。
うちの会社、休日出勤も当たり前な典型的なブラック企業だから同僚が次々に辞めていき、二年目に入ってせっかく増えた後輩もストレス社会に耐え切れず心を病んで去っていく。
それがもう三年も続き、上司以外で一番の長い付き合いかつ仲が良いのはこいつくらいだ。
基本的にこいつはアホの子だが要領が良く、上司のお叱りをのらりくらりと躱し、上司の言う事を間に受けやすい俺のことを気遣って何かある度に飲みに来ては慰めてくれる。
心の支えとでも言えばいいのか、彼がいるからここまで何とかやってこれた。
言わば、砂漠の中のオアシスとでも言えばいいのか。
俺が砂漠で、こいつがオアシス。からっからに乾いた俺の心を癒してくれるんだ。
そして俺が、小鳥遊真人。
要領が悪くて仕事ではいつも失敗ばかり、上司にも毎日のようにキレられてる。
高校生くらいまでは学年で五本の指に入るくらい頭良かったし、大学も私立ではあったが誰もが知っているような有名大学を卒業しているため、仕事もやればできるくらいにしか考えてなかった。
だが、現実というのはそこまで甘いものではなかった。
同期たちと一緒に入社した当初から、俺は皆よりも仕事のペースが遅く成果が出ない。
仕事はとあるゲーム会社の広告宣伝課と呼ばれるところで、新作ゲーム発表に向けたホームページ作成や広告用のチラシを作ったり、それらを自らの足で配りに行って宣伝する役目を担っている。
しかし、俺はチラシの作成は遅いし、上司から「センスない」と言われて何度もリテイクを食らい、そのせいで残業は当たり前、終いには給料泥棒とか言われる始末だ。
チラシ配りだって、残して帰ったら大目玉なので何とか配り終えて帰って来るのだが、他の人より一時間も帰って来るのが遅いとかで「どこかでサボってたんじゃね?」とか平気で罵られる。
半年に一回くらい、次回ゲームのアイデア出し大会みたいなのが開かれ、社内の全部署、全社員からアイデアを募り、見事一位に輝いた人は次のゲーム制作リーダーを任される上に、給料が大幅にアップ、もしも成功すれば一躍重役社員の出世コース行のボーナスステージもあるが、俺も高田馬場も選ばれたことは一度もない。
それどころか、予選、本選とある中の予選落ち。三年連続計六回とも全てだ。
この時点でクリエイターとしての才能というか、発想力はないのだと気付かされ、今は粛々と自分の業務をこなすロボットとなって必死に生活費を稼いでいるわけなんだが、どういうわけかこんな使えない社員でも会社は簡単にクビにはできないらしく、今日まで仕事にありつくことができている。
恐らくだが、前述の離職率の高さが原因なのだろう。どれだけ使えないゴミ社員でも、いないよりはマシ程度には思われているのかもしれない。
上司からのパワハラは当たり前、残業は敵とかいいつつ終わらなければ残らされ給料泥棒扱いされるし、成果を出したら出したで「いつもそれくらいやる気出せ」とか新入社員に対してだと上司から「ちょっと良い結果出したからって調子に乗ってるんじゃねえ」みたいなことを言われる。
行きたくもない飲み会や接待に休日を持って行かれ、俺が独身なのを良いことに「どうせ暇でしょ」とか言われて仕事を押し付けられる。
おまけに、同じ広告宣伝課にいるマドンナさんが話しかけてくると「何、喋ってんだ」みたいな目を向けられるし……。
そう、マドンナ。そうだ、今日はそれで飲み会に来たんだった。
「大丈夫か? そんなにショックだったのかよ、篠原先輩が男性と交際してたっていうの」
「……かもしれない」
篠原真紀子。同じ広告宣伝課で二個上の先輩社員。
課長の補佐役を担っているエリート社員にして、次期課長とも言われている人だ。
いつもポニーテールで、凄くスタイルが良くて勇ましい女侍みたいな貫禄がある強気な性格をしている一方で、体はちゃんと女の人だって分かるデカい胸を持っている。
皆の憧れっていう意味で、誰しもが彼女をマドンナと呼び彼女のハートを狙っていた。
篠原先輩は俺たちが入社したときからずっと面倒を見てくれていて、俺らの犯した失敗とかをフォローしつつも自分の業務はきっちりこなし、二年前には新作ゲームのアイデア出し大会では決勝選考まで進んでいる。
惜しくもそのときは優勝を逃したが、次は必ず取るっていつも言ってたっけ。
その仕事姿というか、何事にも前向きで、男ばっかりの部署で女一人だっていうのに皆から慕われてる姿を見て、凄く尊敬してたし、憧れてもいた。
それがいつからか片思いへと感情が変化し、「この人みたいに仕事が出来るようになって、五年以内には思いを伝えて見せる!」って息巻いていた。
