第十節
コンビニに車を停めた八坂は、藤崎を助手席に誘う。
「それで……なんだって、怪異人種になろうとしてんだ?」
クーラーの効いた車の中で、八坂は日差し避けを下げながら藤崎に聞いた。
「俺は東雲を守りたいんです。あいつが怖い奴らに狙われているなら助けてあげたい。でも今のままじゃ満足に戦う力もないから、アイツに何かあったとき、何もしてやれない……」
先の逃走や寺島との戦いは、藤崎の中で強く記憶に残っていた。そして、自分が未熟であることも理解していた。
「今は俺達が警備してるだろ。それじゃだめか?」
「八坂さん達は退院してからも守ってくれるわけじゃないでしょう?」
「それはそうかもしれないけどな……」
八坂は頭をかく。事実、八坂や青星が東雲を警備するのは、あくまでも入院中か、件の男が逮捕されるまでの期間だった。寺島が殺害されたとなれば、脅威となる人物はいなくなった事になり、警備の指令はなくなるかもしれなかった。
「怪異人種の力を使いこなせるようになれば、アイツの事をいつでも守れる」
「随分とその東雲って子にお熱ですなぁ。まだ会って間もないんだろ?一目惚れとか?」
八坂は茶化すつもりはなかったが、なんとなく拘っている理由を知りたくて藤崎に尋ねた。
藤崎は黙ってこそいたが、否定はしなかった。藤崎の中でも、大切に思える人という存在になっているが、これが本当に恋心なのかわからず答えが見つからなかった。
「……そうだ。東雲に渡したい物があるんで、病院に寄ってもらえませんか」
藤崎は鞄の中に入れていたスケッチブックと色鉛筆を思い出し、八坂に頼んだ。
「良いけど、少年のお願いの件は?」
「それは検討してください」
即答された八坂は検討すると言って、病院へ向かった。
小判塚医院は、寺島の強襲事件以降は特に騒ぎもなく、穏やかな日々を過ごしていた。東雲もまた、新しい部屋から外の景色を見ている。
少しずつ太陽が傾き始め空が橙色に変わりそうになった頃、療養室のドアを三回開く音がした。
「どうぞ」
東雲がそう答えてから、ドアが開いた。
「龍二くん!」
東雲は立っていた者の名前を呼ぶ。藤崎は一言挨拶をしてから、体調を聞いた。東雲は元気だよと笑顔で答える。
藤崎が部屋に入った後、続けて八坂が部屋に入る。
「その人は……?」
「八坂さん。周りを警備してる人の仲間だよ」
見知らぬ人に警戒する東雲に藤崎はそう答えた。
「こんちは」
八坂は笑顔でそう挨拶をしたが、東雲は無言で一礼しただけだった。
「渡したいものがあるんだ」
藤崎はそう言って東雲に近づき、鞄からスケッチブックと色鉛筆を渡す。
「これは……?」
「病院で退屈してるかもしれないから、絵を描いたりして退屈凌ぎになれば良いなぁと思って」
「これで絵を描けるの?」
「そ、そこからかー」
想定内ではあったが、藤崎はその返答に目を瞑った。隣にいた八坂が持っていた手帳にペンを走らせた。
「目の前に見えてるものや頭の中でイメージしたものを他の人にも見せるように描くのが絵を描くと言う行為だ。こんな感じでな」
八坂はそう言って、描き終えた1ページを手帳から切り離し、藤崎と東雲に見せた。
黒色のペンで描かれた絵はデフォルメされた画風だったが、しっかりと特徴を捉えた藤崎と東雲だった。
「漫画だ……!」
「八坂さんって絵、描けたんですね」
「学生の頃、授業中に落書きしてただけよ。ま、藤崎少年の言うとおり、絵を描くのは楽しいからな」
八坂はお近づきの印にと、東雲にその似顔絵を渡した。
「ありがとう……ございます……」
ゆっくりとお辞儀をして礼を言った。緊張が解けた東雲の笑顔を見て、八坂は納得しながらどういたしましてと返した。
「それで好きなの描いてよ」
打ち解けた二人を見て安心した藤崎は東雲に提案する。東雲は藤崎に再度お礼を言おうとした。その時、彼の右腕に包帯が巻かれている事に気がついた。よく見ると、ズボンも汚れている。
「それ……どうしたの?」
指摘された藤崎は、咄嗟に腕を隠した。
京島達から逃げるときに負った怪我だった。小判塚医院に来た時に八坂にフードを引っ張られながら診察室に連れて行かれ、そこで身体の様子を診てもらいつつ怪我の手当てをしてもらっていた。
怪我の理由に東雲が関係ある事を悟られたくなかった藤崎は必死に言い訳を考えた。
「……………………ちょっと、はしゃいでたら、転んじゃって」
返答まで長く、そして明らかにぎこちない答えだった。
「本当に?」
「ほ、本当だよ」
懐疑的に見つめられた藤崎は震えた声でそう答えた。このままだと心配させてしまうと藤崎が考えていると、見かねた八坂が東雲に告げた。
「転んだのは本当らしいぜ。さっき、俺が入口で見張ってたらボロボロでやって来たから」
「そうなんですか?」
東雲は同じように八坂を見るが、八坂はそのまま彼の中で創ったシナリオを語る。
「君にソレを渡すのが楽しみで浮かれたら階段から転んだらしい。俺はちょうど夕方に当番が変わるから、コイツを見張る事になったわけ」
「えぇ……」
「まぁ、君も藤崎少年も、危ない人に狙われてる可能性があるからな。一応家に帰るまでは警備する事にした」
東雲は当惑したが、納得もしてくれたようだった。
内容はともかく、即興の言い訳をさも本当にあったかのように話す八坂を見て藤崎は心の中で感心した。
東雲に寺島の事を言わなかったのは、彼女に不安させない為だろう。そう思った藤崎は八坂の方針に従う事にした。
他愛もない世間話をした後、藤崎はまた来ると東雲に伝えて病室を出た。
「コレ、ありがとう。大事に使うね」
藤崎と八坂が出入り口まで行った時、東雲は再びスケッチブックと色鉛筆のお礼を告げた。
藤崎は頷きながら手を振り、そしてドアを閉めた。
「良い子だな、あの子」
帰りの車の中で、八坂は藤崎に話を振った。藤崎は小さく頷く。
「怪異人種になると、それだけで世界が変わる。龏信会みたいな奴は、この前の寺島以上に凶悪だ。俺達が近くにいてお前を鍛えたとしても、死ぬ可能性だってある」
「危険なのはわかってます。でも、俺は……」
藤崎はその先の言葉を言わなかったが、八坂にはわかっていた。
藤崎の家の前で車を停める。
「明日でも、明後日でも良い。ここに来てくれ」
八坂は藤崎に一枚の中厚紙を渡した。
そこには怪異人種犯罪対策組織の名前と、八坂の所属する部門の名前、そして彼の名前と連絡先が書かれていた。
「まぁ、まずは親を説得してからになると思うけど」
八坂は藤崎にそう告げ、笑顔を見せる。
「ありがとうございます」
藤崎も八坂に笑顔でお礼を言って、車を出た。
藤崎が家の敷地内に入り、ただいまと言いながら自宅に入って行ったのを確認した八坂は、車のエンジンをつけ、職場へ戻って行った。
【第二章 嚆矢濫觴の意思 終】