第二十節
「彼、どうなるんですか?」
京島を乗せたパトカーを見送りながら、藤崎は青星に尋ねた。
「事が事だからねぇ。元の生活には戻らないだろうな。施設に入れられるか、或いは……ただ、彼ならきっと良い方向に変わってくれるだろう」
希望的観測だけどね、と青星は最後に付け足す。変わるかどうかはその人次第、だが、青星は救助を待っている間に京島と会話を交わし、それが希望的観測にはならないと思ったのだろう。
先程の京島の表情を見て藤崎は同じ事を考えた。
「何はともあれ、お疲れ様。よく頑張ったね」
青星は藤崎に労いながら、頭を優しく撫でる。藤崎はそれを否定しようとして、その場に倒れた。
落ちるさような感覚。腕も脚も何もかもに力が入らなくなり、意識が遠ざかる。
青星や長瀬、遠くから東雲の声を聞いて藤崎はそのまま気を失った。
目が覚めた時、眼前には見覚えのある病室が広がっていた。空はまだ暗く、星々が明滅を繰り返していた。
龏信会の脅威から逃れ一安心した藤崎はあの場で気を失ってしまい、再び小判塚医院に運び込まれたそうだ。清潔感のある色でまとまった部屋に藤崎は再び戻ってきたようだ。
「そんなに病院が気に入ったのかい?」
医師に言われた皮肉の中には、呆れた感情も込められていた。無理をするなと言われたその日のうちに気絶するまで心身を追い詰めた事に関して、藤崎は医師から淡々と説教を受けた。
怪異人種の力はまだ解明途中な事が多いと医師は話す。常人とは違う意識の使い方をするようになるが、それによって生まれた力を過剰に使うようになると、人から外れてしまう。
「怪異のような人間になるから怪異人種と呼ばれているんだ。気絶しただけなのはまだマシなくらいだ。最悪、死ぬだけでは終わらないこともあるのだから」
医師の言葉に、藤崎はただ謝る事しか出来なかった。
「何はともあれ、君にはまだ君のことを思う人間がいるんだからな」
医師はそう言って隣のベッドで寝ていた東雲を見た。
彼が言うには、彼女は藤崎が倒れた時からずっとそばにいて離れなかったらしい。東雲は大きな怪我を負ったわけでも身体に強い負担をかけたわけでもないが、藤崎を巻き込んだ事を酷くくやんでいたそうだ。
「自分のせいで無茶をさせたって言っていたよ」
「気にしなくて良いのに……」
「なら、彼女にそう言ってやってくれ。他ならぬ君の言葉なら、きっと信じてくれるんじゃないかな」
「えぇ、そうします」
東雲を起こさないよう、二人は小声で会話を交わす。
「また身体に異変が起きたら呼んでくれ」
医師は藤崎にそう告げて部屋を出た。医師が扉を閉める直前、藤崎はお辞儀をした。
およそ一週間ぶりに、東雲と同じ部屋で夜を過ごす。
藤崎はそっと立ち上がり、東雲に近づいた。彼女の近くに手を添えて、小さくありがとうと呟く。
思えば彼女と出会ってからまだ二週間も経っていなかった。
先程の医師の言葉を振り返り、藤崎は気を失う前の出来事を振り返る。一難去ったが、全てが解決したわけではない。
神崎勇樹は再び現れる。藤崎の直感が彼自身にそう告げていた。
──そうだな、お前はそういう奴だった──
去る直前のやり取りで藤崎に告げた、神崎のその言葉が藤崎の頭の中で思い起こされる。
幼少の頃の神崎は誘拐をするような人物ではなかっただけに、誘拐の件も、彼が龏信会の幹部で、赤の魔女と呼ばれている事も、信じられなかった。
自分の知らないところで、神崎に何かがあった。だがそれがなんなのか、藤崎にはわからなかった。
わからないのは、神崎に関する事だけではない。隣で静かに寝ている少女のことでさえ、藤崎はよくわかっていない。昨日、本物の内藤が家まで送り届けていたら、彼女の親に会えたのだろう。しかし、それは神崎達に阻止されてしまった。
藤崎は東雲の寝顔を覗き込む。
そばによっても、東雲が起きる気配はない。あどけない寝顔には、危機感などなさそうだった。その寝顔が愛おしく見え、先の悩みなどどうでもよくなってしまった。
いつか、話せる時がくればいいのだろう。東雲の寝顔を見ながら、藤崎は自分自身を説得させた。
夜明けはまだ訪れない。
京島与伴がよりどころにしていた不良グループは、この日の事件をきっかけに解体となった。
神崎の被害者である千住は一命を取りとめ、奇跡的に後遺症が残る事なく回復する。しかし、彼らのグループは寺島はじめが引き起こした事件の共犯者として、それぞれ事情聴取が怪異人種犯罪対策機関によって執り行われた。
京島が犯した罪は、やはり保護事件となった。十二歳の彼には刑事責任が課されていないが、少年審判で非行事実が認められ少年院への送致が決まった。
守ってくれる人はいない。京島もそれはわかっていた。
瓦礫に埋もれた時、青星から怪異人種の可能性を聞いた。藤崎が間際に見せた力は、人を守る為の力だと。そんな事が出来るのかと京島は聞き返したが、青星は出来ると答えた。
「意志ある先に道は開く。あれは彼の意志が具現した力で、その力が私達を守ってくれた」
告げた青星は誇らしげだった。京島はそう言われる藤崎の事が羨ましく感じ、その想いがつい言葉に漏れた。
ぽつりと呟いた京島に青星は君も変われると告げた。
「君はこの先、他人より重いものを背負わなければならない。決して楽な道ではないだろう。でも君はまだ心情が成長している最中だ。良い方にも悪い方にも、舵を切る事が出来る」
だからきっと変われると、青星は京島に告げた。
暗闇にいる京島にとって、一等星の輝きのように感じるほど眩しく、手を伸ばしたくなった。
京島は、彼女と言葉を信じることにした。
「変われるかわからないけど……うん、変わってみせる」
再び藤崎と会う時、今日までの事を清算する為に。
京島は暗闇から抜け出す為に、一等星を追い続ける事を決めた。
【第三章 不倶戴天の意思 終】