第十節
執務室に戻ると、打ち合わせスペースのパーテションを外して、ひとつのテーブルになるようにくっつけていた。
「お疲れ様です。もうそろそろ出来そうって事で、皆さん給湯室に行ってますよ」
「ありがとう、雪下」
「ありがとうございます。俺、手伝ってきます」
青星が雪下と呼んだ職員に礼を告げた後、藤崎も礼を言い、給湯室へ向かった。
執務室の奥にある小部屋から声が聞こえてくる。小部屋の手前には東雲ともう一人、紫がかった灰色の髪をした女性。自分とほぼ変わらない背丈に藤崎は見覚えがあった。
自分達に内藤と名乗り、攫っていった龏信会の女性。
「おい、何やって──」
「っっっ!ぱぁぁああああ!」
藤崎が咄嗟に内藤の方を掴むと、彼女は奇声と共に手に持っていた麺つゆを器ごと藤崎に放り込んだ。
うわっと叫びながら腕を前に出したが時すでに遅く、パーカーに茶色のまだら模様が彩られた。それでも東雲を守ろうと、二人の間に割って入る。
「なんでお前がここに……!」
「は、は、はぁ!?アタシだってイビト隊……ですけどっ!?」
「この前攫っといて何を……」
藤崎が反論しようとした時、内藤の聞いた雪下が駆けつけてくる。
「どうしたの!?」
「め、めぐちゃあぁぁ!!」
内藤は半ば泣き叫びながら雪下に抱きつく。紫がかった癖っ毛と、目の下に深いクマ。先日藤崎達を誘拐した女性の筈なのだが、どこか様子が違いすぎる。
「あんた、本当に攫った奴とは別人なのか……?」
「それは偽物です。あなたも引っ付いてないで説明してくださいよ……!」
女は、藤崎の背後に隠れ、彼の身体をしっかりと掴んでいた東雲に訴えた。
「その人は、多分ご本人さんだと思うよ」
「た、多分じゃなくて、確実に化けられた側の人間なんですけど……!」
「そうだったのか……すみません」
謝罪した藤崎に全くもうと義憤を唱える内藤。彼女を宥めながら、雪下は藤崎にも軽く謝罪した。
「ごめんね、自己紹介遅れちゃって。私は雪下恵。この子は内藤瑛梨華ちゃん。私達、今日付けで第四班に配属となりました。よろしくね」
雪下は藤崎に笑顔を見せながら名乗った。内藤は相変わらず雪下に引っ付きながら藤崎を睨んでいる。
「第四班って、青星さんのところですよね」
「そうそう。元々護衛担当だったから、その引き続きってことで。この前は怖い思いさせちゃってごめんね?」
雪下は藤崎の両手を取り、彼の顔を見つめながら詫びを述べた。顔が近くなり、藤崎はたじろぐ。同時に、自分の背中を強くつねられ小さく声を上げた。
「けっ、そんな無礼な奴に謝る必要なんて無いと思いますけど!」
「こらこら、そういう事言わないの」
雪下は自身の胸に顔を埋める内藤の頭を撫でながら、子供をたしなめるように答えた。
元はと言えば内藤が衣服などを略奪され、なりすましされたのが悪いのではないかと藤崎は思ったが、それを指摘するのは酷だと思い、胸の内にしまった。
「藤崎龍二です。四班の青星さんや八坂さんには、この子の護衛関係でお世話になってます」
背後を確認すると、東雲は藤崎の脇からおそるおそる顔を出していた。
「うん。経緯は八坂さんから聞いたよ。大変だったみたいだね」
「おーい、茹で上がったよ。取りに来てくれ」
給湯室から朝霞の声がした。
「とりあえずご飯食べよっか」
雪下の提案に三人は同意した。
新しくつゆを用意し、配膳を手伝う。
「こんなに大勢いるなら流し素麺で良かったんじゃないか。やろうよ流し素麺」
皆で食べ始めてから、ぼやいたのは青星だった。
「室内じゃ出来ないだろ。水浸しになるし、汚れるし」
「既に汚れてる子がいるけど」
青星が指した後、皆が一斉に藤崎を見る。
「少年どうしたんだそれ」
「いや、まぁ……勘違いで汚れて……」
八坂の問いに、藤崎は苦笑いで誤魔化した。隣に並んでいた東雲が、藤崎の腕を揺らす。
「流し素麺ってなに?」
「食べ方のひとつ、みたいな感じかな。半分に割った竹を傾けて水を流す。その上で、茹でた素麺を乗せると、水流に乗って食べる人まで渡るんだよ」
「へぇ…………なんで流すの?」
「えっ……なんでだろう」
「も、元々は井戸水から冷たい水を流して、素麺にしていたのが由来……です」
答えたのは、内藤だった。
「外作業をしていた人が涼みながら食べようとしたのがキッカケとか……」
