第四節
地下一階の駐車場で八坂と合流した二人は、彼の側にあった車に乗り込んだ。
「場所は?」
青星が八坂に尋ねた。
八坂は車のエンジンボタンを押しながら答える。
「調布市内の多摩川だそうで」
「少し遠いな……飛ばせるか?」
「制限速度の範囲内でなら!」
八坂はそう言いながら、車を走らせた。
車を走らせ、事務所から公道に出たときにに青星は八坂に尋ねる。
「で、案件は?龏信会絡み?」
「まだそこまでは……というか、藤崎少年も乗せて良かったんです?」
直線道路を走りながら、八坂はちらとバックミラーで藤崎を見た。
「イビトとして過ごすならば、どんな事件が起きているのか知るべきだ。君もそう思うだろう?」
青星の問いに八坂はなるほどと返す。
「イビトの事件って、どういうのがあるんですか?」
藤崎が尋ねた。
先日の寺島の件を経験した藤崎は、怪異人種の事件は暴力事件が多い物だと考えていた。
だが、彼らが意思を力にする人種ならば、事件の種類は多様になるのではないだろうか。
藤崎はその予想が正しいのかを青星に聞いた。
青星は概ね合っていると答えた。
「窃盗や暴力関係の事件で、イビトに関連するならばうちに話がくる。うちの組織が発見する案件もあれば、警察が対応できないと言って引き継がれる案件もあるね。八坂君、今回のはどっち?」
「後者っすね。警察に通報があって対応があったものの、対処できない事がわかってウチに頼んできたパターンっす」
青星は八坂からそう聞いた後、今度は藤崎に質問した。
「藤崎君はグロの耐性とかある?」
「ぐ、グロ……ですか?」
藤崎はそんな質問が来るとは思わず、青星に聞き返した。
「現場へ招集の依頼があったって事は、この先は君にショッキングなものを見せることになる可能性がある。それでも大丈夫?」
青星は言葉を変え、藤崎に再び尋ねる。
これまでにどのような酷い現場を見てきたのだろうか。それを目の当たりにしたからこそ事前に自分に尋ねたのか。
尋ねられた藤崎は、質問の意図を考えているうちに溝内の上あたりに大きな穴が空いたような感覚を抱いたが、それを誤魔化すように首を縦に振った。
それを確認した後、八坂は向かっている現場で起きた事の説明を始めた。
「今回の件は、青星さんの予想通りっすね。元々警察の方に通報があったらしいけど、どうもイビト関連だったみたいで……」
通報してきたのは、一般の初老の男性だったという。
早朝に犬の散歩に出ていた男性は、いつもの散歩コースを歩いていたようだが、ススキの前で犬が止まってしまったそうだ。
犬が鼻をひくつかせ、辺りを見回す。どうかしたのかと男性が犬に尋ねると、異臭が男性の鼻中にも侵入してきた。
それは男性には嗅ぎ覚えのない匂いだったそうだ。今となれば鉄のにおいとわかったが、いつもの散歩道にそのような臭いがしたことは今までなく、男性は奇妙だと思った。すぐにでもその場から離れたかったがそのまま見過ごすわけにもいかず、異臭のもとを見つける為にススキの中へ入っていた。
ススキの中に放棄されたそれは、真夏の熱帯夜を一晩過ごしていたそうで、腐敗が既に始まり複数の蠅がそれの周りを飛び交っていた。
「死因は刺された事による殺害だったらしい。俺が聞いているのはここまでっす」
八坂から話を聞いた藤崎は全身がぞわぞわと気持ちの悪い感触に包まれた。
職業柄慣れている青星は藤崎の様子に気づかないまま八坂に質問した。
「刺殺だけなら一般人による犯行の可能性も拭えないじゃないのか?」
「えぇ。だからこれから現場に行くんですよ。実際に会ったやつに話を聞くために」
男性の通報後、警察官の中に犯人を見た人間がいたらしい。
彼は傷を負っているようで、これから行く現場で落ち合う事になっているそうだ。
そうして車は多摩川の現場まで走っていく。その間、溝内の上に空いていた穴には粘度のある冷たい感情が満たされていた。その感情がなんなのか、おおよそ見当はついていたが、特定をしないよう必死に藤崎は他の事を考えていた。
「あともう少しだ」
幾分か経ったのち、青星がそう言った。現場に近づいてくると、遠くからでも白と黒の車が河川敷近くに停車しているのがよく見えた。
「一応それ、被った方が良いかな」