当然、高田馬場もそのことを知っているわけなんだが、今日、彼女が休日に男の人と歩いていたという噂が流れた。
その噂が真実かどうかは知らないが、部署の誰かが彼女に「お付き合いしている男性がいるんですか?」と聞いた。
俺たち二人、というか部署内のほぼ全員がその場に居たので辺りが静まり返って、彼女の返答を待つ間にも緊張感が走る中、彼女ははっきりと口にした。
「ええ、お付き合いしている人がいます」と。
あれは阿鼻叫喚だったなあ、あんな美人さんとお付き合いしているのはどこのどいつだって。
けど、篠原先輩は「プライベートなので」と誰が付き合っているのか、とか、交際歴みたいなのは一切口にしなかった。
仕事とプライベートはきっちり分ける人なのは知っていたので、それも当然だろうけど。
それでも彼女が交際している事実を明かしたのは、皆が彼女を「そういう目」で見ていることを知っていて、早く諦めさせるためでもあったのかもしれない。
だとしても、片思いがこんな間接的な告発によるもので砕かれるとは思ってもおらず、俺の仕事への情熱は一気に冷めていった。
落ち込んでいる俺を見かねて、こうして行きつけの酒場に誘ってくれた高田馬場には感謝しているが、今回はどうも立ち直れそうにない……。
「まあ、気にすんなよ。恋っていうのは寝て冷めて、また火がつくものだ。俺なんか、既に三回も交際してるっていうのに一回も実らない」
「……それは全部、相手の女性からのアプローチで、振ったのもその女性たちだろ?」
「俺は一途だって言うのに、愛が重いとか付き合いきれないとか言われるし」
「……それは、休日に百通以上のメールと電話をメッセアプリに入れる上に、プレゼントが月一でブランド品を贈って来るからだろ。そのくせ、誘いを断るとすぐ不機嫌になるし」
「それは……。まあ、反省してるけど」
こいつ、人付き合いは凄く良い方だと思うし、付き合う前の女性はコロッと落ちるくらい顔面偏差値も高い。シュッとした目、格好つけたオールバック、近づけばコロンの甘い匂いがするし、女性の目はハートマークだ。
だが、付き合い始めた途端に愛情をコントロールできずに自爆する。
こいつはある意味、女癖が悪い。というか、付き合い方が下手くそ過ぎる。
「もっと、相手の女性のことを考えた方がいいと思う」
「付き合ったこともないチェリーに言われても説得力ないぜ。増して、告白する前から玉砕するような野郎に女心が分かって溜まるか。いつか、俺の愛を受け止めてくれる女が現れるはずだ。それまで、気長に待つよ」
ほらな、こいつはアホだ。
だが、そのアホさ加減を見て救われているところもある。
自分を貫くというか、曲げようとしない。変に取り繕ったりもしない。
一番付き合いやすい友人であることに、間違いはない。
俺は朦朧とした視界に映った酒瓶を手に取り、手元のおちょこに透明な液体を注いでぐっと仰いだ。
「それもいいけど、お前飲み過ぎじゃね? 小鳥遊は酒もそんなに強くないだろ? これくらいにしとかないと、二日酔いが酷いぞ?」
そうだったか?
テーブルの上を見れば、そこには酒瓶が二の四の……。分からん。
それから……。あれ、焼き鳥って俺が頼んだんだっけ。
でも、確かに飲み過ぎたかもしれない。既に少し気持ち悪いし、尿意もかなり感じている。
「……それもそうか。ありがとな、今日は付き合ってくれて」
「いいって事よ。俺もちょうど飲みたい気分だったし、ここの焼き鳥は美味いからよ」
彼はテーブルの小さな皿に乗っていた最後の焼き鳥串を取って豪快に横からぐっと齧って引き抜き飲み込んだ。
俺も食べたかった気がするが、もう気分でもないしいいか。
アルコールの匂いで既に嗅覚も麻痺しているし、舌があるようでないような感覚が続いている。意識も飛びかけ、このままでは帰ることもできなくなりそうだ。
「あの、店長! お会計で!」
「へい! ありやとうございやす!」
うええ、大きな声出さないでくれ……。頭がギンギン、キーンと甲高い耳鳴りがして最悪の気分になりそうだ。
「おい、マジで大丈夫か? 肩貸すぞ?」
「……いや、いい。家近いし、帰れるから」
「そうか? 前はお前に奢ってもらったから、今日は俺が会計を済ませておく。とっとと帰って、明日はゆっくり休め。いいな?」
「……あ、ありがとう」
「気にすんな。その代わり、今度はお前の奢りだからな。給料日、楽しみにしてるぞ」
「お、おう……。じゃあ、おやすみ……っぷ」
「おやすみ」
喉のすぐそこまで来ている吐き気を何とか抑えつつ、千鳥足になりながらも帰路に着いた。