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龍維伝  作者: 啝賀絡太
第六章
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第五節

 藤崎はとにかく、自転車をこぎ続けた。駅前や人通りの多い場所には近づかず、ひたすら港を目指した。


 藤崎が目指している場所は以前、青星と同僚が戦った場所だった。青星はここで怪異になり果てた同僚を殺すことで暴走を止めた。


 青星が昔話を語ったと同時に、背中に遺った物を見せてくれた、あの港の倉庫だった。


 藤崎がその場所に着く頃には、丑三つ時とうに越えていた。ここに来るまで、警察に補導されなかったのは奇跡だと言っても過言ではない。


 港の倉庫は以前訪れた時と変わらず閑静としていた。


 あたりは薄暗く、遠くで燦然と輝く東京のビル群が目立って見える。


 藤崎はゆっくりと深呼吸をした。塩の香りがする。波や海が港にぶつかる音だけがした。車の音はだいぶ遠い。


 今、この場にいるのは自分だけのようだった。何も見えなくて、心細いはずなのに、今はこの孤独が心地良い。


「……いや、行こう。ここで立ち止まったって、しょうがない」


 藤崎は自分に言い聞かせた。自転車のライトを頼りに、藤崎はゆっくりと倉庫へ近づいた。


 倉庫まで近づいた藤崎は、慎重に自転車を停めて、扉に近寄った。薄明かりの中に、青星がいるようだった。


 藤崎は身を屈めながら様子を窺おうとした。


「見えてるよ……話をしようじゃないか」


 倉庫の中から青星の声が聞こえる。


「なぁに、取って食おうとは思わない……君が攻撃しない限りは、私も攻撃しないよ」


 落ち着いた声は少し枯れていた。


 先に顔だけ一瞬顔を出す。刀を具現し、深呼吸を一度してから中に入った。


 青星は予告通り藤崎を攻撃しなかった。彼女は藤崎に手招きをしていた。


 傷跡だらけの倉庫内を歩く。使われなくなってからずっと放置されていたコンテナや資材を通り過ぎていく。奥に積まれた瓦礫の山に、青星は座っていた。穏やかな表情には、脂汗が浮き出ていた。


「誰か連れてきたかい?」


「いえ、一人で来ました。皆、あなたを探しています。あなたを殺そうと……」


「君は違うのか」


 青星はゆっくり呼吸を整えながら藤崎に聞いてきた。その問いに藤崎は答えられなかった。


 覚悟はできている。約束も忘れてない。でも、まだ希望はあるんじゃないか。まだやり直せるんじゃないか。


 思いはあった。迷いはなかった。そのはずなのに、いざ聞かれると霧のように消えていく。


「おいおい……君まで牙をなくされちゃあ困るんだけど」


 青星は力のない声で呆れていた。


 館で戦う前と同じだ。彼女は藤崎の知っている青星だった。彼女はいつもみたいに、朗らかな顔で藤崎のことを見ていた。


 藤崎は青星に対し申し訳なくなり、俯いてしまった。


「ここで話したことを、覚えているかい?」


 青星は倉庫に壁に遺された傷跡を見ながら藤崎に聞いた。


「同じイビト隊の人と闘った場所……ですよね」


「そっ……私の同僚で……八坂君の同期だった」


「同期……?」


「同じ日に入社した……まぁ、同級生みたいなものだよ。同い年じゃなかったらしいけど、とても仲が良さそうだった……その子自体、とても有望な子でねぇ、私達の周りでは次期エースだなんて持て囃されていたよ」


 青星は当時のことを懐かしんでいるようだった。


「けど、秘密裏に動き怪異人種を取り締まるイビト隊の方針には疑念があったらしい。組織としては、こんな強い力持っている人間がいるとわかりゃあ、この国のパワーバランスが崩れかねない。けど、実際には龏信会みたいな連中はいて……だから、自分達の立場ってなんだろう、正義とはなんだろうって悩んでいた」


 青星はしょうがないことだと言った。


 藤崎は山の奥に潜むように生きていた彼らのことを思い出した。その時に神崎が話していたことも。

 彼の言い分は、あながち間違ってはいないのだろう、と藤崎はあらためた。


「それで、その人はイビト隊を抜け、その団体に入ることにした……そうでしたよね?」


「あぁ、そうだ。あの子は無理矢理イビト隊を抜けた裏切り者、逃亡者と指定された」


「逃亡者……」


 藤崎は復唱した。その言葉は今日聞いたばかりだった。


「逃亡者は船で逃げようとしていた。私は遠くにいたけど、ちょうど特徴が似ている車を見つけたんだ」


「それって、汐留の高いビルから見つけましたか?」


「なぁんだ、知ってたんだ」


「八坂さんから教えてもらいました。遠くからでも誰かを見つけられる、その眼が青星さんの強みだと」


「はは、そっか。その先の話は聞いている?」


 藤崎は首を横に振った。青星は続きを話し始めた。


「私はその子を見つけて指示をした後、どうしても自分も行きたかった……なにせ次期エースと謳われるほどの実力者だ……複数人がかりとはいえ、万が一のことがあるからね……私が着いた時には、すでに一波乱起きた後だった。複数の職員が怪我を負って、その倉庫の奥には、獣になったあの子がいた。

私はここで、その子と闘い、勝ち残った」


 青星は瓦礫の山から跳んで降りた。


「正直、私はもう、何が正義なのかわからなくなっていた……表じゃあ耳障りの良いことばっか言ってたけど、あの子をここで葬ったこと。今でも八坂君には申し訳なく思ってる。なのに彼は、裏切った私に何もしなかった。話で解決しようとしてきたんだ。君みたいにね」


