第八節
ブリーフィングは、藤崎と八坂がいた打合せスペースで行われた。
机の上に地図を広げ、朝霞と彼の部下、藤崎と八坂が囲む。
「今日、遺体が発見されたのは府中の多摩川親水公園だった。二度、同じ場所に現れるとは限らないが、このエリアを見回りをしてほしいそうだ」
朝霞は地図に磁石をひとつずつ載せる。
「中央自動車道への道となる橋を中心の境として、上流側──遺体があった親水公園エリアは俺が見張る。稲城料金所から先の下流は樋野が見張れ」
樋野と呼ばれた職員は、静かに頷く。それを確認した朝霞は、三つ目の磁石を二つ目の磁石の対岸エリアへ乗せた。
「対岸の稲城市……アカシア通りと言うんだったかな。下流側は八坂くんが担当してくれ。そして藤崎君は……ここを頼む」
朝霞が手に取った四つ目の磁石は、彼の担当する親水公園エリアの対岸側の中心に置かれた。
他の担当者に比べ、やや長く見えた藤崎はその長さに静かに息をのんだ。
「彼には些か荷が重いのでは?」
八坂が朝霞に尋ねた。樋野も朝霞の事を見ていたが、朝霞は首を横に振り八坂に答える。
「八坂君がもう少しエリアを狭めても良い。だがまぁ対岸には俺がいるし、現場には警視庁の職員にも同伴してもらう予定だ」
「実際に会った時、警察じゃあ対処しきれんでしょう」
「会った時はこれを使ってもらうさ」
朝霞がそう答え取り出したのは、拳二つ分の拳銃だった。その銃はノズルが短く、朱色に塗装されていた。
藤崎にとっては見た事のない拳銃を、朝霞は藤崎の目の前に置く。
「信号拳銃というものだ。こいつを空やひらけた空間に撃ってくれれば良い。それを合図と目印とすれば、俺達も有事の際に動きやすいだろう?」
朝霞はそう答えたが、八坂は腕を組み唸っていた。彼に大丈夫だと答えたのは、藤崎だった。
「何かあればすぐにこれを撃ちます。装填は……」
「中折れ式だ。銃を使ったことは?」
「エアガンしか使った事ありませんが……なんか、筒みたいな所に弾を入れるような」
「上出来だ。それと殆ど同じ使い方だからな」
朝霞は少し借りると言って、再び藤崎用の信号拳銃を手に取る。
「いわゆるオモチャのリボルバーと似ていて、真っ二つに割れるだろう」
朝霞は銃身を二つに割り、ノズル側の穴を指す。
「この中に銃弾を入れて、銃身をもとに戻す。それから引き金を引けば撃つことが出来るだろう」
そう言って朝霞が取り出したのは緑色の筒だった。彼が親指と人差し指でつまみながら見せたそれが、この信号拳銃の銃弾なのだろう。
「どうだ、使い方は変わらないだろう?」
朝霞は再び拳銃を机に置く。藤崎は頭を傾けながらそれを手に取った。
流石実物というべきか、いくらそれが実弾を用いる銃でなくとも、エアガンとは比べ物にならない質量を感じた。
「すぐに出発するんですか?」
ブリーフィングを終えた後、八坂は尋ねた。空はまだ夜を迎える頃だった。
「いや、軽く飯を食べてからにする。腹が減っては戦は出来ぬってな」
八坂の問いにそう答えた朝霞は、自分のタブレット端末を操作し三人に画面を見せた。
「出前をとろう。金は俺が出すから、何かリクエストがあるなら言ってくれ」
「マジっすか、あざっす!」
八坂は途端に明るくそう答えた。樋野も声は出さずとも静かにお辞儀をしている。続いて、藤崎も朝霞に礼を伝えた。
「ごちそうさまです」
「はは、気にせず食べてくれ。ただ量は控えめに、腹八分目くらいにしとけよ」
「少年は食えないものとかないか?」
「なんでも食べれます……!あ、アレルギーとかはないので、大丈夫です」
「マジか、好き嫌いもないとか偉すぎるだろ」
朝霞からタブレットを手渡された八坂は、そのまま樋野と藤崎に見せた。
たまに出前を頼む職員がいるそうで、大型チェーンのピザ屋やファーストフード店もあれば、事務所の近くで営んでいる個人経営の弁当屋もあった。
