第三節
女性に案内された場所は、先程通った道の途中にある喫茶店だった。
公園から吉祥寺駅へと進む道で、公園から出て左手にあるその喫茶店はテラス席があり、藤崎がいつも洒落ていると思いながら、自分には縁のない場所なのだろうと思いながら通り過ぎていた店だった。
だが、今日は定休日のようで、扉の前にはCLOSEDと書かれた看板がかけられていた。
「今日は休みだよ」
テラス席で新聞を読んでいる男性が呟いた。おそらく、女性と藤崎に気がついたから、そう呟いたのだろう。
女性は男に微笑みながら返答する。
「休みだから来たのさ」
「なんだって?」
男は聞き返し、新聞を畳んだ。
そして女性の顔を見るや皺だらけの顔にこれまたくしゃくしゃな皺を作った。
「なんだ、くじらちゃんじゃないか」
くじらと呼ばれた女性は、店内を指さして尋ねた。
「大事な話をしたいから、今日も貸し切って良い?」
「全く、休む暇がないな。テツは中にいる」
「有難う」
女性は男性に告げるとそのまま店内へ入って行った。藤崎も男性に一礼すると、男性はまた顔をくしゃりとしながらどうぞと手を店側に伸ばした。
藤崎はもう一度軽く会釈をして中に入った。
中はカウンター席といくつかのテーブル席が備えられており、奥にサイフォンやエスプレッソマシンが並べられていた。
「こっちだよ、こっち」
女性は一角のテーブル席で藤崎を手招きしていた。藤崎もそこへ移動し、対面に座る。
「なんでも良いから選んで。お姉さんが奢ってあげよう」
女性がそんな事を言っていると、奥から店員が怪訝な顔をして近づいてきた。
「ちょうど良かった。テツ、この子におすすめを……ってどうかした?」
「足、汚い」
テツと呼ばれた少女は女性の足元をじっと睨む。
先ほどまで川に使っていた足元は、ドロと水が染みて、水草が新しい模様を彩らせていた。
「着替えある、着替えて」
「気が利くね、じゃあお言葉に甘えて」
女性はそう答えると立ち上がり、店の奥へ入ってしまった。何を頼めば良いのかもわからないまま、狼狽えていると、先ほどテツと呼ばれていた女性が藤崎に尋ねてきた。
「注文、何にする?」
「え、えーっと……なんかオススメとかって……」
申し訳なさそうに言う藤崎に、テツはメニューの一つを指さす。
オリジナルブレンドと書かれたその品名は、当店おすすめと赤字で添えられていた。
「じゃあ、それで」
呟き、藤崎はすぐに後悔する。藤崎はコーヒーがまだ飲めなかった。かといって、ミルクや砂糖を入れれば飲めるのだが、ブラックコーヒーを飲める男に憧れを抱いていたため、目下ブラックコーヒーを飲む練習をこっそりしている年ごろだった。
訂正しようか悩んでいることなど知らないテツは静かに頷き、カウンターへ戻った。その時にあわせ、店内が暗いと思ったテツが気を利かせて店内の電気をつけてくれた。
山吹色に灯る電球が空間を暖かく感じさせてくれていた。藤崎は明るくなった店内を見回す。
入口付近にメニュー表のボードがかけられていた。ここはコーヒーをメインに取り扱っているそうだ。
左から6割ほどの面積を、コーヒーのメニューがしめている。先程藤崎が頼んだメニューの他にも、酸味や苦味といった細かいパラメータまで書き添えられていた。
カフェラテやモカ等といった派生メニューもメニューも一応あるようで、コーヒーのメニュー欄の片隅に書かれている。パラメータがない代わりに、デフォルメされた動物とコーヒーのカップが入ったイラストが添えられていた。
レジカウンターのすぐ近くには、容器に詰められたコーヒー豆が、生産地や焙煎時間に合わせ並べられている。どうやらこの店では店内の提供のほかにもコーヒー豆の販売も行っているようだった。
テツはお湯を沸かしながらカウンターでコーヒー豆をひいている。手挽ミルのゴリゴリという音が、店内に響く。
「コーヒーってそうやって作るんですね」
初めて見た光景に藤崎は感想をこぼした。テツはミルを挽きながら静かに頷いた。
暫くするとテツはミルを回す手を止め、下部にある引き出しを取る。テツは粉末をなったコーヒー豆をドリッパーのフィルターに入れ、そしてその中にお湯を少しだけ注いだ。
コーヒーの粉に満遍なくお湯が注がれたのを確認し、暫し待っている。ほんの少しだけ、香ばしいコーヒーのにおいが漂ってきた。
「いいにおいがするねぇ」
その感想を言ったのは、いつの間にか着替えが終わった女性だった。
「ちょうどいい具合に間に合ったみたいだ」
女性はそう言いながら藤崎の対面に座り直す。
「さて、あともう少しでコーヒーが届くだろうけど、その前に自己紹介の時間だ。私は青星くじら。座右の銘は『意志あるところに道は開ける』。好きな食べ物はイカで、カレーは具材なしが好き」
青星は身の上の話を進めていく。
ほとんどどうでも良い情報な気がして聞き流していたが、スリーサイズを語りだしたときには咄嗟に結構ですと答えてしまった。
「なんだね、恥ずかしがらなくても良いのに」
「興味ないですし、そういうのは大っぴらに言う事じゃないでしょう」
「照れてるのかい?」
「違いますって」
藤崎が否定すると、テツがカウンターからコーヒーを一杯持ってきた。
テツはそれを藤崎の前に置く。
「あれ、私の分は?」
「自分で用意して」
「こう見えて仕事中なんだ。それに、テツの淹れたコーヒーが飲みたいなぁ」
青星が両手を重ねて訴願すると、テツはため息をついた。
「いつもの?」
「うん、ありがと」
テツの問いに青星は頷きお礼を言う。
「ちなみにいつものというのは、深煎りのコーヒー粉をフレンチプレスでギュウって押して油分まとめて入れるコーヒーの事を言う」
それだけ拘りがあるならば、やはり自分で淹れるべきではと藤崎は心の中で突っ込みを入れた。
だがそれよりも聞きたい事があった藤崎は、青星に疑問を投げる。
「結局、青星さんの職業って警察なんですか」
「うーん、合ってるようで違う。私は怪異人種犯罪対策機関に所属しているわ」
それは、藤崎にとっては聞き慣れない組織の名称だった。
「警察手に負えないような怪物みたいな人間達を取り締まる為の組織。それが怪異人種犯罪対策機関よ」