 おかしな話だ、と青星はため息をついた。ほとほと呆れていそうな顔をしていた。


「彼の同僚を私は殺した。その復讐だってできたはずなのに……」


「……八坂さんはそれだけ、青星さんの事を信頼していたんですよ。あなたなら、まだ戻ってきてくれるって、希望を持っていたんだと思います」


「あぁ、そうだね……彼も同じ事を言っていた」


「そうでしょうよ。俺達はまだ、青星さんの事を聞いてない。あなたの本心を聞いてない」


 苦笑を浮かべた青星に、藤崎は思いを伝え続けた。


「あなたは俺を殺すと言ってた。それは、俺がどんな人間かも知ったってことですよね?例えば、俺が怪異人種になった訳とか……あの大天狗さんが言ってた、龍の子がどういうことなのか。青星さんは、何か知ってるんじゃないですか?」


 藤崎は青星に聞いた。


 青星なら、藤崎が何故怪異人種になったのか知っていそうだと思った。もしかしたら、あの声のことも、父親のことだって、何か知っているんじゃないかと考えていた。


 けれど、青星は藤崎の要望には乗らなかった。


「それを知りたいならば、君は東雲ちゃんから離れなければならない」


「どうして……」


「これは二択だ。彼女を守り続けるか、私と共に来るか……決められないならば、君は私に殺される運命だった」


 青星は長刀を具現化する。


「話は終わりだ。いいね?」


 藤崎は刀を握りしめた。それを合意とみなした青星は、藤崎に刀を振るった。


 はじめこそ藤崎は緊張のもと対処していたが、青星が振りかぶった刀は徐々に勢いを失い、容易に弾き返すことが出来た。


 昼間よりも明らかに身体が弱っている青星を、藤崎は見ていられなかった。しかし青星は戦い続けようと藤崎を睨んだ。


「私はイビト隊の方針を疑った裏切者だ。君の大事な子を狙い、そして今は君を殺そうとしている。これ以上ない理由だろう。それともまだ大義が必要か!?」


 青星の訴えに藤崎は首を横に振る。


「じゃあなんで私と戦わない!」


「……必要ないでしょう、こんなの」


 吠える青星に藤崎は震えた声で答えた。


「もう青星さんはボロボロだ。俺でさえ簡単にあなたを取り押さえられる。なのにどうしてまだ戦うんですか!」


 藤崎は青星に訴えた。しかし彼女は大きく肩で呼吸をしながら、藤崎のことをじっと睨んでいた。


 次に青星は乾いた笑いを倉庫内に響かせた。


「…………君の言う通り、私はもう限界だ。じきに化け物に戻る」


「戻る……?」


「……上手くいかないならば、いっそのことなにもかも壊してしまおうと、そう思っていた…………黄陽の企みも、君のお姫様も」


「どうして、そこまで……」


 藤崎がわけを聞こうとした。青星は大きく笑いながら答えた。


「どうもこうもないさ。もう、見るのも嫌になったんだよ。意思さえあれば、間違った道に歩まないと信じ続けていたが、人はどう足掻いても間違う生き物だ……!」


 彼女の訴えに藤崎は心を抉られそうだった。


 青星は咳き込み、苦しみ出した。近づこうとした藤崎に、青星は長刀を振るった。


「化け物退治の時間だ……君ならできるだろう?」


「待ってくださいよ!まだ、話せてないことが──」


 絞り出すような青星の声に焦燥感を抱いた藤崎は、青星に呼びかけた。


「お願いだから人間のままでいてくださいよ!!」


「……ひとつ嘘をついていた…………私は元々、人間じゃあない」


 青星はその言葉を最後に、唸り、咆哮をあげた。


 耳をつんざくような声に藤崎は思わず刀を離し両耳を手で塞いだ。


 青星の服が破れた。頸から生えていた黒色の棘と灰色の肉体が突き出て、身体が膨れあがる。


 はじめに、背中から脱皮するかのように折り畳まれた胴体が形成された。次に、折り畳まれた胴体から百キロの巨漢と同じくらいの太さはあるであろう腕が、分厚い筋肉と共に生えてきた。


 そして最後に折り畳まれていた胴体から首が伸び、ぼこぼこと何度も膨張しながら、龍の頭を形作った。


 艶のある黒い鱗が頭や身体の表面となる部分を覆う。


 龍の頭が出来あがり、瞳が開くと、青星だったモノが大きく雄叫びをあげた。その咆哮は怪獣映画でしか聞いたことのない、当たり一面を震わす鳴き声だった。


 声に震え、倉庫は傷のついたところからヒビが割れ、崩れ落ちた。


 わずかな光も消え、闇に包まれる。


 運よく崩壊の下敷きから逃れたが、目が暗さに慣れるまでほんの少し時間を要した。


 暗さに慣れ見えた、変わり果てた青星の姿を見て藤崎は硬直した。


「我は竜生九子の力を与えられし、螭吻(ちふん)なり」


 螭吻。


 中国に伝わる伝説上の生物で、遠きを眺める事を好むと言われている。日本には鎌倉時代にしゃちほことして伝わった。


 藤崎はその正体を知らなかった。否、仮に知っていたとしても、目の前の怪物から螭吻を想像するのは難しかっただろう。


 螭吻と名乗ったその姿は、頭や胴体は螭吻やシャチホコのようだったが、肩には鋼鉄の甲羅が覆われ、人に似た腕が生えていた。


 藤崎は見たことのない怪物を目の当たりにして、藤崎は自身が頭がおかしくなったのかと思った。


 悪夢でも構わないから夢であって欲しいという願いと、現実だと再認識させる全身の痺れに気が狂いそうだった。


 螭吻は真っ黒な瞳孔で、その場に立ち尽くす藤崎のことをじろりと見た。


「竜生九子の怪異人種よ、龍の子を救うならば、我を倒して見せよ」

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