第十一節
再び乗せられた車には後部座席の窓にカーテンが備え付けられていた。勿論、藤崎達は後部座席に乗せられたので、何処を走っているかわからない事になる。運転席と助手席の間にも仕切りがあり、前面の景色を見る事もできない。
「ダメ、カーテンは開けてはいけないって言われてるの」
護送中、カーテンに手を触れた藤崎に東雲はそう言った。藤崎は一言謝り、大人しく座る事にした。
暫く環境音だけが流れた。タイヤが地面を擦る音、段差を越える音。他の車がすれ違ったり追い越す音。車が止まれば空調の音や、外からアブラゼミやミンミンゼミの鳴き声が微かに聞こえてきた。
「なんか、病院を思い出すね」
「……言われてみれば、確かにそうだね」
小判塚病院での入院生活を思い出しながら、藤崎はぽつりぽつりと東雲と会話を交わした。会話をしているうちに、さっきまで聞こえていた環境音は耳に入らなくなった。
「お嬢様、藤崎様、到着いたしました」
運転手に声をかけられ、ようやく車が停止していた事に気がついた。
先に降りて、東雲の降車を介助する。彼女の両足が地面についたのを確認した後、藤崎は周囲を見回した。
眼前には擬洋館。壁はレンガだったが、瓦は日本風の瓦を使われていた。
擬洋館以外には何もない。館よりも大きな壁が大きく立ちはだかっていた。館の前面に位置する壁だけ、四車線ほど通れる門があり、その先は暗くなっていたが、恐らくその道が他の場所から来る時の唯一の道となっているのだろう。
だがそのトンネルも先が見えないほど長く続いているようで、この館自体が何処にあるのかわからない。見上げてみれば一面に青空が広がっていたので、屋外にある事は確かだった。
「こっちだよ」
東雲に言われながら手を引っ張られる。手を繋いだまま、藤崎は東雲に案内された。
表扉には亀の台の石柱が両端に設置されていた。扉は既に開いており、エントランスでは召使と思われる人達が出迎えた。間広いエントランスだった。左右に階段が建てられており、一階は左右に扉、真ん中は赤いカーペットの廊下が続いていた。
召使達は黄陽のように頭から大きな布の被り物をつけ、顔を隠していた。彼もしくは彼女達はいっせいに頭を下げ、おかえりなさいませと東雲に告げた。
東雲は藤崎を引っ張りながら、ただいまと冷たく返した。藤崎は顔の見せない召使達に頭を下げながら、中央を歩き廊下へ進む東雲にされるがままついて行った。
橙色の照明が灯す赤い廊下を東雲と共に歩く。
「さっきの人達はお世話係?」
「うん。みんな僕に顔を見せない。お母様も」
「黄陽さん、いつもあんな感じなのか」
「顔を隠してない人はみんな疑えって。そういう教えだったから」
東雲が答え、藤崎はあぁと納得の声を漏らした。
幽閉させる東雲に敵と味方の判別をつけやすいよう、あえて味方に特徴的なシンボルをつけたつもりだったのだろう。
もう一つ。彼女の描いた藤崎の絵が独特だったのは、単純に人の顔を見慣れていなかったというのもあったのだなと一人納得していると、東雲がいきなり振り返った。
「なんか僕が傷つくこと考えてる?」
そう藤崎に尋ねてきた。見透かされてたのかと驚いた藤崎だが、彼女を怒らせたくはなかったので、そんな事ないですと敬語で答えた。
「……そういえば、俺には助けを求めたな」
必死に違うことを考えた結果、少し意地悪な事を言ってしまった。口にした直後、藤崎は少し後悔した。
東雲は口を一瞬だけ結んだ後、弁解を話した。
「あの時は追われていたし……それに君は少しだけ違うと思ったから。だから、君の質問にも応じた」
「警戒していなかったか?」
「そりゃあ、顔を見せてる人だもの。お母様の事を知りたがってるのかなって、でも君は違った」
振り返った東雲は藤崎のもう片方の手を取り、笑顔を見せた。
「本当に、僕のことを助けてくれたんだもの」
「言ったでしょ?困ってるなら力になりたいし、君の夢を叶えてあげたいって」
