第一節
夏休みの中、久しぶりの学校に足が重いのは、疲労や怪我のせいではない。
藤崎が通っている中学校はどこにでもある普通の学校だ。近隣の小学校と姉妹校の締結こそしてるものの、ただの公立校である事に変わりない。無論、怪異人種との関わりもない。
二階の職員室に藤崎は入る。担任の教師が自席にいた。彼は藤崎を見ると早足で近づいてきた。
「もう、大丈夫なのか?」
「はい。あの、話っていうのは……」
藤崎が尋ねようとして、担任はちょっと待ってくれと制止した。担任と共に、副校長の席まで歩く。
力強く目を伏せ、腕を組みながら小刻みに指を動かしている。担任が声をかけると、副校長は片目だけ開き、担任と藤崎を見て深いため息をついた。
「……来い、校長先生が待ってる」
「しかし、まだ関係者の方が」
担任が述べると、副校長は舌打ちをした。
「来客よりも先に言いたい事がある。いいから来なさい」
副校長はそう言い、廊下へ出ていった。藤崎達も後に続く。
「失礼します」
校長室の扉を2回ノックし、副校長、担任、藤崎の順番で校長室に入る。
教室と同じくらいの広さ。しかし床や備品は教室よりも綺麗に磨かれている。入室する時にチラと見た扉は、他の部屋の物よりも分厚く、頑丈に作られていた。
自席に座っていた校長は、よく来たねと微笑みながら藤崎を迎えた。
「さ、そこに座って」
校長は顔を崩さず、来客対応用のソファに手を向けた。担任が失礼しますと言って、ドアに近い下手のソファに座ったので、藤崎もそれに続いた。
校長と副校長は、対面のソファに座った。どこから呟こうかと、言葉を探っていた校長の隣で、副校長が手のひらを見せ、私が喋りますと声を上げた。
「まず、藤崎くん……君は学生の本分とは何か、わかっているかね?」
唐突の質問は昨日までの出来事と関係なく、藤崎は目を丸くした。
質問の意図を探ろうとして、しかし見当がつかず、結局藤崎は普通に答えることにした。
「勉強、ですかね」
「……少し間があったが、まぁ良いだろう。学生の本分は学ぶ事だ。学業であれ、部活動であれ、戻ることの出来ないひと時を全力で駆け出し、掛け替えのない経験を積むことが、何よりも大事なことだ。ただし、それは健全な環境でだ。不健全な場所で不行に移すことは学ぶ事ではない。ましてや、興味本位で危ない事に手を染め、スリルを味わうなど言語道断」
「はあ」
「藤崎!なのに君ときたら!中学二年にもなって何をしているんだ!」
副校長の怒声が校長室に響く。
校長が副校長を宥めようとしたが、副校長は気にせず藤崎に対し声を浴びせた。
「もうすぐ受験生なんだぞ!うちは生活態度について厳しく評価すると言っているのに、なんなのだその体たらくは!何がどうしたって、廃墟に侵入なんて事になるんだ!」
その後も副校長は舌の根も乾かぬうちに藤崎にとって有難い言葉を説き続ける。副校長の言葉が都度藤崎の癪に触ってくるが、藤崎は黙って聞いていた。
副校長とは今回が初対面ではなかった。入学した時から目をつけられ、因縁つけるように何かと藤崎に口を出してくる。
黙って聞いている間、室内にいるのは四人だけのはずなのに、それ以上の数の視線を感じた。
校長は苦笑を浮かべており、担任はどうする事もできず慌てふためくような表情を見せていた。
居心地の悪い空気を断ち切ったのは、外からのノックの音だった。担任が立ち上がり、扉に駆け寄る。彼が扉を開いた時、現れたのは青星だった。
「お待たせしました。青星と言います」
「失礼、少し渋滞しておりまして……待ち合わせ時間ギリギリかと思いましたが、もう話しておりましたか?」
「いえ、そんな事は……まだ経緯も聞いてない状況でして」
「藤崎は黙ったままで、さっきから何も言わなかったんですよ」
