第七節
「人員がうちの支部所の一部しか出せないってどういう事ですか!」
青星の怒号が、イビト隊の執務室の中に響き渡る。全員の視線が八坂に向けられたが、そんなことを気にする事もなく彼女は目の前にいる朝霞を睨んでいた。
「どうもこうもねぇさ。ただでさえワークライフバランスとか謳ってる世の中で、これ以上の時間外出動も出来ねぇってお上の判断さ」
「人員を割いて人を守れるわけないでしょう!」
朝霞の弁明に食いつくように青星が返す。
「ワークライフバランス……」
「働き過ぎは良くないよって教えさ。ふた昔程前に過労で死んじまった会社員がいてな、それ以降働く事と趣味や休息をバランスよくとりましょうねって言われていたわけだが、それでも過労死は途絶えないから、とうとう可能な残業時間や勤務時間を制限するようになったのよ」
聞き慣れない言葉を聞いた藤崎に、八坂が解説した。
「どの仕事にも適用されるんですね」
「まぁ全部に言う必要があるのかって話はあるけどな。それに、現場では同僚に仕事を任せらない場合もあるから、結局こっそり出勤する事もあるんだよなぁ」
八坂の説明はくたびれたようなため息も混じっている気がして、藤崎は大変ですねと返した。直後、それが経験者の言葉なのではと察知した藤崎は咄嗟に八坂を見る。
「ちなみに今日もだ」
八坂は端的にそう呟いた。藤崎はこれ以上返す言葉がなかった。その奥で青星は構わず朝霞に訴える。
「働き過ぎによってパフォーマンスが落ち、それが原因で職員が命を落とすという理はわかります。しかしそれによって警備が薄くなり民間人が襲われたら元も子もないでしょう!」
「うちの事務所長はそうは考えない。風当りも強い組織で、外からの指摘を受けないよう考えているそうだ」
「所長がどうお考えだろうが、私は問題ありません。私は行きます」
「君には別件の任務があるそうだ。それも急ぎでな」
朝霞は青星にそう告げると、封筒を一枚渡した。
「関東支部長直々にだ。例の件だろう」
続けてそう告げられた青星はため息をつき封筒を貰った。
「龏信会の部隊の発足ももう少し時間がかかるって話だ。今は我慢するしかないだろうな」
朝霞の言葉に青星は何も返さず、執務室から出て行った。
藤崎はやや乱暴な歩きで出ていく彼女を見送ったあと、八坂の顔を見た。八坂は藤崎に首を横にふってみせたあと、朝霞の目の前まで歩く。
「それで、今回出るのは誰なんです?」
「俺を含め一班二名と、君を合わせて三名が限界だ」
「なるほど、それは心もとない。隣県に応援要請は出来ないんです?」
「同じ理由だ。神奈川は最近港方面で族が暴れているせいで手を焼いているらしい」
「それなら周辺の自警団で協力してもらえる人はいないんです?」
「声をかけたいところだが、彼らは一般人だ。危険に晒すわけにはいかない」
八坂は何度か策を提案してみたが、その度に朝霞は取り下げる。二人の話し合いを聞いていて、この国が思っていた以上に治安が悪かった事実に、藤崎は心苦しく感じていた。
そして彼は手をあげて提案をする。
「それなら、俺も一緒に行っていいですか?」
「君は、確か怪異人種になったばかりとか……」
「覚醒したのはつい先日です。三鷹で寺島が起こした誘拐未遂の事件に関わっていた少年で」
朝霞にそう説明した八坂の言葉に藤崎は頷いて答える。
「イビトの能力については、今日の昼に青星さんから教えてもらいました。足手まといにはならない……はず、です」
藤崎の言葉は震えていた。勿論、それに気づかないはずがなく、朝霞は藤崎の目を見て尋ねる。
「現場に行けば、我々は君の側にいることが出来ない。巡査はつく予定だが君のような人間を快く思わない人間だろう。ほぼ孤独の状態で君は暗い場所を歩くことになる」
「それでも、少しでも力になるなら」
藤崎は見つめ返してそう答えた。彼の瞳を見て、朝霞は笑みを浮かべて答えた。
「そうだな、君ならなんとかしてくれそうな気もする。申し訳ないが、手伝ってもらいないかな?」
「はい、よろしくお願いします!」
朝霞の言葉に藤崎は力強くそう答えた。
