第二十一節
東雲の身体がゆっくりと迫ってくるような気がした。今の銃声は気のせいだと思ったが、ゆっくりと宙に舞った東雲の毛先が現実だと思い知らせる。
「伏せろ!」
長瀬の怒号に近い叫び声に藤崎は我にかえり、東雲を押し倒した。
東雲を庇うように身体を重ねながら、怪我をしていないか尋ねた。東雲は顔を強張らせながら首を横に振った。
心臓の鼓動が早い。呼吸が安定しない。
誰が何処から撃ってきたのかわからない。
「おい!まだ立ち上がるな!」
長瀬の叫び声が聞こえた。背後を振り返ると、佐藤と高尾がこちらに向かって走ってきていた。
「なにを……」
一心不乱にかけてくる二人に声をかけようとして、彼等が懐から刃物を取り出した事に気がついた。
東雲の手をとり、立ち上がらせた。
佐藤と高尾が藤崎に対し刃物を突き出そうとした直前、雪下が間に入り佐藤と高尾をいなした。
「雪下さん!」
「離れて。この子達は偽者よ」
「偽者?」
藤崎は聞き返しながら周囲を見回した。長瀬が浅野の側により、護ろうとしてくれている。雪下は雨傘程度の長さはある棒を構え、佐藤と高尾を窺っている。
佐藤と高尾に扮した少年少女はゆっくりと立ち上がり雪下を睨みつけた。
「なんだよ。あと少しで仕留められたのに」
その声は間違いなく高尾の声だった。聞き覚えのある声に藤崎は肝を冷やした。
「まぁいいや、お前からやってやる」
少年が呟き、雪下に襲いかかった。雪下は彼の襲撃を避け、背後へ流した後、続く少女の攻撃もかわした。
少年少女は何度も雪下へ攻撃をしかけたが、雪下はそれらを避け続けた。雪下は避けると共に、少年少女を転倒させ隙を作らせようとしていたが、彼らは受け身を取り、すぐに立ち上がる。そしてすぐに雪下へ襲い掛かったが、雪下は彼らの攻撃を受け流し続けた。
彼らが得物を突き出してきた時、それらを弾き飛ばした。
得物が手から離れ二人は静止する。すかさず雪下は懐から人形の紙札を取り出し、二人の胴体に叩きつけた。
人型の紙札は身体全てを抱きしめるように腕を伸ばし、少年少女を縛った。
少年が縛られ、地に倒れたと同時に、声を絞り出した。
「ありがとうございます」
藤崎が雪下に礼を告げると、彼女は振り向いて笑みを見せた。
刹那、すぐそばの草木が激しく揺れた。
「危ない!」
藤崎が叫んだ。同時に雪下も気配に気が付き振り向く。
人影は雪下を通り過ぎ、真っすぐに藤崎に迫った。見覚えのある和傘の先端が藤崎の腹部目掛けて跳んでくる。身構えた藤崎の手を東雲が引っ張った。東雲に身体を預けることで、藤崎は間一髪で串刺しを免れた。
「外したか」
傘を突き出した犯人は、藤崎を睨みながら舌打ちをした。昨日、吉祥寺で出会ったマッシュヘアの男、松林だった。
藤崎はすぐに立ち上がり、松林の名前を呼ぼうとした。しかしそれよりも早く、浅野が彼の名を呼ぶ。
「松林!」
「……今日は家で休めと言ったでしょう」
「そんなことするわけないじゃない」
ため息混じりに呟いた松林に、浅野が追求する。
「それより、どうして藤崎先輩を──」
「お嬢には言えない、やんごとなき理由があってね。俺はそいつと手合わせしなければならない」
浅野はどういう意味か松林に尋ねたが、松林はそれ以上は浅野に答えなかった。
浅野の顔を見ることなく彼女の言葉を聞き流し、藤崎の方に向き直った。
「覚えてるな?いや、昨日の今日で忘れたとは言わせねぇ」
「浅野と知り合いだったんだな。だから高尾先輩の事も俺の事も知っていた」
「俺が興味があるのはお前だけだ。女もガキも興味ねぇ」
松林はそう言って傘の先端を藤崎に向けた。藤崎は松林の動向を警戒しながらゆっくりと立ち上がった。
「松林、そういう言い方しないで」
「お嬢には関係ない話さ。それより、さっさと避難した方が良い。じきに俺の仲間が来る」
「何を言ってるの、松林」
「儀式を安全な終わらせる必要がある。加来からそう言われ、俺達はその為に雇われた」
浅野は松林に問い詰めたが、松林が浅野を見る事はなかった。
見るに、浅野は怪異人種の事を知らないようだ。
「ここから先は俺達の"仕事"の時間ですんで。子供は帰る時間ですよ」
その言葉も、松林は浅野に顔を向けないまま告げた。
浅野は納得のいかない顔を見せていたが、刹那長瀬に抱えられ、彼に抵抗した。