青星は藤崎を見ながら後ろの首元を指してそう言った。自分が今着ているパーカーのフードである事を察した藤崎は、フードを深くかぶった。
近隣に車を停め、残りの道を歩いていく。
現場には野次馬で見に来た人々が、キープアウトの先を覗こうとしていた。河川敷の法面や天端から眺めている者もいる。彼らを見た藤崎はフードをもう一度深くかぶりながら、八坂と青星の後に続いた。
「怪異人種犯罪対策機関です。調布市警察署から現場調査の依頼を受けて参りました」
先頭を歩いていた青星が立ち入り禁止テープの近くにいた警察官に自身の職員証を見せながらそう告げた。
警察官は片手を立ち入り禁止テープへ広げながら一礼する。それを中へ入る許可を貰ったと判断した青星は禁止テープをくぐり現場へ向かった。八坂も警察官に向けて一礼をして中に入ったので、藤崎も続こうとする。
「君は違うだろう」
警察官は困り顔で藤崎にそう告げた。当然の対応だが、藤崎は戸惑ってしまう。
「普通の子供に見えますが、うちの関係者なんで入れてもらって大丈夫ですよ」
先に中に入っていた青星が警察官にそう言った。警察官は藤崎を懐疑的に見つめてきたが、藤崎は小さく頷き返した。
警察官は暫く無言で見続けたが、最終的には藤崎を通してくれた。
「あの、良かったんですか?」
「嘘はついていないし、現場は初めてじゃないから、君はもう立派な関係者だろう?」
尋ねた藤崎に青星がそう答えた。
中に進んでいくと、ススキの茂みの周りに複数人の大人がグループを作っていた。
一つ目のグループは、遺体がいたと思われる箇所にいた。そこにはドラマで見られるような白いテープなどで作られたアウトラインはなく、代わりに数字の書かれたカードが何枚か配置されていた。そのグループはカードを含めたその場所を撮影していた。
二つ目のグループは、うずくまっている男性を介抱していた。彼こそが現場で犯人と鉢合わせた警察官なのだろうかと藤崎は推測する。
三つ目のグループは、二人だけだったが、クリップボードに挟まれた紙と写真を見ながら何かを話し合っていた。
青星に近づいてきたのは、三つ目のグループだった。片方の男性は、この季節に似合わずスーツを着ていた。その男性が青星に話しかける。
「お疲れ様です、調査隊の木村です。先に現場の話を聞いていました」
木村と名乗った男性は青星に敬礼を見せそう話した。
調査隊とは何かと首を傾げた藤崎に八坂が小声で耳打ちする。
「うちの機関の仲間だ。イビト隊が不足しているから先に現場に来て調査してくれてるときもある」
「イビト隊というのは……?」
「俺達の事さ」
小声で会話をしている八坂と藤崎は気にせずに、青星は木村と会話を続けた。
「イビト案件って聞いたけど」
「えぇ。犯人は怪異人種で間違いないと、彼が言っていました」
木村はそう言って、二つ目のグループを見た。
「彼はなんて?」
「鉢合わせた時に犯人を捕まえようとしたら、いつのまにか手に持っていた刃物で斬られたそうで……」
「……それだけで?」
「あんな事を出来るのはお前らみたいなイビトぐらいだろ!!」
青星と木村の話が聞こえていたのか、介抱を受けていた警察官が二人に叫んだ。
「……だ、そうです」
木村が肩をすくめてそう言った。青星は一度深いため息をつき、警察官に近づき尋ねる。
「刃物で抵抗するなんて、普通の人間でも出来る事だと思うけど。他にも何かイビトだと思う事があったんでしょ?」
「当たり前だ。じゃなきゃ呼ばねぇ。手ぶらだったはずなのに、いつの間にかナイフを持ってたんだよ。第一、あいつが持っていたのはただの刃物じゃねぇ鎖のついたナイフだ。それも、両腕を広げても足りないくらい長い鎖だったさ」
警察官は自身の腕を広げながらそう答えた。
「あいつはそれを使って俺の足を引っかけてきやがった。転んだ隙に足を斬られて、その後喉元を刺されそうになったから、無理矢理掴んだんだよ」
次に警察官は青星に自身の両手を見せた。両手には包帯が巻かれていた。青星はそれを見て勇敢だねぇと言う。
「掴んだと思ったらナイフは消えた。そんな事、一般人が出来るわけねぇだろ」
警察官の主張に青星は腕を組み頷いていた。
「まあ、ウチの案件で間違いないんじゃないっすかね」
「そのようだ」
八坂の発言に青星はもう一度頷きそう答えた。