第五節
「さて、犯人がイビトであるなら、どうしたものか」
青星はそう呟いた。
「そもそも、犯人は一度この場で殺害をした後に戻ってきたみたいですね」
「なんのために?」
「それはまだ調査中です。犯人は何かを確認したくてこの場に戻ってきたか……」
木村はそう答えた後、三枚の写真を青星と八坂に見せた。
藤崎もそれを見ようと覗き込んだが、すぐに己の行いを後悔した。
「酷い有様だな……」
写っている被写体──遺体を見て青星が溢した。
遺体には八坂が話していた通り、遺体には蟲が這っていた。この写真を撮影したとき、腐敗はだいぶ進んでいたようだった。
二度と開くことのない瞳の近くで蛆がくっつているのは、表現の年齢制限に厳しい世で、藤崎が見るにはなかなか難易度が高い光景だった。
予想を上回るえぐい情景に、藤崎は胃の中のものを外に出そうとする。
「おいおい、大丈夫か」
その場にしゃがみ込む藤崎に八坂が背中を当てる。
藤崎の存在に気がついた警察官は怪訝な顔を見せた。
「おい、子供なんて連れてきて何のつもりだ」
「一応、彼も我々の協力者でね」
そう答えた青星に、警察官は疑いの眼差しを向ける事をやめなかった。間違いなくそれは、怪異人種犯罪対策機関に対する疑いの目でもあったのだろう。
成長期も迎えていないような子供を殺人現場に連れてくる事になんの意味があるのだろうか。
その問いに答えるように青星は説明した。
「彼もイビトに関係する人間だ。ただそれはここ最近の話でね。勉強がてら連れてきただけだよ」
「はあ……イビトの考えてる事はよくわからねぇな」
警察官はそう答えた。同時に、何かを思い出したのか、空を仰ぎ声をもらす。
「そういやぁ、俺が会ったイビトも高校生かそのくらいの見た目だったな……」
「それは本当ですか?」
尋ねた木村に警察官は頷く。
「顔は良く見えなかったが、まぁ子供と大人の間みたいな感じだったな……髪は染めていたはずだ」
「子供の犯行……?これが?」
八坂がそう呟いている一方で、藤崎では一人だけ、犯人として頭に浮かび上がった人物がいた。しかしそれは考えすぎだと藤崎は考え直し、否定するために頭を数回横に振る。
「で、アンタらはどうしてくれるんだ?」
今度は警察官が青星達に尋ねた。
目を細める仕草は少々八つ当たりにも感じる印象だったが、彼の抱える感情が藤崎にはまだ理解できなかった。
一方で青星は、警察官の態度が茶飯事であるかのように淡々と今後について説明する。
「今回の件がイビトに関する事なら、あとは我々が対処します。無論、犯人が二度この場に来ている以上、この場を放置するつもりもありません」
「それはつまり、あんた達で警備してくれるって事で良いんだよな?」
「えぇ、もちろん。他部署にもかけあって応援を依頼します」
青星はそう言った後、電話してくると言ってその場を離れた。木村もまた状況を説明するために青星について行く。
「俺は他の人に話を聞くと思うけど、少年はどうする?」
八坂が藤崎に小声で尋ねた。
「気分悪いなら、車で休んでた方が良いぞ」
続けて八坂は藤崎にそう告げた。
提案自体は嬉しかったが、藤崎の気持ちとしては、まだこの場に残っていたい思いの方が強かった。
明日は我が身に降りかかる出来事かもしれない。
木村が青星と八坂に見せた写真をのぞいた時、ふと藤崎の中でそのような考えが浮かび上がってしまった。だからこそ彼は、微かに感じる腐臭の中でも惨状をより詳しく知りたかった。
「大丈夫です。一緒に行かせてください」
息を大きく吐いたあと、藤崎は八坂に願った。
