第三節
先ほどまでいたフロアには灰色の絨毯が敷かれていたのに対し、この場所は薄汚れた白い壁に、緑色のむき出しな床。
当然、窓のようなものもなく、無機質なその廊下には、白く光る蛍光灯と、奥に見える大扉以外は何もなかった。
青星は真っすぐに廊下を進んでいく。藤崎も置いていかれないよう彼女について行った。
大扉の目の前までたどり着いた青星は、ポケットから鍵を取り出し、その扉の鍵穴に刺した。
青星が開錠している間、藤崎はふと大扉の上にかすれた文字で「第弐訓練場」と記されている標識に気がついた。この建物は外からの見た目以上に広い構造なのかもしれないと考えていると、青星はすぐに鍵を開けたようで、大扉を両手で開けた。
「お待たせ。目的地に到着~」
山口はそう言いながら、出入り口付近にあるスイッチに手をかけた。
スイッチを押すと、天井の蛍光灯が出入口側から順番に点灯し始める。
バスケットコート四つ分だろうか。藤崎の通っている中学の体育館の2倍以上広く感じたその空間には床も壁もコンクリートが剥き出しのままで、これと言った障害物はなく、藤崎達が入ってきた大扉とは別の扉がいくつかあるだけだった。
「随分と広い空間ですね……」
「怪異人種が鍛える場所ってなると、普通の障害物とかもいらないし、そんなものを整備してもすぐに壊れるから」
藤崎の感想に青星はそう返した。
訓練場というのはもっと整備されているものだと勝手に想像していた為、その無機質で無骨な空間に少し期待外れな気持ちがあった。
「さて、ここで怪異人種として、君が使う力について実践で教えていこうと思う」
「じ、実践ですか……」
「さて、早速刀を出してみようか」
青星はそう言いながら、自分の長刀を出現させた。
何もない空間に手を伸ばすだけで刀を出現させる。そんなものはゲームにしかない事だと思っていたが、目の前の彼女はさもそれを当たり前のように具現化させた。
「すみません、刀を出そうかと言われましても……寺島ってデカい男と会ってからは一回も出せた事がなくて」
藤崎は今の自分の状況を正直に話した。
ただそれを聞いても青星は首を傾げるだけだった。
「そんな筈はないな。半覚醒とはいえ一度出せたものが出てこないということは何と思うけどな……」
青星は腕を組み、思案する。
「昨日言った通り、怪異人種は意思を力にして常識を凌駕する人間達の事だ。君が前に刀を具現化させた時に思っていた事とかを参考にしてみたらどうだ?」
青星にそう言われた藤崎は、過去の出来事を思い返した。しかし、参考にしろと言われたものの、あの時藤崎が考えていたのは、ただ東雲を守りたいという事だけだった。
ただ必死に、そして一心に。
ならば雑念は消して、刀を出す事ではなく、彼女を守る事を考えた方が良いのだろうか。
結論が出た藤崎は深く息を吐き、手をかざす。その手に大事な人を守るための力を手にするために。
念じると、かざした手の元に刀の持ち手が現れた。
意思を強くすれば刀が現れる。そのこと自体も奇妙な事だが、念じれば誰かを傷つける物をすぐに用意する事が出来る事もまた奇妙で気持ちが良くなかった。いつかの寺島と交戦したときに彼を刺した光景を思い出し、背筋が凍った。
「さて、次に使い方を練習してもらうわけだけど……さっきも言ったとおり模擬戦という形でやろうか」
そう言い、青星は数メートル離れた。
「このままコレで戦うんですか?」
「その方がきっと君の学びは増えるだろうからね。それに、実践は既に経験済みだろう?」
青星はそう答え、刀を藤崎に向けた。
思わず身構える藤崎。剣道の経験のない彼が見せた棒立ちに刀を持っただけの情けない構えに青星は一気に距離を詰めた。
音もなく近づかれ、先ほどまでの距離をなかった事にされる。
反射的に後ろへ身体を反らした藤崎に青星は利き腕である右腕だけで刀を振り下ろす。その長刀を抑える為に、藤崎は自分の刀を頭上へ掲げた。
二人の得物が当たるぶつかる音が空間に響く。その一撃が、藤崎の心臓の動きをより強く速くさせる。
青星に長刀を押す力は強く、藤崎の腕はさっそく疲労で震えていた。
「さぁ、どんどんいくよ!」
青星は一度刀を離し、意気揚々と藤崎に告げた。刹那、青星の表情が無に豹変する。
片手で握っていた長刀を両手に持ち直し、藤崎へ振りかざした。
空間の中で響く、刀同士が凌ぐ音。
藤崎は時に等身を避け、青星と距離を置こうとしたが、しかしすぐに詰め寄せられてしまう。
心が押される。彼女の剣技だけでなく、彼女から放たれる得物を仕留めんとする意思が、ひしひしと伝わってくる。
相手を絶対に逃がすものかという圧が漏れなく伝わってくる。これを相手にするのは厄介だと藤崎は彼女からの猛攻を必死で避けながら考えた。
この時間がどれほど続いているのか、感覚が分からなくなってくる。動き疲れた藤崎はついぞ刀を持つ力を失い、青星が大きく振り上げた長刀の一撃を最後に、刀を後ろ遠くへ弾かれてしまった。
間もなく、藤崎の喉元に長刀の刃先が走ってくる。
もはやこれまでと感じた時、刃先は喉元の一寸手前で止まった。
「ま、こんなものかな」
それまでの表情から、またいつもの穏やかな表情に移り変わる。
藤崎は彼女のように上手に切り替える事が出来ず、心臓は未だ大きく震えていた。
「いやぁ、なかなかやるね。経験者じゃない割にはうまく立ち回れていたと思うよ」
青星は藤崎の肩を叩きながらそう言っていた。が、それは最早藤崎にとっては煽惑にしか聞こえなかった。
「そんなわけ、ないでしょう…………」
藤崎は肩で呼吸しながらそう答えた。
立つための力もなくなり、藤崎はその場にしゃがみ込んだ。顔を上げる気にもならず、一点に汗がしたたる床を見る事しかできなかった。
「そんな事ないよ。ちゃんと相手と距離を置こうとしていたのもわかっていたし、避けた方が良い太刀筋と受け流した方が良い太刀筋を判別していたとも思う」
「必死に避けていただけですけどね……」
「それが凄いんだよ」
青星は藤崎の頭を多く撫でる。
藤崎はただ、その撫でられる力に任せるように頭を揺らしていた。
突然、青星のポケットにあった携帯端末が鳴る。
「ごめん、ちょっと休んでて」
青星は藤崎にそう告げ、電話に出た。電話の相手は八坂だった。
「今、時間大丈夫っすか」
「うん、ちょうど一区切りついた。決裁のこと?」
「それも確かに、抗議も含めいろいろあったので言いたいんすけど」
八坂の言葉に青星は顔をしかめたが、彼はそれを話すために電話をしてきたわけではなさそうだ。
「何か緊急の案件?」
「そうっすね。現場へ招集依頼が来たんすけど、大丈夫ですか?」
「駐車場集合?」
八坂に聞かれ、青星は藤崎の方を見る。彼はすぐに息を整えることが出来たそうで、手のひらをみせ大丈夫と答えた。
「わかった。じゃあすぐに向かうよ」
青星は八坂にそう伝え、通話を切断した。
「ごめんね、せっかく下がってきてもらったところだったけど」
「いえ、大丈夫です。行きましょう」
藤崎は青星にそう答え、立ち上がった。