打合せは一区切りをつけ、八坂と朝霞は関連機関に電話を始める。
藤崎は昼間案内された打合せスペースで待機するよう言われた。執務室に残っていた他の職員が麦茶を入れてくれたので、藤崎は飲もうと手を近づける。手に持ったカップの中にある麦茶が揺れていたのをみて、自分の手が震えている事に気がついた。
緊張か、恐怖か、いずれにせよ自身の胸の内にある不安の気を外に追い出すために、何度も深呼吸をした。
突然スマートフォンが鳴り藤崎は悲鳴をあげる。
「うわっ!」
藤崎は急いでスマートフォンを取り出す。東雲からの電話だった。
「どうかしたん?」
「あっ、すみません。東雲から電話があったみたいで……」
様子を見に来た八坂に藤崎はスマートフォンの画面を見せながらそう答えた。スマートフォンはまだ震えている。
「電話出ておいた方がいいぜ。着信無視すると嫌われるどころか、自分が危険な目にあうからな」
八坂の声は、心当たりがあったかのように言っていたが、それ以上聞こうとは思えなかった。ただその言葉に甘えて、電話に出る。
「もしもし」
「龍二くん?大丈夫!?」
東雲の心配そうな声が予想以上に大きく、藤崎は一瞬だけ耳からスマートフォンを離した。東雲の声は近くの人にも聞こえたようで、通りかかった他の職員が一瞬だけこちらを見た。八坂はというと、驚愕した藤崎をにやつきながら見ている。
「だ、大丈夫だけど……何かあった?」
「ううん、電話に出るのが遅かったから、何かあったのかなって……何もないなら良かった」
東雲はそう答えて、安堵の息を吐いたようだ。
思っていたより心配していたそうで、藤崎は東雲に謝った。
「ごめん、ちょっと人と話し込んでたりしたから、ちょっと電話に出れなかっただけ」
「取り込み中だったんだ。僕のほうこそごめん。後でかけ直す?」
「いや、一区切りついたからもう大丈夫だよ」
藤崎がそう答えた後、東雲は良かったと答えていた。外を見る為に藤崎は窓際に移動する。
「東雲は何かあった?身体はどう?」
「僕は大丈夫だよ。まだ外に出ちゃいけないみたいだけど、君に貰ったもので絵を描いていたよ」
「そりゃよかった。何描いたの?」
「ひみつ」
「はは、教えてくれないんだ」
「うん、次来たときのお楽しみ。だから、また絶対に会いに来てね」
東雲に告げられて、藤崎は一瞬だけ言葉を失った。
彼女には、これから自分が危ない場所に向かう事が既に知られているような気がした。何故だろうかと考えているうちに、東雲は理由を藤崎に教えてくれた。
「声、いつもと違う感じがしたから」
「……そうかな」
「そうだよ。笑い方も硬くて、なんだか緊張しているみたい」
「………………」
「また、危ない目にあいにいくの?」
沈黙した藤崎に、東雲がそう尋ねた。思わず藤崎は八坂を見たが、彼はにやついた顔のまま、首を横に振った。彼の示したとおり、やはり藤崎の頭の中には適切な言い訳を並べる事が出来なかった。
「……はは、隠せないな」
観念した藤崎は、思わず笑ってそう答えた。
「本当に、どっかに行くんだ」
「見回りだよ。東雲を襲ったような悪い奴がいるみたいなんだ」
「龍二くんに何かあったら」
「それは大丈夫だよ」
「どうして?」
「君の絵を見に行くから」
窓に手を置いて彼方の空を見上げながら藤崎は答えた。
その言葉に偽りはなかった。それは東雲にも伝わっていたようで、ひとことわかったと答えた。
「また明日、会いに行くよ」
「うん、待ってる」
その言葉のあと、藤崎は通話を終えた。気がつくと震えはとまり、胸中の不安の気はどこかに消えていた。
心の中で東雲にお礼を告げると、八坂に肘をつつかれた。
「いいねぇ、青春だねぇ」
「からかわないでくださいよ……!」
先ほどからにやついた顔を変えない八坂に対し、藤崎は顔を赤くしながらそう言った。
「明日元気に会うためにも、頑張ろうぜ」
しかし八坂がそう言った言葉には同じ気持ちだったので、藤崎は頷いた。
「準備出来た。ブリーフィング後に出発するぞ」
八坂と藤崎のもとに朝霞が近づいて告げた。二人は朝霞の言葉にうなずき返事をした。