「ありがとう。でも──」
東雲は繋いでいた左手を離し、藤崎の胸元に添える。
「あまり無茶しないで。守ってくれるのは嬉しいけど、君が倒れるのはみたくないから」
東雲が憂い目で告げた。藤崎はほんの一秒思案し、小判塚病院で医師から告げられたことを思い出した。
大丈夫だと東雲に言おうとした。それよりも先に東雲が顔を上げた。既に彼女の顔は微笑みに戻っていた。
「ごめん、行こっ」
再び廊下を歩き出す。途中で扉を一つくぐり、二階に上がる。二階の照明は、一階に比べてほんの少し薄暗かった。二、三分ほど歩くと、突き当たり右手に木製の扉が見えた。ドアノブはコブのように丸く、金属で出来ている。
東雲はその扉を開き、中に入った。藤崎もそれに続く。広さは中学校の教室二つ分ほどで、天井までの高さも教室とほぼ一緒だった。
藤崎達が入ってきた扉は部屋の角にあり、部屋の中心にはナイトカーテンのあるベッド以外に遮蔽物となる物はなかったので一望が見渡せた。扉側、廊下と接触している壁には、天井まで伸びた本棚が一面を制していた。
対面側の壁にはクローゼットや箪笥が陳列していた。そのすぐ近くに化粧台があったが、台には何も置かれていない。
右手側の壁には何も家具が置かれていなかったが、中央にアンティークのような柱時計がそびえ立っており、隣の部屋に続くであろう扉が両端に付けられていた。
東雲はウォールナットのフローリング床を土足のまま入室する。テーブルと椅子が置かれている窓に向かって行ったので、藤崎もついて行った。
彼女は中央のベッドまで歩み寄り、膝から上をベッドに乗せた。ダブルベッドと同じ大きさのベッドだった。東雲は近づいた藤崎に傍まで近づくよう、手のひらでベッドを優しく叩いた。叩かれた場所に藤崎はゆっくりと腰をおろした。
「幼少の頃はこの館の中だけが僕の世界だった。その中でも、一日の殆どはこの部屋の中にいた。風呂やお手洗いも、すぐ隣にあって、ご飯や洗濯物はお手伝いの人が勝手に持っていくから」
東雲がゆっくりと語ってる間、藤崎は一瞬だけ、先程確認した扉を見た。二つの扉の先は、彼女の生活がこの中だけで成り立つようにつけられたもののようだ。
「もちろん、ここよりもっと外側に世界があった事も教えてもらったよ。でも、たまにでもこの館から出ることが少なかった僕にとっては、現実味がなくてさ」
「狭いとも思わなかった?」
「ここで生きる分には特に困ってなかったから。大海を知ろうとは思わなかったんだ。おかしいよね」
「……いや、ここは広いからな」
自嘲するように東雲は笑っていたが、同じように笑う事は藤崎には出来なかった。
窓のない東雲の部屋は、人一人が生きていく分には充分過ぎるほど広かった。同時に、必要な環境が整えられているこの場所は、やはり外に出る必要がないよう徹底しているようにも見えた。黄陽が明日の部活動に東雲が同行することを許可した事が不思議だと思うほどに。
今、東雲が外の世界を見る事が、彼女の使命に何か関わりがあるのだろうか。考えても藤崎の中で答えは浮かばない。歯痒い気持ちを抑えつつ、藤崎は東雲に本題を確認した。
「それで、服を選んでって言ってたけど」
「うん。どういう服装なのが良いかなって」
東雲は立ち上がり、クローゼットらがある場所へ向かった。クローゼットをおもむろに開き、どれが良いかと東雲は尋ねた。
東雲の服は、ベースは着物のようで、それに洋服の部位が取り付けられたようなデザインが多かった。今、彼女が着ている服も、袖を半分にした着物にフードがついており、下はベルトで固定された袴を履いていた。
「それって走りやすかったり、ジャンプしやすい?」
藤崎が尋ねると、東雲は腕を大きく回しながら、その場で飛び跳ねたりもも上げをした。
真顔ながら行動で証明された藤崎は、急な動作と彼女の変わらない表情に萌え、しかしそれを悟られないよう唇を噛み締めながら、なるほどと呟いた。