第十九節
長瀬から、くるみ団子を一本譲り受けた。
藤崎は再びお礼を言って、団子をひと口含んだ。あまじょっぱい味噌と、くるみの仄かな風味が程よく混ざり合っており、三十分以上登り続けた身体にはちょうど良かった。
長瀬が隣で美味いなと言ったので、藤崎は頷いてそうですねと答えた。
団子屋の向かいには双眼鏡が置かれており、今日のような晴れた日であれば、東京都東側のスカイツリーやらも観れると書かれていた。誰かの発言はあながち嘘ではないのかもしれない。
この日は藤崎達以外にも多くの登山者が来ていた。小学生の子供を連れた家族に、長年の登山経験を積んでいそうな熟年者夫婦、同じ趣味を持った友人グループや、今日の為に張り切って装備を揃えたようなカップルもいた。
「軽装な人ってあまりいないですね」
「そりゃ山だからな」
藤崎の呟きに長瀬が真面目な回答を返してきた。
彼の言うとおり、一号路と呼ばれる山以外は、しっかりと舗装されてはいないと聞いた。各号路に定められた自然の研究に合わせる為だからだろう。
くるみ団子を食べ終えた藤崎と長瀬は、他の者達に合流する。
東雲は浅野や高尾と一緒に会話していた。たじたじな様子だが、なんとか受け答え出来ているようだった。
浅野と高尾が手洗いに行くと離席した後、一息ついた東雲の隣に藤崎は座った。
「お疲れ様。大丈夫?」
「あ、うん……大丈夫。ちょっと緊張しちゃって」
藤崎は東雲に苦笑いを返し、身体に異常がないか聞いた。東雲は大丈夫だと笑顔で答えてくれた。初めての登山は楽しんでくれているようだった。あとは、高尾達から変な事を聞いていなければ。藤崎は聞かれた内容を興味本位で尋ねた。
「住んでいる所とか、何が好きなのとか……あと、龍二くんとはどんな関係って聞かれたよ」
「早速いろいろ聞いてやがる……」
絶句し、ため息をついた藤崎に、変な回答はしていないよと東雲が答えた。
「それとも、あまり回答しない方が良かった?」
「いや、全然大丈夫。まぁ、悪い人たちじゃないんだ。距離感が近いだけで」
「うん、わかってる。いろいろな人がいるんだね」
東雲の言葉に藤崎は頷いた。いつもと変わらないような彼女の様子に、藤崎は安堵の息を吐いた。
高尾達が手洗いから戻って来ると、内藤が皆を呼んだ。
「そういえば、これを持ってきたので。首とかに……」
内藤と雪下が手分けして細い布を配った。マフラータオルくらいの長さで真ん中あたりに何かが縫い付けられている。
「暑い日に申し訳ないですけど、首元に巻いといてくださいね」
「わぁ、共通のものっていいですね。有難うございます!」
高尾が喜びの声を上げてお礼を言った。他の部員たちも続く。藤崎も内藤達にお礼を伝えた。
「でもなんで首元に?」
「それは、その、アタシが皆を見失わない為に……」
顔を見ればいいんじゃないかと藤崎は思ったが、思うだけにした。内藤は今日、雪下と長瀬以外とは目を合わせて無かったのである。
「なるほど」
藤崎は一言だけ返事をした。
小休憩後、一行は再び参道を歩き始めた。
リフト・ロープウェイ駅以後の一号路はより一層整備されており、緩やかな勾配の坂を歩いた。
「もう疲れたよ!一回休んじゃったから余計足が辛いんだよう!」
十分もしないうちに内藤が駄々をこね始めた。
「あいつだけ下山させちゃ駄目なのか」
「いやぁ、あの人も必要人員なもんで……」
こっそりと提案してきた長瀬に、藤崎も同じような声の大きさで答えた。
近くにいた雪下が内藤の代理として謝った。
「ごめんなさい、普段はもう少し良い子なんですけど……何か、彼女が興味をひきそうな事があれば良いんだけど」
雪下の言葉を聞き、ひとつ策を思いついた藤崎は内藤に近づいた。
無言で徐に近づいてきた藤崎を、内藤は警戒した。
「な、なんだよぅ……」
「内藤さん……この山には、ムササビがいます」
「……………………はぃ?」