静かに頷いた八坂の後をついて行く藤崎。そして彼の後ろで藤崎は事件の詳細を聞いていた。
現場には犯行に使われたと思われる凶器はなかったらしい。そう話したのは、藤崎がはじめに目を移したグループだった。
「使っていたのは、鎖のついたナイフだけ……アイツが撃った銃弾は全部はじかれたってよ」
「なら、犯人は無傷でこの場を去って行ったのか?」
八坂が尋ねたと同時に、後ろから舌打ちが聞こえた。
「そう言いなさんな。一般人には難しいことなんだよ。あんたらには理解しがたいかもしれないがな」
また、そう答えたひとつめのグループの男も、八坂と藤崎にそう告げた。
口元は笑っていたが、瞳は固く八坂を睨んでいた。敵対するつもりなどなかったが、少しデリカシーがなかった言葉だったと八坂は頭の中で反省する。
息を吐き、一言謝った八坂を藤崎はじっと見ていた。
「銃弾をはじいたのは、例の得物で?」
「あぁ、だからここら辺に犯人が使った凶器はないし、傷一つつかなかったから足取りとなる物も収穫なし」
「それだけの手練れという事か。手ごわそうだな……ところで、被害者のあては?」
「まだ特定されていないらしい。ただまぁこっちはつい先ほど遺体を搬送したから、わかるのも時間の問題だろう」
「おい、ちょっと良いか」
八坂に声をかけたのは、二つ目のグループの男達だった。その中の一人は、木村と同様に調査班の職員らしい。
「事件に関係あるかはわからないが、すぐ近くの大橋の下で不良が騒いでいたらしい」
「被害者は、その関係者である可能性が高いと?」
「推測だがな。そっちの方も追っているから、何かあったら連絡する」
職員は八坂にそう告げた。八坂は職員に礼を告げた後、他に情報収集をすると言い、別れを告げその場から離れた。藤崎も無言で頭をさげ、八坂を後を追う。
八坂の背中について行きながら、必死に頭の中で整理しようとする藤崎。しかし、結局のところ彼の中では犯人の動機がわからなかった。もし犯人が藤崎の想像する人物なら、彼の動機はもしかしたら──
立ち入り禁止テープを抜け、再び通行人のいる場所まで戻った藤崎は、一度頭を冷やすためにフードを外し、顔を扇ごうとした。
その時、誰かが藤崎に声をかける。
「あれ、藤崎君だ!」
声を聴き、藤崎の動きが固まる。彼にとって聞き覚えのあるその声は、天端の方から聞こえた。
藤崎は素早く顔を上げ、声の主を確かめる。
「高尾先輩に佐藤先輩!」
藤崎は声の主の名前と、その隣にいる男子学生の名前を呼んだ。
「少年の知り合い?」
「はい。部活の先輩です」
八坂の質問に藤崎は答えた。
高尾と佐藤は、藤崎の所属する写真部の先輩だった。それも高尾と呼ばれた少女が現部長で、佐藤は副部長だった。
二人は階段を降りて藤崎の前まで寄ってくる。
「お二人は何故ここに?」
「何故ってそりゃあ、スクープを見つけたからね!」
高尾はにやけ顔で藤崎にそう答えた。次に佐藤を見ると、彼は眉を下げながら肩をすくめてみせた。彼はおそらく付き添いだろう。
「今回のは特ダネみたいだから!」
「それって、そこの……」
藤崎は背後の立ち入り禁止テープを指しながら聞いてみた。高尾は何度も頷く。
「へぇ、お嬢ちゃん達はあそこで何があったか知ってるわけ?」
八坂が会話に割り込んでくる。
高尾と佐藤にとっては初対面の大人で、二人は藤崎に説明を求めるように彼を見つめた。
「この人は八坂さんってお兄さんで、俺の知り合い」
「よろしく」
藤崎から自己紹介を受けた八坂は高尾と佐藤に笑顔を見せた。二人は八坂が藤崎の知人と聞き警戒がほぐれたのか、よろしくお願いいたしますと同時に頭を下げた。