第八節
スフレケーキを食べきった時には時間も一時間ほど経っていた。
東雲へ渡す物もあったため、藤崎は店を出る事にした。
「有難うございました。お代は……」
「いいよ、くじらにツケとくから。気にしなくて良い」
源川が笑いながらそう答えていた。
それでも申し訳なく感じた藤崎はすみませんと答える。
「イビトについても、いろいろ教えてもらって……」
「それもサービス。そのかわり、また来て。ね?」
テツがそう言ったので、藤崎は頷き、二人に対し深く頭を下げてから、その場を離れた。
「誠実そうな子だったな……何もなければいいが」
小さくなっていく藤崎を見ながら源川が呟く。テツはそれに対し、そうだねと答えた。
藤崎は井之頭公園の中に入り、湖沿いに歩いて駐輪場へ向かっていた。
歩きながら怪異人種の事と今後について考えていた。青星は藤崎の事を、まだ半分覚醒した状態と言っていた。その言葉には心当たりがある。
大男が二回目に襲撃した際、藤崎は一度刀を具現化する事に失敗した。正確な出し方をまだ知らないからそうなったかもしれないが、では怪異人種としての正確な使い方とはなんだったのだろうか。
青星に尋ねてみるかと思いついた時、ふと藤崎は青星の連絡先が知らない事に気がついた。
足を止め戻ろうかと悩んだが、次に10 Ironに行くときは一般の客として訪れようと決めた。
再び足を動かし始めた時、後ろから視線を感じているような気がした。ハッと気がつき後ろを振り返るが誰もいない。気のせいかと考えた藤崎は前を再び歩き始めた。
通りすがる人もなく、歩き続けていた。数分経過して、ようやく男の子が前から歩いてきた。かと思いきや、その男子は藤崎の前に立ちはだかり、一歩も動こうとしなかった。
「藤崎先輩」
その男子は藤崎の名前を呼んだ。自分の名前を知っている事に藤崎は思わずため息をつきそうになった。
「京島与伴……だったか」
「下の名前まで憶えていただいているなんて、光栄ですねぇ」
京島と呼ばれた男子は、にやにやと笑いながらそう答えていた。金髪に染めた髪を後ろに流している。
中学一年生とは思えない成長した身長と不良だと一目でわかる風貌は、同じ学校に通っているならば彼の事を知らない生徒はいないだろう。藤崎は心の中でそう返事をしたが、彼とはこれ以上会話をしたくなかった。
「悪いけど、先を急いでいる」
そう言って彼の横を通ろうとしたが、右に寄っても左に寄っても、京島が行き先を通そうとしなかった。
目を細めじっと睨んだが、京島はへらへらと笑っていた。
「すみません、ちょうど藤崎先輩に聞きたい事があったんです」
藤崎はため息をつき、なにが聞きたいと答えた。
「有難うございます。実は人探しをしていまして、もう二日ほど連絡が取れていないんです」
「失踪か?それなら警察の方が良いんじゃないか?」
「藤崎先輩の方が適任ですよ。何せあなたも会った事のある人物ですから」
ここで逆らっても帰してくれないだろう。そう思った藤崎はそうそうに京島の質問に答える事にした。
藤崎は京島に、その男の名前を尋ねる。
「僕が探している人は寺島はじめさんと言います。僕と同じグループの人で、頼りになる兄貴分みたいな方でした」
京島は男の説明をする。その名前に藤崎はやはり聞き覚えがなかった。
「やっぱり知らないな」
「おかしいですねぇ……確かに会った事があるはずですよ」
藤崎がそう答えると京島はわざとらしくそういった。彼が何故そこまで確信めいた話し方をするのかわからなかった。
「どこで会ったんだ?俺はそんな知り合いは覚えてない」
「いやぁ、まぁ知り合いってほどではないかもしれませんが……でも、会った事はあるはずなんですよぉ……雑木林の近くと、小判塚で」
「雑木林と小判塚……?」
京島が言った二つの場所を繰り返した後、藤崎はその寺島という男に気がつく。
内心、動揺してしまいそうだったが、それを察せられないようにするため、藤崎は口と瞳に意識を集中した。
「はじめさんはとても良い人でしたよ。身長もとても高く、僕や先輩からしたら倍近くあるんじゃないかと錯覚するのではないでしょうか」
「…………」
「腕っぷしにも自信がある方でしてねぇ。とても頼りになる方でしたよ……」
京島の説明を聞きながら、しわひとつ動かさないよう意識していた。
実際、藤崎は表情一つ動かす事なく話を聞いていたのだが、その静止された表情はかえって不自然に見られたのだろう。
「……ねぇ、知っているんでしょう?」
京島は再び藤崎に聞いた。瞼を大きく開き、じっと藤崎を睨んだ。その視線の圧が強く、四、五歩ほど離れた距離にいるはずだが、すぐ目の前にいて今にも手を出されそうな距離にいるのではと錯覚してしまうほどだった。
藤崎はゆっくりと鼻で息を吸い、一秒だけ息を止めた。胸元で早く動く心臓を落ち着かせるために、大きく息を吐く。京島はその様子を睨み続けていた。
息を整えた藤崎は京島を睨み返し、確実に伝えることを意識して答えた。
「知らないな、そんな男」
藤崎の答えに京島は舌打ちをした。直後、藤崎に近づき彼の胸倉をつかむ。
「しらばっくれてるんじゃねぇぞ!」
京島はまだ声変わり声で叫んだ。
本当に自分のひとつ年下なのかと疑うようなドスのきいた声が耳をつんざくが、それでも藤崎は眉一つ動かさずに京島を睨み続けた。その視線が京島に更に不快感を与えたのか、藤崎めがけて拳をまっすぐに伸ばした。
幸い、腕を伸ばした際に胸倉をつかんでいた手は力が弱まっていたそうで、そのおかげで藤崎は容易に手を振り払う事が出来た。刹那眼前の拳を身体を傾けることで避ける。咄嗟に京島の腕と胸元辺りの服を掴んだ。
京島の拳の慣性を利用して彼を背負い投げした。
「うわっ!」
京島にとって想定外の事だったようで、彼は一言叫ぶとそのまま背中を地面に叩きつけられた。
藤崎は手を放し、数歩後ずさりをする。あの大男の知り合いだとわかった以上、彼からは離れるべきだ。そう思った藤崎は仰向きに転がっている京島を置いて走り去った。
「くそっ待てよ!」
すぐに起き上がることは出来ない京島は、身体を四つん這いの体勢になって何度も藤崎を呼び止めた。
無論、藤崎は待つつもりなどなかった。彼は必死に走り、駐輪場へ急いだ。