第三節
「ちょうど今、今週末の事を話してたんだ。場所は高山で良いんだよね?」
佐藤が確認する為に話を振ると高尾は頷いた。
どうして高尾山に行くことにしたのか、藤崎が尋ねる。彼女は暫く考えた後答える。
「そこに山があり、私は山に呼ばれている気がしたから」
高尾が答えた後、扇風機の音がよく聞こえてきた。その時間が暫く続き、藤崎は佐藤に尋ねる。
「高尾山って何か事件みたいなのありましたっけ?」
「ちょっと!人をスクープ女みたいに思ってる?」
「事件なんてあったら入山できないよ。ただ、昔から神聖な場所と言われていたらしい。あとは、妖怪が住んでいるという噂もある」
「やっぱり……」
佐藤の回答を聞いた藤崎は白けた目を高尾に向けた。
「いいじゃんか!景色が良いから今度のコンテストにはうってつけのロケーションだと思うけど?」
高尾は手を伸ばし提案したが、藤崎はあまり乗り気ではなかった。
また怪異人種が現れるかもしれない。龏信会か、そうでなくても、危ない人物は日常の影に潜んでいる。10-ironで青星はそう説明していた。
自分自身も狙われる可能性がある。高尾達を巻き込んでしまうのではないだろうか。藤崎の中でそんな懸念が浮かび上がっていた。佐藤は藤崎の胸中を読み切っていたように、藤崎の肩に手を置き告げる。
「当日は僕の知り合いも同伴すると言っていた。公安機関に所属していると話していたから、きっと頼りになるだろう」
だから大丈夫だと佐藤は藤崎に伝えた。
告げられた藤崎は気がつく。今回の計画は、おそらく傷心でいるだろう自分の為に企てられたものなのだと。藤崎の中では心の整理もしており、落ち込んでいるつもりはなかったが、それでも彼、彼女らの行為を無碍にする事はできなかった。
藤崎はわかりました、と一言答えた。佐藤は一度頷き、肩に置いた手を離した。
「集合時間はグループチャットで言うわ。よろしくね」
高尾の言葉に他の三人が頷いた。
それからはネット動画の事やテレビ番組の事を話しながら写真の整理をしたり、展示会に向けた他の準備を進めた。
壁にかけられた時計の針が真上を通り過ぎ、その日の部活は終わった。
「それじゃあ明後日、よろしくね」
部室を出て鍵を閉めた後、高尾はそう言って佐藤と一緒に去っていった。おそらく、鍵を返しに行ったのだろう。
帰ろうとした藤崎に浅野が近づき、神妙な面持ちで匂いを嗅いでいた。
「どうかした?」
「今日の藤崎先輩、やっぱり変な匂いがする……」
「犬か、君は?」
藤崎は笑いながら浅野と距離を置いた。
まさかそんなはずがないと、藤崎は体臭を確かめる。
「そんなキツイ体臭しているか?」
「いえ、そういうのではなくて。なんというか、血生臭いというか……」
浅野に言われ、藤崎の心臓が一瞬跳ね上がったような気がした。笑顔を取り繕い、浅野に返す。
「あのな、いくら事件に巻き込まれたってそんな事は──」
「違うんです。その……ただ、心配なだけで。私の知り合いに、よく似ていて」
浅野は俯きながら小さく答えた。
その知り合いも似たような匂いを漂わせていたのか、無事が尋ねると浅野はこれまた小さく頷いた。
「似ていたんです。危ない匂いというか、私達とは違う世界にいそうな……例えるなら、中学生なのに煙草の匂いがするような」
「それが、血生臭いと?」
浅野は再び頷いた。血生臭いと言われた藤崎は、てっきり多摩川で負った傷のせいがと思っていた。だが彼女の口振りを見るに、単に匂いがするのではなく、一般人と違う何かが浅野のセンサに引っかかったのだろう。
浅野の知り合いも藤崎も、怪異人種特有の何かが、染み付いて漂わせているというのだろうか。
息が詰まり、唾を飲み込もうにも飲み込むことができない。そんな時、藤崎のスマートフォンが震える。
藤崎は浅野に一言謝り、スマートフォンを取り出し、応答した。
電話の相手は、東雲だった。
「ごめん、急に声が聞きたくなって……迷惑だった?」
「迷惑じゃないけど、今は学校だから……じゃあ、後でかけ直すよ」
「ううん、そしたらまた夜にでもかけるね。ごめん」