「何をするんですか」
「仕方ねぇ、俺達は避難だ」
長瀬は暴れる浅野を説き伏せながら、無理矢理抱えた。
「あとは頼んだぞ、てめぇら」
長瀬はそう言ってその場から去っていった。他の登山客も気がつけば見当たらない。代わりに複数の狸が藤崎達を囲んでいた。
「やめろ。コイツは俺がやる」
藤崎にじりじりと寄ってきていた狸達に松林が叱咤した。
「どうして俺なんですか」
藤崎は松林に尋ねた。ダメで元々だったが、彼は素直な答えてくれた。
「怪異人種になりたてのお前が、どうして赤の魔女を退けたのか。それが知りたい」
「勇樹に対抗できたのは俺一人の力じゃない」
藤崎が答えると、松林は鼻で笑った。
「よく言う。加来はお前のせいで計画が台無しになったと言っていたぞ。挙句、お前に傷つけられたと」
告げられた藤崎は、どうやら加来というのは藤崎達を誘拐したあの女性のことだったようだ。
自分らを攫っておいて、被害者のように話すのは如何なものかと藤崎はため息をついた。
「まぁそんな事はどうでもいい。お前とやりあえるならな」
松林は大傘を肩に乗せ、低く姿勢を保った。
「昨日の続きだ。ガッカリさせるなよ」
刹那、松林が藤崎の目の前まで急接近した。彼は大きく回り、その遠心力で大傘を振り回す。
藤崎はそれをかわして隙をつこうとした。しかし懐に入ろうにも、大傘が行く手を阻み、藤崎から彼に攻撃する事は出来なかった。
「どうした。こんなので手も足も出ないような奴じゃないだろう?」
避ける藤崎に松林が挑発した。だが、彼に近づくことはできない。
藤崎は刀を具現した。松林の攻撃を一回は避け、もう一回は受け流そうとした。
大傘の勢いをほんの少しだけずらす。そうすることで松林の体勢を崩そうとした。油断していた松林は呆気なくよろめいた。反面、藤崎も松林の力に負け、受け流しながらも刀を手放してしまった。
藤崎もよろめき、しりもちをつきそうになったが、先ほど佐藤に扮する少年が勢いを殺さずに体を回していたのを思い出し、同様に真似した。
左足を軸にして、回転する。藤崎はその勢いで松林の大傘を蹴り飛ばした。
大傘は固く、重かった。それでも、またも意表を突かれた松林は、簡単に大傘を手放した。
藤崎は霧散した刀を再び具現させ、松林に向けた。
「やるじゃないか」
松林は息をのんだ後、藤崎に歯を見せた。仏頂面だった彼が笑うとは思いもしなかったが、藤崎にはそれが不気味に見えた。
「だが甘ぇ。そこで手を止めたならまだ終わらねぇ。仕切り直しだ」
藤崎は目を見開いたが、松林は本気だった。
雪下がやめなさいと叱咤した後、同様に老人の声が松林を叱った。
「やめないか松林。勝負はもうついておる。お前さんの負けだ」
山頂の標に一人降り立つ。松林と一緒にいた、あの仮面の老人だった。正確には彼の顔を見たわけではないが、その声は昨日聞いた声と同じだった。
「やきが回ったな、松林よ。お前は油断して命を落とした」
「本当に殺されたわけじゃない。女狐の息子ならそこまでするだろう」
「いい加減にせんか!この子は直接関係ないだろうに、私欲をかいた挙句、そのような負け惜しみまで吐きおって、恥をしれ」
老人は厳しい言葉を松林に投げ続けた。昨日、協力関係にあったのは何だったのか疑うほどだった。
「あの、一応仲間なのでは?」
藤崎はつい、彼らに尋ねてしまった。
「協力関係にあれど、間違いを犯しているならば指摘する。そういうものだ」
老人は藤崎にやさしく答えてくれた。
「それで、あなた達は……」
「申し遅れましたな、ワシは高尾麩須磨。高尾ナオミの曽祖父にあたります。松林とは此度の件よりも前から知り合いだったのだが、この馬鹿の愚行についてはどうか許してほしい」
「許すも何も、それより本物のお二人は──」
雪下が聞き返そうとしたが、その先の言葉は途絶えてしまった。
仮面を外した麩須磨を見て、藤崎も東雲も驚愕する。
「そのことについて、説明を。そしてどうかワシやナオミを助けてほしい」
麩須磨が何かを言っているが、それどころではない気持ちだった。
「ム、ムササビだあぁぁぁぁぁ!!!」
藤崎と東雲が同時に叫んだ。
服装で隠れていたものの、彼の顔つきはまさしく動物のムササビそのものだった。