「エリリン詳しいね」
「じ、実家が発祥の地でして……でへへ」
青星に褒められ、照れ笑いを見せた内藤。本来ならフォローしてもらった事もあり、感謝するのが筋だということはよくわかっていた、
「ま、まぁお子ちゃまの藤崎くんにはわからない範囲だったかな……?」
よくわかっていたが、それはそれとして内藤にドヤ顔で煽られるのはなんとなく不愉快だった。
「……ざっす」
故に出てきたのが、クソ生意気な態度である。
「ぁあ?な、なんだぁテメェ……」
「瑛梨華ちゃんめっ」
「だ、だって!」
駄々をこねる内藤を横目に素麺をすする。朝霞がつけ合わせてくれた氷のおかげで、そうめんが固まることなく、箸で取りやすくなっていた。
茹でられた素麺は表面にデンプンを出てしまい、そのデンプンによって素麺がくっついてしまう。弁当にほぐし水がついていたり、水につけた状態で提供されるのは素麺同士がくっつくことを防止する為。また、流し素麺の由来にも、付着しているデンプンを洗い流す事が目的という説もある。
しかし藤崎は当然、そのことを知っているはずもなく、冷たくて食べやすいなぁと思いながら素麺をすすっていた。
「仲良くなったようでなによりだ。これなら、明日の護衛も問題なさそうだな」
青星が笑みをこぼしながらそう言った。内藤と仲良くなった覚えはないが、その後の言葉に衝撃を受け、藤崎は一度すくった素麺を、つゆの入った容器に落としてしまった。
いくら守った実績があるとはいえ、やはり怪異人種になったばかりの少年一人に護衛を任せるのは良くない。そう思った青星が、護衛担当の二班から雪下と内藤に一時的な応援異動を依頼したらしい。
「君が支部長と話している間にそうする事にしたんだ。朝霞さんにも護衛の件は相談していたからね」
昼食後、雪下や東雲達が食器を洗っている一方で、藤崎は青星から説明を受けた。
「という事で、明日は雪下と内藤がついて行くよ」
「わかりました。部長達にその旨言わないとですね」
「そうか。まだ連絡していなかったか。任せた」
藤崎は先に高尾に電話をかけた。しかし九つほどコールを聞いても彼女は出てこなかった為、一度電話を切り、佐藤にかけ直した。
「そうか。寧ろ忙しいのに悪かったね」
佐藤には電話が繋がったので、東雲の面倒を見なければならなくなり、可能であれば明日の部活に同行させてほしいと伝えた。
「なんなら山に行くのはまた今度にするかい?」
「いえ、せっかくの機会なので……それに、東雲の親も、部活の見学をさせてほしいと言っていたので。もし邪魔でなければ」
藤崎は先の黄陽との会話を、即興で言い換えた。無理矢理な言い換えかもしれないが、嘘は伝えてないはず、と。
「歓迎するよ。来るのは一人だけかい?」
「それと、引率してくれる大人が二人」
「心強いね。高尾には僕から伝えておくけど、一応グループチャットにも書いといてくれるかい?」
「わかりました。有難うございます」
最後に礼を伝え、電話を切った。グループチャットに三名追加される旨を送り、青星に報告する。
「参加しても良いみたいです」
「それは良かった。さて、私はこれから別の任務だから。あとは頼んだよ」
そう言って立ち上がった青星を藤崎は呼び止めた。
「青星さん、有難うございました。増援のことも、さっきの訓練とかも。いつも、有難うございます」
「…………別に構わないさ。君に死なれたくないからな……まぁ、頑張って」
青星は告げた後、藤崎の方をほんのちょっとだけ強く叩いた。藤崎は静かに頷き、部屋から出る青星を見送った。
「何の話をしていたの?」
打ち合わせスペースを区切るパーテーション越しに、声がする。藤崎がパーテーションを見たと同時に、東雲が顔だけを見せた。
なんでもないと一度答えてみたが、東雲は答えに納得がいかなかったようで、じっと藤崎を睨んだ。
「あ、明日の話をしていただけです……」
東雲の目が怖くなり、思わず敬語で答えてしまった。
「山登りって大変?」
「どうだろう。明日行く山は登りやすいらしいけど……動きやすい格好の方が良いかもね」
「……じゃあ、今日選んで」
「えっ」
東雲に頼まれ、藤崎は聞き返す。
「お家。護衛してくれるなら来てくれるよね」
「……そうか。うん…………そうだな」
護衛なのだから、そうなるだろう。
藤崎は二度納得した。