八坂達が何を食べようか吟味している一方で、藤崎は無造作に置かれているその紙を遠めに見ていた。
「どうかしたのか?」
朝霞が藤崎の様子を窺った。声をかけられ、藤崎は我に返ったかのように一度息を吸い、朝霞の方を見て大丈夫ですと答えた。
「あまり出前の料理を食べた事がなくて」
「紗代さんってそんなに厳しいのか」
「そこまででは……勝手に食べたりしたら怒る事はありますけど」
ふと、藤崎は台所に立っている母親の背中を思い出す。
どんなに仕事が忙しく夜が遅い日が続き共に食事をする時間がなくても、冷蔵庫には必ず紗代の作った料理が置かれていた。
それが自分の栄養面を想っての事なのか、単純に紗代が料理をする事が好きだからなのか、そんな事は考えた事もなかった。
「そういえば、まだ母さんに連絡してない……!」
「それなら、少年が青春の一ページを刻んでいる間に俺から連絡しといたから大丈夫よ」
一時焦りを見せる藤崎に八坂は自分のスマートフォンを見せながらそう伝えた。彼の言葉に少し引っかかっていたが、藤崎は素直にお礼を述べた。
夕飯については、藤崎はなんでも食べれると答えた。結果、八坂のリクエストにより出前はピザに決まった。
「ガッツリ食うねぇ」
「まぁ、後からでも食べれますんで」
「そういう事か。なら、食べられないようにしとかないとな」
ピザ屋に注文をした後、朝霞と八坂の会話が聞こえる。
藤崎はこれから来るピザに想いを馳せ、天井を見上げていた。
ふと視線を感じ顔をあげると、樋野が藤崎を静かに見つめていた。物言わず、瞳で体調を窺っているように見えた藤崎は、大丈夫ですよと答えた。
三十分後、ピザが届いた。その時にはすでに藤崎の身体は食事を求めていた。
八坂がピザの紙箱を開ける。煙と共に漂ってきた焼けたチーズの香りは藤崎の空腹感に追い打ちをかけた。
「ヒューッ流石、美味そうに作ってくれるねぇ」
八坂がそんなことを言っていたような気がした。ピザに釘付けになっていると、隣にいた樋野が藤崎の肩を二回、ゆるい力で叩いた。彼が自分の口元を指さすので、藤崎は自分が間抜けな口の開き方をしていた事に気がついた。一言、すみませんと謝りながら口元を手で拭く藤崎に、樋野はおしぼりを渡した。
「ありがとうございます」
藤崎は礼を述べ、貰ったおしぼりで口を吹き、ついでに口を吹いた面とは別の麺で自分の手も吹いた。
その間、八坂はピザをきりわけていたそうだ。いつの間にか用意されていた紙皿にピザを一枚乗せ、藤崎に差し出した。藤崎は礼を言いながらそれを受け取る。
「いただきます」
四人それぞれが自由に言った。
藤崎は渡されたピザの先端にかぶりつく。濃いモッツアレラチーズの味が瞬く間に口の中に広がった。次にトマトソースの甘酸っぱい味つけが追いかけてくる。
紗代が作っていたピザとはまた違う暴力的な美味さに藤崎は頭をゆっくり揺らしていた。
「このジャンクな感じがいいんだよなぁ」
あっという間に一枚を食べた八坂がそう呟いた。朝霞もそれに同調するかのように頷き、言葉を発する。
「確かに、癖になる味わいだ……おじさんには少しハードな食べ物なのが残念なくらいだが」
「いやいや大隊長、まだ四十でしょ……」
二枚目に手を伸ばした八坂が笑いながらそう言った。ふと朝霞を見ると、彼は眉を八の字にして、脆い笑みを浮かべていた。
彼の寂しそうな顔がその場を沈黙の空気に包ませた。
「……大隊長の分は、しっかりと残しておきますんで」
八坂は静かに、強かにそう呟いた。
「うわ、戻ってきたらめっちゃ良い匂いするし。めっちゃ美味そうなもん食べてるじゃん」
「青星さんを近づけるなあああああああ!大隊長のピザを守れええええええええええ!!」
「なんだよ」