第五節
青星は例の大男の話をし始めた。
大男は半グレ集団に所属しており、そのグループの中では古くからいる人物だそうだ。
その半グレ集団は元々尻尾の掴みにくい逃げ方に長けているそうで、昔から警察も手を焼いていた集団だった。
昔から大きい体格の男だったそうだが、先日の取り調べを行っていた際に、僅かだが体躯が変わっている事に気がつき、直後に並外れた怪力を見せられ、怪異人種と指定されたそうだ。
「いつからイビトになっかはわからないけど、少なくとも君が初めて会った時には既になっていたのだろう」
「今、そいつは何処にいるんですか」
藤崎の問いに青星は首を横に振った。
「申し訳ないが、彼を見失ってね……私が最後に会ったのは、さっきまでいた井の頭公園のあの場所だ」
「逃げられたんですか!?」
驚愕した藤崎に、青星は一言謝る。
「すまない。力は尽くしたが、それだけ厄介な奴らなんだ……」
苦虫を嚙み潰したような表情を青星が見せた。藤崎は大きな声こそあげてしまったが、彼女のことを責めるつもりはなかった。
大男の危険性は身をもって理解していた。それでいて、煙に巻くことに長けているのはとても厄介だ。
「君が見つけてくれた腕時計型のデバイスは、私が彼と交戦をしていた時に落としたものだと思う。是非活用させてもらうよ」
「でもそれはロックがかかっているし、本当にアイツのものか……」
不安を漏らす藤崎の目の前で、青星は目を瞑って呟く。
「いいや、これは使えるさ。絶対にね」
青星の確信があるような言い方に引っかかった藤崎は、一体何に使うのか問おうとした。
しかし声を出すより先に、彼女のポケットにしまわれたスマートフォンが鳴る。青星は藤崎に一言謝り、スマートフォンの呼び出しに応じた。
青星は自分の名前を名乗った後、静かに通話相手の話を聞いていた。話の内容は藤崎の耳には届かなかった。
「そうか、有難う。すぐに向かうよ」
青星はそう言って通話とやめた後、勢いで席を立った。
「アイツの場所がわかったんですか」
藤崎も彼女に続くように席を立とうとした。しかし青星はそれを諌めるように手のひらを藤崎に見せる。
ついてくるなと言いたかったのだろう。藤崎はその理由を青星に尋ねた。
「さっきも言ったが、今は君の人生の分岐点だ。今なら平穏な日常に戻ることが出来るが、これ以上こちらの世界に足を突っ込むならば、君の命の安全は保障できない」
「でも、東雲はアイツに狙われている」
「彼女の事は我々が引き続き監視するから気にしなくていい。君も、自分から巻き込まれに行かない限りは君の事を守り続けるつもりだ」
青星は淡々と藤崎に告げる。
動き回る人間の命まで保障できるほどではないという事だろう。それは青星の言う通りだろう。
「君に対しても一日中貼り付けることが出来れば良いんだけど、ウチも人員が少なくてね。イビトだって昔よりも増えてきてはいるが、それでも特殊な人間である事に変わりないから、人員に余裕はない」
組織の事情も続けて言った青星に、反論のしようがなかった。藤崎はただ、彼女の事を見送ることしかできなかった。
「ひとまず、男の件はまた動きがあれば連絡するさ。だから、今日のところは大人しく家に帰ること。いいね?」
出入口付近で青星は最後にそう言い聞かせ、店を後にした。
「……くじらは?」
テツがコーヒーとケーキを持ってきて藤崎にくじらの行方を尋ねていた。
「あー……さっき仕事に進展があって帰りました……」
状況を教えてもらったテツは深くため息をつき、またかと一言愚痴を漏らした。
藤崎を置いて青星が向かった先は、西荻窪駅の西にある工事現場だった。
そこの工事は元々駐車場になる予定だったが、数年前に中止になったきり、ずっとフェンスに囲まれている場所だった。
フェンスの周辺に車が珍しく止まっているため、通りすがる者の中には、フェンスの中を覗こうとしている者もいた。
「はーい、見世物じゃないよー」
青星はその者達を追い払いつつ、フェンスの向こうへ入っていく。
「お疲れ様です」
中にいた人間が、青星にそう言った。青星はその同僚に対しホシは何処にいるかと尋ねた。
同僚は青星を現場の奥へ案内する。
「件の男と思わしき人間が、この先で発見されました。ただ……」
同僚は歯切れが悪そうに言う。あれほどの体格の男などそうそういるはずがないのに。だが彼がそのような説明をした理由が、その先に待ち構えていた。
むき出しの地面の上を歩いていく。一番奥の壁際には、大きな身体が壁に寄りかかるろうに座り込んでいた。
その身体の周りには、青星の同僚が周辺の撮影と、手がかりとなるものを探していた。
「酷い有様だな……」
その身体の上につけられた焦げた頭を見て青星はそう呟いた。
「これだけ酷く焼かれていると、その、本人かどうかの認識がしづらく……」
「あぁ、そうだろうねえ」
青星は白手を両手に嵌めて、座り込んでいる身体に近づく。
それの首につけられた顔は、全体が酷く焼けており、もはや昨日までの大男の面影はそこになかった。
その面相は口と瞳を大きく開いて、何かを懇願しているようにも見えた。
実際に彼が叫んでいたかはわからない。否、周辺からそのような情報がなかったことを推測するに、彼は誰にも気づかれずここで最期を迎えたのだろう。
青星は彼の目の前でしゃがみ込み、両手をあわせ黙祷した。
その後、青星は藤崎から預かった腕時計型のデバイスを取り出し、カメラを彼の瞳に近づける。
再びデバイスの液晶を確認すると、デバイスはホーム画面を映していた。
「どうやら、彼のもので間違いなかったみたいだな……」
青星はそう呟く。もっとも、これが効力を示す機会はもうなくなってしまっただろう。
異常な力を持つ怪異人種同志が争うこともある。追いかけていた犯人がこのような結末になる事は、別に珍しい事ではなかった。
だからこそ、中学生ほどの少年がこの戦場に降り立つべきではないと青星は考えていた。
「覚醒して、イビトになるという事は、死と隣り合わせになるという事だ……」
井之頭公園の方角を見ながら青星は呟く。
「君に、その覚悟が本当にあるというのかい」
答えは求めていない。
青星はただ、これ以上彼と現場で会う事がない事を祈っていた。