第十一節
京島は砂もない地面の上を歩いていた。
左腕を庇いながら三メートルも先も見えないような暗闇をゆっくりと進む。
藤崎と戦っていた時の疲れが、まだ残っているようだった。そして、その時に負った痛みも。
ぜぇはぁと呼吸は乱れたまま、あてもなく、真っすぐに歩き続ける。
暫く歩くと、むき出しのコンクリート壁が京島の目の前に現れた。壁には一人の男がもたれかかっている。
「寺島さん……」
京島は男の名を呼ぶ。寺島はうな垂れていて、顔が見えなかった。構わず京島は寺島に近づき、話しかける。
「寺島さん!俺、ずっと……」
「……………………よはんかぁ」
寺島が自分の名前を呼んでくれたのが嬉しくて、京島は顔を明るくした。
だが、起き上がった寺島の顔を見て、京島の顔は一瞬にして凍り付く。
「ひっ……」
悲鳴をあげ後ろに下がる京島を掴もうとした、寺島の腕は、その顔と共に酷く焼けてしまい、皮膚がただているように見えた。
「よぉはあぁん……」
かすれた声で寺島が京島を掴もうとする。
腰が抜けた京島は、尻餅をついたまま後ろへ下がる。必死に腕と足を動かし続けていると、今度は背後から呻き声が聞こえてきた。
背後だけでない。四方八方から呻き声が近づいてくる。刹那、これまで京島が屠ってきた被害者や藤崎達が溶けた身体で京島に寄ってくる。
「やめろ!俺に、近寄るんじゃねぇ……!」
京島が叫んだ声は虚しく響くだけで、死屍は京島の身体をつかんで離さなかった。
もがいている中、後ろからコツ、コツと、ブーツの音が聞こえてくる。
死屍にのしかかられ、ブーツから上を見る事はできなかった。その人物は京島の目の前で立ち止まっていた。
その者が何かしらの所作をしている音がする。やがて京島の頭上で光源が現れる。それが火が燃え上がっているときの光によく似ていると京島は気がついた。
このままだと目の前の人物──赤の魔女に燃やされる。そう察した京島は叫んだ。
「やめろおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
京島は叫ぶのと同時に、目を大きく見開いた。
気がつくと彼はガレージのソファで寝ていて、大量に汗を流していた。テーブルに置かれた七セグメントのデジタル時計は午前九時五十五分と示していた。
呼吸を整え、先ほどまでの出来事が夢だったと気がついた京島は、落ち着いてきたと共に苛立ちが沸々と沸き上がり、タオルケットを殴った。
左腕は自分で手当をしただけなのでまだ痛む。ぐるぐるに巻いた包帯は赤く染まっていた。
「起きたか、与伴」
深呼吸をしていると、京島の仲間が彼に話しかけた。
「何か叫んでたな。うなされてもいたが、大丈夫か?」
「なんでもねぇです……シャワー借ります」
「いや、良い。タオルなら持ってくるから」
仲間はそう言い、二階へあがって行った。
一階がガレージになっているこの住宅は、寺島やその友人である仲間達が自分達の拠点として購入した場所だった。彼らの日々の行いから、人に見つかりにくい隠れ家が欲しかったため、仲間の一人の親が購入した敷地内の一角に建てられている。無論、出入り口となる一辺をのぞき、周りは樹々に囲まれていた。
二階には仲間達がいつでも寝泊まれるよう着替えが置きっぱなしになっており、京島も同じように着替えを残していた。
この家にいると、まだ寺島が帰ってくるんじゃないかと京島は考えてしまう。朝、ガレージまで降りると、朝帰りの寺島がいつも飲んでいるコーヒーのにおいがして、彼はそれを飲まないままソファの上でぐったりと寝ている。そんな、当たり前の光景があるんじゃないかと思ってしまう。
だが、今ソファにいるのは京島だけだった。他には、鉄やガソリンのにおいが漂っているだけ。
「待たせたな。服、脱いでくれ」
暫くして、仲間がタオルや着替え等を抱えて戻ってきた。彼に手伝ってもらいながら、京島は上半身に着ていたものすべてを脱ぐ。
「何かありましたか?」
「いや、特には……あぁ、お前を探している人間が玄関に来たよ」
「その人は?」
「追い返したさ」
「他の皆は?」
「仲良くスーパーに買い出しに行ってる」
「そう……ですか……」
「怪我はまだ痛むか?」
「ほんの少しだけ、左腕が痛むくらいで他はもうなんともありません……」
「そりゃ凄いな」
仲間は笑いながらそう返答した。その声が少し乾いているように聞こえた。京島も彼の気持ちは察していたし、同感していた。
昨日は長瀬にも撃たれたはずなのに、気がつくとその痛みはなくなっていて、藤崎に斬られた左腕だけが痛みが強く残っていた。かといって、長瀬に撃たれた場所の傷が完治しているわけではないという事は、撃たれた箇所を見ればよく分かった。
「午前中には病院に行くぞ」
京島の身体を拭きながら仲間が言った。しかし京島は首を縦に振らない。
「止血しかできなかったんだ。流石に医者に診てもらった方が良いだろう」
「そう簡単には死にませんよ」
「いや、そんなわけないだろ。イビトだかなんだか知らないけど、俺はお前までいなくなって欲しくないんだ」
仲間にそう言われても、京島はわかったと言わない。
まったくもって頑固だと仲間がため息をつくと、ガレージの勝手口から声がする。
「そこの青年の言う通りだ。イビトでも医者に診てもらった方がいい」
いつの間にか佇んでいた、赤髪の青年は、中性的な顔立ちで全身のシルエットが見えにくい服装で腕を組んでいた。
「あんた、誰だ」
「君の探していた人だ──そう、答えたら?」
青年はそう答えた。
まさか赤の魔女なのかと考えたが、性別が判別しづらいため、早計ではとも考えた。
だが、彼の自身に満ちた声から察するに、ならば彼は龏信会の人間なのではと京島は予想する。
「同胞がやられた人間を見に来てみたら、瀕死じゃないか。こんなのにやられたんだとはな」
その人が嘲笑したのは、自分に対してなのだろうか。
「これなら、まだあのデカブツを生かしといた方が良かったんじゃねぇかなぁ」
その言葉はわざとらしかった。およその人間ならば多少の苛立ちは覚えどもわざわざ食いつくような挑発ではなかった。
だが、京島を飛び上がらせるには十分だった。
「てめぇ!!!」
叫び、襲い掛かってくる京島の顎に青年は自分のつま先を引っかける。
垂直に上がった足は京島の顎を打ち抜き、京島は受け身を取らずに地面に倒れた。
気を失った京島を青年が抱える。
「京島をどうする気だ!」
立ち上がり近づこうとする京島の仲間に対し、男は手をつきだして答える。
「思い出まで燃やされたくないだろう?何も言わずそこで見届けてな」
青年はそう言ってガレージから出て行く。勝手口から外へ出たとき、彼はふと思いついたような声で「あぁ、お前がイビト隊や警察に通報する可能性もあるのか」と呟いた。
そして青年は片腕で京島を抱えながら、もう片方の手に持っていた球体をガレージの中へ放り込む。
背筋が凍った京島の仲間はそこから脱出しようとした。次の瞬間──
「……ごめんね」
青年がそう言ったと同時に、ガレージ内で爆発が起きる。
燃え上がるその住宅を背中に、青年は近くに停められた車に乗り込んだ。