ごく僅かな沈黙が流れた後、間抜けな返答を返した内藤の代わりに、雪下が感嘆の声を上げた。
「まぁ!ムササビ!」
わざとらしい声。しかし、そんなのお構いなしに、藤崎はムササビの説明を続けた。
「知っているでしょう、ムササビ。リス科リス亜科ムササビ属の哺乳類。グライダーのように滑空して飛ぶあのムササビですよ」
「し、知ってるけど……いや、ホント急にどうしたの」
「この山にはムササビがいます。それも特別大きなムササビが。この山の自然の恵みのおかげか、他のムササビよりも大きい個体らしいです」
それは山に行くと聞いた日の晩、事前にネットで調べて得た情報だった。山のサイトでは、ムササビがマスコットキャラクターとしてあげられていた。
藤崎はその可愛さに魅了された。
「わかるでしょう。あの可愛らしい姿が、この山の木々をまたいで飛んでいるんです。普通より大きい。可愛さも増大なムササビが」
「わ、わかった。わかったから。ムササビめっちゃ推すじゃん……」
勧められた内藤は気圧されるように後ずさった。
その後も雑談を交えながら歩き続ける。茶屋を越え、猿園を通り過ぎ、坂を歩き続け、二十分。一同は寺の門まで辿り着く事ができた。
雪下が寺の住職に用事がある為、各自、好きなように境内を回る事になった。藤崎は表門から順番に見ることにした。
表門のすぐ近くには天狗の銅像が二体、建てられていた。
「日本の有名妖怪の一種だね。日本に住んでるならまず知らない人はいないでしょ」
隣に居合わせた高尾が説明した。
確かに天狗は有名な妖怪だ。赤い肌に長い鼻。天狗と聞くと誰もがその容姿を思い浮かべるだろう。
「でもこの山では人々を見守る神様として、祀られているようだね」
「へぇ……副部長もご存知でした?」
藤崎はなんの気無しに副部長に尋ねてみた。しかし彼は上の空だったようで、声をかけられた事に気がついていないようだった。
「副部長?」
「……あぁ、ごめん。なんの話だっけ?」
「いや全然大した事じゃないですけど。それより、大丈夫ですか?」
「なに、佐藤くんバテた?」
「バテてないよ」
弄ってきた高尾に対し、佐藤は苦笑で返答した。
佐藤が悩んだいるように見えた藤崎は、何かあったのか彼に尋ねたが、なんでもないと返されてしまった。
高尾の身を案じているのだろうか。推測はしたものの、本人の前で聞くわけにはいかなかった。
「ところで藤崎くん、東雲ちゃんの事だけど」
思い巡らせていると、高尾が声をかけてきた。東雲の件だ。確かに彼女には何も説明をしていなかったので、藤崎は佐藤に説明した時と同じように話した。
「
すみません。急に連れてくる事になっちゃって」
「いいの、いいの!私もにぎやかの方が好きだし。普通に良い子だから、藤崎くんと知り合いなのが驚いちゃった」
「驚く要素あります?」
笑いながら冗談だよと高尾が言う。高尾の変わらない様子に、藤崎は胸を撫でおろした。
境内をそれとなく歩く最中、佐藤が藤崎に声をかけてきた。他の人から少し離れ、登山ルートから少し離れた場所まで移動した。
やはり思うところがあったのだなと、藤崎は佐藤の言葉を待っていると、彼は重苦しく口を開いた。
「君は何者なんだ」
「えっ……俺ですか?」
想定外の質問に藤崎は聞き返した。
「君は昨日、青星さんという人と一緒にいて、その人の話を理解しているようだ」
「ぜ、全部を理解していたわけじゃないですよ」
藤崎はわざと嘘をついたが、佐藤にしてみれば、苦し紛れの言い訳にしか聞こえていないようだった。
「なら俺が怪異と言った時に、どうして何のリアクションもなかったんだ。頭のおかしいやつだと思わなかった」
「副部長を頭のおかしいやつだとは思わないですよ。一体何を──」
「それならなんで、高尾が怪異につかれてるかもしれないのに、平常でいられるんだ」
別に平然でいるわけではない。
だが、自分の胸中を話すわけにはいかない。
「どうしたんですか急に」