青星にそう答えた副校長を藤崎はじっと睨んだ。副校長は気にせず、ズボンから名刺入れを取り出す。
青星もそれに応えるように懐から名刺入れを取り出し、自分の名刺を渡した。チラと見えた青星の名刺には、以前藤崎が八坂から貰った名刺とはデザインが違って見えた。
「青少年犯罪対策課の青星と言います」
青星の言葉に藤崎は首を傾げたが、すぐに、それが仮の所属名なのだろうと納得した。
「さて、お待ちいただいていたようなので、私の方からまずは簡潔に事の経緯を説明いたします」
青星は藤崎の隣に腰をかけ、説明を始めた。その中で、藤崎はあくまで被害者であることを特に強調して。そして、八王子の件も藤崎は事件解決に協力してくれたと青星は説明した。
また、話の中で怪異人種や龏信会について触れる事はなかった。それもまた、世間には広まっていない事だからだろうと、藤崎は整理した。
話を聞いていた副校長の顔つきが変わる。自分の想定していたこととは違った事が、納得いってないようで、青星が説明を終えると、すぐに問いかけた。
「そしたら、こいつは特になんの非行もしてないと。そうおっしゃるのですか?」
「副校長先生」
明け透けな言動に、校長が副校長を呼んだ。
青星は笑みを浮かべながらハッキリと答える。
「えぇ。八王子にいたのも、あくまで彼は少女と共に誘拐され行きついただけ……その中で、我々の事件解決に尽力いただいたのです。本来ならばこちらが救出する側故、至らなさもありお恥ずかしい限りですが……ともあれ、彼には感謝してもしきれません」
「そ、そんな。藤崎にそんな」
「副校長先生、もういいでしょう」
校長が再び副校長を呼び止めた。副校長は校長を見て、言葉を飲み込む。
「彼は、人の為に動ける人物です。それは岡部先生からも報告を受けているでしょう。ね、岡部先生?」
名前を呼ばれた担任は、何度も頷いた。副校長はそれっきり、黙ってしまう。青星は今後の対応などについて説明をした。
皆が青星の話を静かに聴き、そして解散となった。
「本日はお忙しいなか有難うございました」
「いえ、こちらこそ……ところで、一息つける場所があればと思いますが、一服できる場所とかは……」
「はは、吸える場所が限られてますので、よろしければここから出て左手の非常階段で吸ってください。出来れば、生徒には見られない為にも、上の階で吸っていただけると」
校長の言葉に青星は礼を告げた。
校長室を出た後、藤崎の腰に青星の手が当たる。反応して青星を見ると、彼女は非常階段への扉を親指で刺しながら藤崎を誘った。
非常階段を一階層分登り、青星は自分の煙草に火をつけた。煙草を口につけ一服し始めた青星に対し、藤崎がお礼を伝える。
「有難うございました」
「いやぁこれも仕事だからね。気にしなくていいよ。アフターケアもしっかりとね」
「……それもですけど、この前誘拐された時も」
青星の答えに、藤崎は加えて言う。
「……そっちも、仕事だから気にしなくて良いよ。寧ろ危ない目に合わせてしまって悪かった」
青星は苦虫を噛み潰したような表情で答えた。
「我々がついていながら、君達を危険な目に合わせてしまった。本当に、不甲斐ない」
「そんな事ないですよ。青星さんはあぁ言ってくれましたけど、それでもやっぱり俺じゃどうしようもなかったです。勇樹に対して、手も足も出なかった……」
藤崎は床を一点に見つめながら答えた。
自ら逃げ出そうと考えたものの、東雲を危険な目に合わせてしまい、神崎には何もできなかった。不甲斐ないのは自分だと、藤崎は呟いた。
「君は赤の魔女と知り合いのようだね」
青星の言葉に藤崎は頷いた。
「えぇ、勇樹は幼馴染で、俺より四つ年上ですけど、小さい頃はよく遊んでいました」