「いいよ、気にしないで」
藤崎はそう言い、スマートフォンをしまう。その様子を見ていた浅野が藤崎に再び声をかけた。
「今の方は……」
「ここ最近知り合った子だよ。事件絡みでちょっとね」
藤崎がそう答えると、浅野身体を傾け、ほう、と一言納得のため息をついた。
「な、なんだよ……」
「いえ、事件に巻き込まれた時は一つ疑問があったんです。喧嘩慣れなんてしてない藤崎先輩が、随分と勇ましい感じになったなぁっと」
浅野はぼやきながら、藤崎の数歩先を歩く。
「何が言いたいんだよ」
強く脈打つ心臓を感じながら、藤崎は尋ねた。
「好きなんですね?今のお相手さんが」
浅野は振り返り、藤崎に対しズバリと言い放った。
藤崎は浅野に聞き返す。
「……なに?」
「先輩はお相手さんに格好良い所を見せようとしたのかと。面倒事には巻き込まれないようにしてた先輩が、渦中に入るとは思いませんので」
「いやいや失礼な……単純に困っていそうだったから助けたのがキッカケだよ。それからたまたま会う機会もあって、たまたま話してただけだから」
「伸びてましたよ」
浅野はやや早口で言い訳を並べ始めた藤崎の言葉を遮った。何が、と尋ねた藤崎に、浅野は自分の顔のその部位を指しながら答える。
「は、な、の、し、た」
煽りに聞こえる返しに藤崎はムキになって反論しようとしたが、ぐっと堪える。気持ちを抑えていた藤崎をよそに、浅野は藤崎を煽り続ける。
「てっきり、ちょっとした正義心を出して助け出して、あわよくばお近づきになろうとしたのかなぁと思いましたが」
「……そう、だけど!?」
再び図星をつかれ、藤崎は認めた。
中学生ともなれば、好きな子に対し意地悪な事をして気を引かせようと思うことは無くなるものの、キザで行くか優しさで行くか、様々な事を考え女子にモテようとする。
藤崎もまた例外ではなかった。彼が東雲を助けたのは純な正義心だったが、友好的な東雲に対し好意を抱くようになっていたのも間違いではない。浅野の読みは大概当たっていた。
「でもさ!カッコつけたくなる時もあるじゃん!?いや、あるんだよ男子には!」
「そうなんですね。きっと可愛い子なんでしょうねぇ」
浅野は長い前髪の隙間から藤崎の顔をじっと見つめる。藤崎は黙ったまま彼女に顔を見られないようにそっぽを向いたが、もはやその行動が答えのようなものだった。
「人を好きになれるってちょっと羨ましいですね……にしても、京島がいるような事件だったのに、それでもよく乗り越えられましたね」
「京島絡みって……まぁそこは──」
答えようとして、一度言葉を飲み込む。
浅野は一般人だ。例え、匂いが違うと言ってきていても、彼女に怪異人種の事を教える事は出来ない。
「──そこは、超頑張ったというか、火事場の馬鹿力的な」
別の回答を考えた結果、浮かび上がった答えがまさに馬鹿のような単純な答えだった。しかし浅野はその答えでも納得してくれたようで、凄いですねと藤崎に返答した。
「すみません、急に変な事を聞いちゃって」
浅野が一言、藤崎に謝った。藤崎は首を横に振り、気にしてないと答えた。
昇降口まで辿り着いた時、藤崎は家まで送ろうかと尋ねると、浅野は動揺を見せた後、藤崎から距離を置いた。
「今度はなんだよ」
「いや、節操がないなと……なんかやっぱり変わりました?」
「最近物騒だから親切で言ったというのに……!」
藤崎はため息をつき、外履きに履き替えた。
学校周りで事件があったわけではないが、東雲のことや京島のことを考えると、日常の裏にそういった危険は潜んでいるの可能性がある。先の質問をきっかけに、その予感が過った藤崎は、浅野に親切心のつもりで提案したのだが、それが裏目に出るとはまさか思わなかった。
「すみません……でも、良いんですか?先輩の家って私の家と違ったような」
「ちょっと遠回りするだけだろ」
藤崎はそう言い、ひと足先に昇降口を出る。浅野は手を何かを考えているように、俯いていた。彼女の姿をじっと見ていると、暫くしてから彼女は顔を上げ、藤崎に手は出さないでくださいねと言いながら、彼の横を通り過ぎた。