「どうしたも何も、君が落ち着いてるのがおかしいんだよ。妖怪やお化けなんて普通いるはずがない。天狗だって」
「言い伝えは昔からあるでしょう」
藤崎はなんとか弁明してみようとするが、佐藤は腑に落ちていなさそうだった。
「何が言いたいんですか」
わだかまりを募らせた藤崎は佐藤に尋ねた。
佐藤は黙っていたが、暫くして藤崎に聞いた。
「本当は、君も怪異の仲間なんじゃないか?」
「……どういう意味ですか」
「昨日、高尾がいなくなって気を失ってた。その犯行に君も噛んでいるんじゃないかと言ってるんだ」
「バカ言わないでくださいよ!俺がどうしてそんな事をするんですか」
「そんなのは、君が一番よく知ってるだろう!それに、君の正体を知ってるという人間から聞いたのさ!君が怪異に深く関わってるって!」
「誰がそんな事を言ったんですか!」
藤崎の問いに佐藤は答えなかった。
睨み合ったままの二人に、雪下が駆け寄ってきた。
「何かありましたか?」
「……いえ、少し部活の話をしていただけです」
佐藤は素っ気なく答え、階段を上った。佐藤を見送った後、雪下は藤崎に何があったのか聞いてきた。藤崎は佐藤との会話をかいつまんで説明した。
怪異人種になった事だって簡単に決意したわけではない。
戸惑いがなかったといえば嘘になるが、かといって東雲の事は放っておけなかった。ただそれだけだった。
「自分に出来る事を考えただけです。それでも俺は、何かおかしかったのでしょうか」
胸中の悩みを吐露した。藤崎の頭を雪下は二回撫でた。
「雪下さん?」
「年相応なところもあるんだなって思って、安心させたくて。気を悪くしたならごめんなさい」
雪下は眉を下げながら藤崎に言った。藤崎が首を横に振りながら大丈夫ですと返すと、雪下は良かったと一言呟いた。
「怪異への捉え方は人それぞれよ。自分の知らないものとの対峙だもの。戸惑う人も、恐怖の念を抱く人もいるわ。だからといって、藤崎君が異常ってわけでもない。向き合い方はひとそれぞれだもの」
それに、と雪下は話を続ける。
「藤崎君は佐藤君や高尾さんの力になろうとしているじゃない。今は佐藤君も余裕がないのだろうけど、きっと伝わる。そうなるよう、私達も協力するわ」
雪下は微笑みながら、藤崎の身体に触れながら説いた。藤崎は彼女に一言礼を述べた。
二人は集団に合流し、そして再び山を登り始めた。
寺院の階段を上り、舗装路を歩いていく。
この日は猛暑日と予報が出ていたが、体感としてはそこまで暑くない。寧ろ、涼しいくらいだった。
標高が高くなっており、参道は木々や枝葉の影で覆われていたので、直接陽の光を浴びる事が少なかった。加えて、前日に雨が降っていた事もあり、風が涼しかった。
「暑くなくて本当に良かった……」
「かといって、汗はかいてるからな。体温調整に気をつけろよ」
忠告してくれた長瀬に藤崎は返事をした。彼は他のみんなにも注意するよう呼びかけていた。
気にかけてくれる大人なんだなと考えている藤崎を浅野が呼んだ。
「藤崎先輩、これ……」
浅野が指していたのは、舗装路の脇に立っていた看板だった。その看板には、山に纏わる豆知識と、山道と現在地が表示されていた。今回はモモンガに関してだった。
「なになに……ムササビは夜行性なので夜にしか会えないと思ってるアナタ……」
ムササビは夜行性なので夜にしか会えない。
ムササビは夜行性。
衝撃だった。藤崎は今日、ムササビに出会えると本気で信じていた。あまりにも愚かだった。
強く殴りつけられたような気がして、全身の力が抜ける。嘘だろと声を漏らし、膝から崩れ落ちた。
「……帰ろう」
「何言ってんだバカタレ」
絶望的な気持ちになりながら呟いた藤崎に対し、長瀬が呆れ混じりに頭を叩いた。
「でもほら、ムササビの生きている痕跡があるって!」
近寄り励ましてくれたのは東雲だった。その後ろで浅野がうわぁと引いている声が聞こえた。