第八節
もののついでに、藤崎は黄陽からできる限り怪異人種の事を聞こうとした。青星から怪異人種の概要は教えてもらっているが、見分け方や人前での所作等、聞きたいことはまだあった。だがそれらについて黄陽から教えてもらうことは出来なかった。
「青星から聞いているならば、引き続き彼女から教えてもらえば良い。彼女は教え方が優秀だからな。だが、私からはそうだな……君達が明後日行くという山について情報を伝えよう」
藤崎は首を傾げ、自分達が今度行く山には妖怪がいると言われていた事を思い出した。一方で、事件などは特にないと聞いていた事を黄陽に伝えたが、黄陽は首を横に振った。
「怪異人種の事件すべてが公に出るわけじゃない。龏信会だって、君は先日まで知らなかっただろう」
「なら、あの山にも何か事件が?」
藤崎がそう聞き返すと黄陽は首を横に振ったような動作を見せ、そうではないと答えた。
「火のないところに煙はたたない、と言う話だ。思えば怪異と呼ばれる現象の中には、当時科学的に証明できなかったが故に正体が掴めなかったものも少なくない。後になって文明が進展し人為的な仮説を立てる事が出来た事例もある。そう言った事例は、人の悪意から生まれていった。我々はそれを律さねばならない。怪異に染められたものは、決して律する心を忘れてはならないのだよ。我々も、君も」
黄陽は最後に自分の胸に手を当てた後、その手を藤崎に差し伸べた。呑まれそうになりかけた気持ちを抑えつつ、藤崎はじっと黄陽のことを見ていた。構わず黄陽は差し伸べた手を戻し、話を続けた。
「君たちが行く場所には、ある一族がいる。彼らは同種の怪異人種で集まり、隔世の生活を送っていた。だが、どうもその一族から離れた者もいるようで、その者達を裏切者と見做したらしい。奴等は裏切者とその子孫を見つけては山に連れ戻し、私刑を執行している。一族の裏切り者は、自分達の崇拝する者の贄にしているそうだ」
贄と崇拝。二つの言葉を聞き、藤崎は小さなため息をついた。山の一族は龏信会とは別のようだが、何かを崇めている事に変わりはないようだ。
「人間というのは、おそれに対抗する為に何かに縋りたくなるものだ。君ももしかしたら、連れ去られてしまうか、もしくは染められてしまうかもな」
「……気をつけます」
藤崎は静かな声で黄陽に答えた。
「さぁ、話はこれで良いか?他に聞くことは?」
「いえ、もう大丈夫です。ありがとうございました」
藤崎は黄陽に頭を下げ、その後退出しようと扉に向かった。
「あぁ、それともう一つ」
扉に手をかけようとした時、黄陽に呼び止められ、藤崎は振り返った。
「君が投げた質問に対し、ひとつだけ答えたいことがある。怪異人種になると特殊な力が使えるのは君も知っているだろうが、その力を使いすぎるとどうなるか、君は把握してるか?」
黄陽に呼び止められ、藤崎は思案する。具体的な答えが出てこなかった藤崎は、首を横に振った。
「怪異に染められた人間を怪異人種という。これは先ほど伝えた通りだ。なら、染められた人間がそのまま怪異に溺れてしまったら……答えは明白だ。それらは怪異そのもののになる」
「怪異そのもの?
」
聞き返した藤崎は、身体を再び黄陽に向かせた。
「ある人物は伝承の生物のように変わり、ある人物は概念となり消えていく。河童というのがいるだろう」
「伝承お妖怪ですよね」
「だが、彼らは実在する」
黄陽はまた冷静に、そして当然のように語る。
「仮に河童の怪異人種がいたとして、その人間が怪異人種としての力を使いすぎた場合──力の詳細は判明していないが──その人間は河童に魅了され、自らも河童になってしまう」
いき過ぎた力を使い続けた結果人が人でなくなる。
「くれぐれも怪異に染まらぬよう、娘を頼むよ」
黄陽の言葉に藤崎は無言で一礼を返し、部屋から退出した。
ひとり、執務室へ戻る。その間、藤崎の頭の中には黄陽の言葉がリフレインしていた。
怪異人種が力を使いすぎると怪異に溺れ、怪異そのものとなる。自身が踏み込んだ世界が思っていた以上に恐ろしいものだったという事に、藤崎は今更気がついた。
執務室に戻ってきた藤崎を、青星や東雲達が出迎えてくれた。
「随分と話し込んでいたね」
青星が藤崎に告げる。
「何を話していたの?」
「怪異人種のことで気になる事があって。でもそしたら詳細は青星さんに聞けって言ってました」
「おいおい丸投げか。いいけどさ」
青星は苦笑いを漏らしながら言った。その後、藤崎のパーカーの裾を誰かが引っ張った。振り向くと、東雲が苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
どうかしたのか、と藤崎が尋ねると、東雲は弱々しい声でごめんと謝った。藤崎は裾を掴んでいた東雲の手を握り、気にしなくて良いよと彼女に告げた。
「君の、東雲の夢を俺も見たいと思ったからやっているんだ。気にしないで」
東雲は小さく頷き、ありがとうと返した。
「青星さん、もし時間があればこの後──」
「訓練だね。任せて」
「僕も行く」
青星と藤崎の間に挟まるように東雲は言った。
護衛があるとはいえ、彼女まで訓練に付き合わせて大丈夫なのか悩んだ藤崎は、回答に戸惑った。
「申し訳ないけど、訓練場に見学者は連れて行けないな怪我をする可能性もあるから」
代わりに青星が東雲に答えた。それでもと食い下がろうとする東雲の唇に、青星が自分の人差し指を一寸前まで近づけた。
「ここには怪異人種に対抗できる人達ばかりだから安全だし、それに別にとって食べたりはしないから大丈夫よ」
藤崎は青星の言葉に込められた意味がわからず、首を傾げていた。一方で告げられた東雲は理解できたそうで、おずおずと藤崎と青星から離れた。
「それじゃあいこっか」
青星はキーボックスから鍵を取り出し、執務室から離れる。
「ごめん、待ってて」
言いながら執務室から出ようとする藤崎に東雲は小さく手を振っていたので、藤崎も手を振りながら執務室から出た。