神崎と遊んでいた時のことを思い出す。近くの公園で近所の子供達と遊んでいた、神崎はその中の一人だった。
「あいつが赤の魔女なんて、今でも信じられません。なんで、龏信会にいるのかも」
藤崎は呟き、深いため息をついた。数秒の間の後、青星は藤崎に説明する。
「龏信会は、怪異人種が中心となって集まっている団体だ。トップを龍神様と崇め奉っている。龍神様こそが次代を導く存在だと。彼の導きならば、如何様にも行動する団体だ」
「誘拐も、殺人もですか」
「龍神様が言うならね」
答えた青星も解せないといった表情を浮かべていた。藤崎もその気持ちは同じだった。
人を殺める事を正当化して良いものか、藤崎にはわからない。
「赤の魔女がなぜ龏信会に入ったのかはわからない。やむを得ない事情があったのか、自らの意志で入団したのか」
青星の言葉を聞き、彼が去り際に見せた表情を思い出した。
「龏信会から脱け出せないんでしょうか……」
ぽつりと、突発的に思い浮かんだ事が口から漏れ出る。直後、藤崎は青星に謝った。
「すみません、危険な集団なんて事はわかってるんです。でもそれなら勇樹だって危険なんじゃないかって思って……あぁ、でも赤の魔女って言われるくらい強いのか。いやでも他にもやばい人間なんているだろうし」
独り言が増えた藤崎を見て、青星は微笑んだ。
怒られるのかと思った藤崎は、彼女の表情に首を傾げる。
「君にとって彼は大事な人なんだろうね」
青星は藤崎に告げる。
「まぁ君一人で立ち向かうのは非常に危険だが、赤の魔女については、我々ももう少し調査してみよう。可能なら説得もしてみせるさ」
「ほ、本当ですか!」
聞き返した藤崎に、青星は頷いた。
「意志があるところに道は開ける。君の思いのように、良い方向に未来が向かうよう、私達も尽力するよ」
「ありがとうございます……!」
藤崎は青星に強く礼を伝えた。約束を守ってくれるだろうと思える頼もしさがある。
いつか青星のような強い人になりたい。藤崎は彼女に対し、強い憧れを抱くようになっていた。
「話は戻るけど、あの人は随分と藤崎くんを目の敵にしてるみたいだね。怒号が聞こえた時、案内してくれた先生が苦笑いで謝ってたよ」
青星は笑いながら藤崎に告げた。
「何か悪い事でもしてたのかい?実は学校ではやんちゃとか?」
「いやいや、そんなわけないじゃないですか……見た目がこんなだから、いろいろといちゃもんをつけてくるんです」
藤崎はため息をついた。
「それは地毛なんだろう?染めるにしたって、そんなに綺麗な青色にはならないだろうね」
「髪も、瞳も、元からですよ」
藤崎は青星の顔を見た。その時、微風が藤崎の風を揺らす。鮮やかな青の髪と、緑系統の瞳は、今となっては多様な見た目のいる生徒の中でも一際目立っていた。
藤崎を撫でた風は、そのまま青星に流れる。彼女の黒い髪が、陽の光をめいいっぱいに浴びるように揺れた。天色の瞳が、藤崎を見つめ返す。
「青星さんのその目も、元からなんですか?」
「まぁね。遺伝みたいなものだよ」
微笑んだ時に細めた瞳が輝いて見える。その姿に、藤崎は憧れを抱いていた。
青星はもう一度煙草を吸い、口から煙を吐いた。
「藤崎君は、自分の境遇に恨みとかはない?」
「恨みですか」
青星に聞き返すと彼女は頷き、より詳しく尋ねた。
「その姿の事とか、生い立ちとか。君は親に聞いて、不幸に感じた事はない?」
急な質問に、藤崎は戸惑う。
今まで考えた事のない事だった。見た目について陰口を言う人物は、副校長だけではなかったが、それでも生まれついたものは仕方がないと割り切っていた。
「生い立ちとかは、聞いてもはぐらかされますけど……でも、見た目が全部じゃないですから」
「成熟してるな」
青星は微笑み、煙草の火を消した。




