第五節
翌日、自宅で待機していると、八坂が車で迎えに来た。
「ウチに直接来るのかと思いました」
車の中で藤崎がそうぼやくと、八坂は笑って返答した。
「まさか、この前みたいに行き違いになったら困るから待ってもらっただけだよ」
八坂にそう言われ、藤崎は京島達に追いかけられた日を思い出した。
「八坂さんは支部長と会った事がありますか」
「いいや。ろくに顔を出さない人だしな。まぁここら辺の怪異人種犯罪対策機関のトップに出る人だからかもしれないが……」
八坂がそこまで答えた時、車がトンネルに入った。
「まぁ、どんな人だったか、感想を教えてくれよ」
「印象的な人だったら答えますね」
裏のない藤崎の答えに、八坂は笑った。
車は無事、怪異人種犯罪対策機関のビルに到着した。
八坂と共にエレベーターに乗り、三階に上がる。
「八坂さん達と同じフロアなんですか」
「いや、ここから先の案内は青星さんに変わる。俺は忙しいあの人の代わりに君を迎えに行っただけさ」
「…………実は非番でした?」
「ははは、流石に今日は仕事だよ」
会話を交わしながら、執務室に入る。空調の入った室内に、職員はまばらに。
青星は書類の束を持ちながら朝霞と会話をしていた。
「八坂、戻りました──青星班長」
八坂はわざとらしく咳払いしたあと、青星を呼んだ。呼ばれた青星は書類の束を朝霞に渡し、視線を合わせた。
朝霞が頷きながら呟く。出入口付近に立つ藤崎には聞こえなかったが、穏やかな表情で一言告げているのは視認できた。
「やぁ、よく来たね」
青星は八坂と藤崎の前まで歩み寄り、そして藤崎の肩に手を置きながら通りすぎた。
「来てそうそう申し訳ないが、支部長が待っている」
青星は藤崎に告げた後、ただちに執務室から出て行った。
藤崎は一度八坂の顔を見て頭を下げ、礼を告げる。八坂が微笑みながら手を軽く振ったのを見た後、藤崎も執務室を出た。
青星のうしろを追いかける。エレベーターに乗り、一つ下の階層に降りる。第二応接室と書かれた場所に藤崎は案内された。
部屋は厳かな木製の壁に床はカーペットに敷き詰められていた。キャスター付きの木製の机が窓際に一台、それ以外はすべて左右の壁に寄せられていた。ただひとつの机の前には、一人の人物が事務椅子に腰をかけ、両腕の肘を立て前のめりに座っていた。
灯りの思ってない室内に置いて光源は窓からささる太陽の光のみで、そのため、窓際に座っている人物の顔はよく見えない。
目を凝らすことでようやく見えた容姿は、頭からベールを被り、顔を隠していたため、髪色や瞳の色はおろか、顔の輪郭でさえ視認することができなかった。
そしてその人物の左背後に東雲が立っていた。
「東雲?……なんでここに」
藤崎は彼女の名前を呼び、疑問を投げかけたが、彼女は僅かに頭を前に下げただけで何も返答しなかった。代わりに座っていた人物が藤崎に声をかける。
「君が藤崎龍二か」
座っていた人物の声質から、性別の判断をするのは難しかった。男性にも女性にも、はたまた老いているのか若いのかも判別する事が難しい、なんとも奇妙な声色だった。
藤崎はおずおずと頷くと、その人物はかけたまえと一言告げ、藤崎に目の前の椅子への着席を促した。そのとき伸ばした腕は、分厚い生地で覆われており、そのうえ手袋をしているようだった。
いくら冷房が効いている部屋だとはいえ、真夏の装いとは思えず、藤崎はその腕を凝視しながら椅子に座った。
「すまない。この仕事をしている以上、他人に姿を見せる事が出来なくてね」
藤崎の視線に気がついていたのか、その人物は藤崎に意図を告げた。
「この暑い中、ご足労感謝する。君とは一度、直接会話を交わしたかったのでな。申し遅れたが、私は怪異人種犯罪対策機関関東地方支部長の黄陽万十依だ」
黄陽と名乗った人物に藤崎は頭を下げ自己紹介をした。黄陽はよく知っていると微笑を交えたような声で答えた。
黄陽万十依。
別称イビト隊と呼ばれるこの組織の、関東地方のトップに座する人物。そして、誘拐された日、窮地の藤崎を助けた凹面鏡。それが黄陽からの贈り物だと青星から聞いている。
「鏡、ありがとうございました。仕組みはわからないけど、これのおかげで助かりました」
藤崎は首にさげていた凹面鏡を表に晒し、黄陽に礼を伝える。
「その鏡は魔除けの役割を負わせている。持ち主が窮地に立たされた時に守るようにね。役に立ったようでなによりだ」
黄陽の声は穏やかに聞こえた。黄陽は続けて藤崎に告げる。
「君のことはくじらや娘から聞いている。娘の為に怪異人種になった事についても。この二週間は本当に助けられた」
「青星さんと、娘……?」
藤崎は首を傾げた。直後、その場にいる東雲と目が合い、まさかと立ち上がる。
「東雲のお母さん……!?」
「あぁ、そうだ。この子は私の娘だ」
驚愕した藤崎に、黄陽は変わらない調子で答えた。
「いや、でも苗字が違うのは……」
「無論、娘である事を隠すためだ。いろいろな人間から恨まれる事が多い職でな。そのうえ、この職位になると目をつけられやすい。私本人だけでなく、周りの人物にもな」
藤崎は咄嗟に振り返り、青星を見た。
「いや、私も今知ったところさ。確かに彼女の護衛は支部長からの命だったけど、それは龏信会に狙われているという理由で依頼されてね。多分、八坂くんや他の人も知らないはずだ」
「くじらの言うとおりだ。娘の事は誰にも言っていなかった。生活は屋敷でのみ。彼女の身の回りの世話や教育係を任命したのもごく数名。外の人間に知らされる事はないと思っていたが」
青星の弁明に続けるように黄陽が説明した。藤崎はもう一度黄陽に向きなおり、聞き返す。
「屋敷でのみ?知っているのはごく数名?それじゃあまるで幽閉しているみたいじゃないですか」
「ちょっと、藤崎くん……」
「いいや青星さん、言わせてください。確かに黄陽さんから貰った鏡のおかげで俺は助かった。この人には恩がある。けれどこの人が東雲のお母さんであるならば話は別だ。東雲のお母さんにひとこと言いたい事があったけど、ひとことだけじゃあすまなくなった!」
沸々と込み上げてきた感情が藤崎の語気を強くさせていた。黄陽の頭が僅かに傾いた気がした。
「あなたが怪異人種に関わる人として重要な立場なのもわかった。だが、東雲が入院してる時に一回も来なかったのはなぜですか。あまりにも非情でしょう!」




