第二十節
麓から歩き始めて三時間弱、一同はついに山の頂に到達した。
「着いたぁ!」
高尾が大声を上げながら飛び上がる。
結局、あまり撮影はしていなかったが、初めての登頂体験は気持ち良いものだった。
「ねぇ、奥まで行こうよ」
高尾が提案し走り出したので、藤崎達も後を追った。
山頂の指標の先には確かに展望台があった。
際の手すりまで近寄ると、西の山々が広く深く見渡す事が出来た。ロープウェイ乗り場で見たような東京の景色とは全く違う、青々と生い茂る山の森森。遠くに流れる雲の間から一座の大きな山が飛び出していた。
「見たことない、全然違う景色だ……」
東雲がポツリと呟いたので、藤崎はそうだねと応じた。
悠然と広がる自然を東雲は呆然と見ていた。
「写真、撮ろうか?」
藤崎は東雲に提案した。
「僕の?でも他人に見せちゃダメだって……」
「君のお母さんに。ちゃんと山を登ったぞってのを見せてやれば良い」
「お母様に……」
彼女は暫時考え込み、そして頷いた。
自分のスマートフォンと、持ってきたデジタルカメラで東雲を撮る。
こわばらせ、棒立ちになった東雲をレンズ越しに見て、藤崎は微笑みが溢れた。
「せっかくだから、お二人で撮りましょうか?」
後ろから浅野が声をかけてきた。
気恥ずかしかった藤崎はそれを断る。
「俺よりも、君が東雲と一緒に撮れば良い。今日も仲良くしてたし」
「撮れる時に撮った方が、後悔は少ないと思いますけど」
浅野はそう言って藤崎の腰に肘を入れた。
東雲を見ると彼女は小さく頷いた。藤崎は浅野にカメラを手渡し、ちぐはぐな足取りで東雲に近づこうとして、やっぱり恥ずかしくなり距離をとった。
浅野が即座にもっと近寄ってと指摘した。
「もうちょっと右に……藤崎先輩まで緊張してどうするんですか。笑顔笑顔」
「ひ、被写体になるのは苦手で……」
「二人でハート、作りますか?」
「作らない」
浅野と応酬を繰り返しながら、藤崎と東雲は隣に並び、数枚写真を撮られた。
「いい感じに撮れましたよ」
浅野が長い前髪の隙間から目を細め、ドヤ顔を見せているように見えた。
浅野からカメラを返してもらい、撮られた写真を見る。自分でもよくわかるくらい緊張した顔つきで写っていたので、藤崎自身も思わず失笑した。
「良い写真だ」
微笑みを浮かべながら、藤崎は呟いた。東雲もそれに同意してくれた。
二人で写真を眺めていると、浅野が再び藤崎の腰へ肘を入れた。そこそこ力のこもった肘打ちだった。
「次は浅野と東雲が撮れば良いんじゃないか?」
「集合写真とかでも良いですけど」
「それもそうだな。またみんなで撮りますか?」
藤崎は近くにいた皆に聞いてみた。
「出来れば先にご飯が食べたいな。それからみんなで撮らないか?」
答えたのは佐藤だった。
途中で団子を食べたとはいえ、確かに空腹だった。
それもそうですね、と藤崎は佐藤に答えた。ふと、彼の首元を見てみると、内藤が皆に配っていた細い布が見当たらない。
「あの長細い布はどうしたんですか?」
藤崎が指摘すると、佐藤は自身の身体を見直した。
「……なくしてしまったみたいだ。気づかないうちに風に飛ばされたのかもしれない」
「あっ、私もないや」
高尾も今し方気がついたようで、カバンなども見ていた。藤崎や他の皆も確認をしてみたが、紛失したのは佐藤と高尾の二人だけだった。
ここ最近、上の空であることが多い高尾ならまだしも、佐藤まで紛失してしまうのは珍しい。
「……内藤さんが困ってしまう」
「いや、アイツが多少頑張れば良いだけだろ……というか、アイツいなくねぇか?」
「エリリンはお腹壊しちゃったって、お手洗いに向かいましたよ」
軽く見回した長瀬に雪下が説明した。
「大丈夫なのか、あいつ?」
「はい。先にご飯食べてて欲しいとのことでした」
腕組み、尋ねた長瀬に対し、雪下は頷き答えた。
内藤がそう言うならば、問題ないのだろうと判断し、一同は近くにある食事処に入った。
二組の家族連れがちょうど食べ終わったところで、すぐに座敷に案内された。座敷は店の角にあり、山の景色を一望出来るよう壁が取り除かれていた。
メニューは蕎麦とうどんから選ぶ事ができた。山菜や天ぷら等、トッピングもいろいろと取り揃えられていたが、藤崎がいつも食べている油揚げはなかった。
「油揚げはないんですね」
「……うどん限定だからでしょうか」
藤崎がぼやくと、浅野が返答した。
「油揚げって蕎麦にもつけないか?」
「………………私の家では食べた事ないですね」
浅野の返答は五秒ほどかかっていた。高尾も佐藤も首を横に振っていた。
藤崎の家では年越し蕎麦にも必ず添えるほど定番の具材だったが、この日初めて、定番の具材というわけではない事を知った。
「一応、出しているお店もあったと思うので、家にもよると思いますよ。年越し蕎麦で言うならば、私の実家では必ず蓮根の天麩羅が入っていましたから」
雪下がフォローを入れるように答えてくれたので、藤崎は少しだけホッとした。
「まぁ味噌汁に入れる具材と同じようなものだろ」
長瀬が言った言葉をきっかけに、各々の自宅の料理事情を聞く流れになり、それを話題にしながら各々好きなものを食べた。
「このあとはどうしよっか」
食事後、高尾が皆に確認した。
決まっていなかったのか、と藤崎は心の中で指摘した。それと殆ど変わらないタイミングで浅野が高尾に提案した。
「周辺を一周するコースがあったり、あと案内所もあるみたいです。山頂にもいろいろ見る場所があるようですね」
「それなら、各々好きなところを見ればいっか」
浅野の提案に対し、高尾が答えた。
「あまり独りで動き回るなよ。複数グループに分かれるなら引率役をつけるが……」
長瀬は部活動員に対し告げた後、あたりを見る。
「そういや、内藤が見当たらないな。まだ腹が痛いのか?」
「……すみません。ちょっと体調崩してしまっているみたいで」
雪下が罰の悪そうに答えた。
長瀬はため息をひとつついた後、しょうがねぇなとぼやき、一同に外に出るよう促した。
しかし外に出てみると先程までいた登山者達の姿は見当たらず、辺りは静閑としていた。
「あっちの建物に、ムササビの展示してるんだって」
東雲に提案され、彼女が指した建物へ向かう。
東雲が藤崎の手を引っ張った。
思いがけず、藤崎は彼女に逆らうよう手を引っ張ってしまい、互いに体のバランスを崩してしまう。
二人の身体がぶつかりそうになった。
瞬間、山の中に響く銃声と共に、東雲と藤崎の頬を何かが掠めた。